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私は自分の子どもが欲しくない

私は自分の子どもが欲しくない。

どうしても、どうやっても、
私は自分の子どもが欲しいと思えない。

別に、私は私が嫌いだから、そんな自分の遺伝子を持っている子どもなんてほしくない、というわけではない。

むしろ、自己肯定感は高い方だと思う。

ただ私は、
自分の子どもを良い方向に導く自信がない。

私は基本的に自己完結型で、自分で考えて何事も選択してきた。

選択が人を作ると知ったのは小学校高学年。
きっかけは、

「両親のようになりたくない」

という感情だった。

尊敬も信頼もしていない、わけではない。
両親のアドバイスは聞くし、両親には常に感謝しているし、私には両親に向けての愛情がある。

ただ両親のようになりたいと思ったことは
記憶の限り一度もない。

親は、子どもがある程度の年になるまでは、
道標であり、全てだ。
そして親も間違える、親も人間だと知った時、
子どもは精神的に自立する。

私はそれがほんの少し早かったのかもしれない。

両親のようにならないためにはどうすればいいだろうか、と考え始めた時、

選択が人をつくると気がついた。

それ以来、私は何か選択をする上で
「あんな人にはなりたくない」
「こんな人になりたい」
と、その選択をするまでに出会った人、映画や漫画やアニメのキャラクターを軸にして、その人ならどうするだろうかと想像したり、実際にその人の行動をモデルにして真似したりした。

勿論、私の「あんな人にはなりたくない」のリストにはずっと両親がいる。

そして、私自身が誰かにとっての「こんな人になりたい」になろうとすればいいのだということが分かった。

それに伴い、自分を客観的に見ること、他者を見極めること、空気の読み方、嘘の必要性を覚えた。

私はこの気づいたことを誰にも言わず、
言葉にすることなく、

私だけの心の個室にしまった。

それは勿論、「みんなから支持される人間になりたい」という欲を出すことは、ナルシシズムの要素があるように思えるし、逆にそんな欲がある人間を私なら尊敬したいとは思わないし、グイグイと人気者になろうとする人間よりも、黙っていても人が寄ってくる人こそが本当に魅力のある人間だと知っていたからだ。

このような気づきを小学生の頃にしてしまえたことは、私の生まれ持った強さだと思う。
今でも奇跡だと思える。
もしも気づけていなかったら...と考えると恐ろしい。

だからこそ、不安になる。
私の子どもは私のように
自分で考え、選択することができるだろうか。
自分だけの心の個室をつくれるだろうか。
自分の軸となり道となる気づきができるだろうか。

まして、私が気づいたきっかけは、
「両親のようにはなりたくない」
という感情だった。

私の遺伝子を持っている子どもであれば、
その子のきっかけも「両親のようになりたくない」という感情かもしれない。

私が子どもにとっての、
その立場になるのだろうか。

私の行動の軸は
「こんな人になりたい」と思われることなのに。

私はどこまでも
私欲の深い人間なのかもしれない。

けれど、
私にできることがあるとすればそれは、

私の子どもが、大切なことを自分自身で気づけるように、自分の道を自分で定められるように、ちょっとしたサポートをすることなのだろう。

そして、
ここまで書いてきた私が気づいたことは、
自分の子どもが欲しくないとあれだけ言っていたにも関わらず

まだ生まれてない、生まれる予定もない自分の子どもに、強くたくましく自分の足で歩けるようにと、既に愛情のようなものを抱いているということ。

これを、記念すべき初noteとするなんて、何を考えているのだか。

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