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偉い、偉くない

やす子さんへのフワちゃんの発言を目にして、なんかグゥゥゥーっと傷ついている。
有名人が、「言ってはいけない言葉」を、突然、世界中の人が見えるSNSという場で発信したということにショックを受けている、けど、それだけじゃない。
 
やす子さんの「生きてるだけで偉いので皆優勝でーす」と、
フワちゃんが返した「おまえは偉くないので、〇んでくださーい。予選敗退でーす」っていう言葉がグルグル回っている。
 
〈生きてる=偉い・優勝〉というやす子さんの価値観に、
〈偉くない=〇んで・予選敗退〉という価値観を、フワちゃんがぶつけたから、
ショックだし、傷ついた。
 
冗談として全く笑えないし、
 この言葉を見て、相模原の事件を思い出してしまうほどに怖く暗い気持ちになった。
そして傷ついた。
 
自分が偉くないから。
まるで自分が「〇んでくださーい。予選敗退でーす」と言われたように感じたのだ。
 
そもそも、〈偉い〉って何だろう?
本棚の「旺文社小学国語新辞典」を開いてみた。抜粋する。
〈偉い〉①優れている。りっぱである。②地位が高い。
 
優れていて立派でなければ、地位が高くなければ、〇んで、予選敗退なのか?
 
そんなの絶対違う!
 
我が家にはテレビがないので(インターネットでNHK+や好きな民法ドラマは観ているが)、フワちゃんのことはあまり知らない。
でも、好きなオードリーの春日さんが親しくしているようだから、なんとなく、勝手に身近に感じていた。
 
オードリーの若林さんのエッセイは好きで何冊か読んでいる。色々好きな箇所があって、今までも自分の中で感動が抑えきれず、ブログに感想を綴ったりしてきた。

 
今回、フワちゃん→春日さん→オードリーって連想して、思い出したのは、若林さんのエッセイの箇所だ。

 
番組の企画で海に潜って魚や貝を獲って生活していた若林さんが、岩にくっついている牡蠣を取ろうとしている時に、「牡蠣は岩にくっついて一生を過ごすが一体何が楽しいんだろう」と疑問に思った箇所だ。
ある方に、若林さんが、牡蠣について「移動もせずに、自分から獲物を捕まえるようなスリルと興奮も無く、ただ岩にしがみついて何のために生きているのかな」と聞いた時のその方の答え。

おじいちゃんは笑って「最初から意味なんてないんだよ」と言った。
 
「いいかい。この世に存在する理由には二つあって。一つは何かをしているから存在していいということ。例えば、会社にいてちゃんと働いているからその会社に居ていいって思えることみたいなこと。二つ目は生まれてきたら、なんの理由も無くこの世界に存在していいということ。
リストラされたりして自殺しちゃったりする人は一つ目の理由が全てだと勘違いしている。リストラされたら会社にも家庭にも自分は存在しちゃいけないような気がして死んでしまう。何もしていなくてもこの世に居ていいのにね」

若林正恭『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込み』角川文庫、p.250

この箇所、いつも大切なことを思い出させてくれるから、何度も読み返している。
その後の若林さんがなぜお笑いをしているかが綴られている箇所も好きだ。
 
こういうことを言ってくれる人と出会い、それをエッセイで紹介する若林さんの感性が素敵だなと思う。
 
「おまえは偉くないので、〇んでくださーい」
私はもうこの言葉に傷つかない。
 
何が偉い、偉くない?
その基準がどこにある?
そんな基準、生きていくことの通行手形にも免罪符にもならないよ。
 
意味などないし、意味など人が生きている数だけあるのだから。
ただ生きているそれだけで、価値があるのだから。
だれもがかけがえのない存在なのだから。



追記:誹謗中傷は絶対にやめないといけない。取り返しのつかないことになってはいけない。





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