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人生、出逢い、足心道

1986年(昭和61年)春、23歳。
作業療法士の国家試験を終え、大学を卒業したばかりの私は、就職のために、生まれ育った青森市から千葉市にやってきました。
その頃は、足揉みのことなんて全く、まっっったく、知りません。
「仕送りするぞ!」
「奨学金 返すぞ!」
「仕事がんばるぞ!」
「津軽弁は封印!」
と、本当にそれだけでした。

まぁ、足揉みを知らないのは、当時なら私だけではなかったと思います。というのも、“足と健康”で一般的に挙がるものと言ったら、青竹踏み以外にはちょっと見当たらない、思いつかない、まだそんな頃だったからです。

のちに足揉みの認定講習で知ったのですが、ちょうど私が上京したその年1986年の夏に、台湾出身の官有謀(かん・ゆうぼう)氏が足揉みの本を出し、これが大ベストセラーになります。
コレです。
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足心道秘術―足の汚れ(沈殿物)が万病の原因だった―もむだけで治る驚くべき中国医学の特効
中国“足心道”研究指導家 官 有謀
文化創作出版、初版 昭和61年8月5日、750円(まだ消費税がなかった頃です。現在は996円)
※ 帯の部分には「今、世界中でブーム、噂の健康法、日本初公開!」と あります。
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今もそうなのでしょうか? 健康本というのは、10万部も売れればベストセラーと言われるそうです。が、いきなり世に出たこの足揉みの本は、当時130万部を売り上げ、日本における足揉みブームの火付け役となりました。

しかしこの後 わりとすぐに、足揉みの第2ブームがやってきます。官有謀氏の本から3年と経たない1989年からの約10年間がそうです。この時、何があったのか?
英国式リフレクソロジー✨の登場です。
のちに英国式リフレクソロジー協会を設立した藤田桂子氏が東京 南青山に開いた最初のサロンが、素晴らしい癒しのサロンとして大変な人気を博し、またたく間に広がっていきました。

すでに世界中に普及していた中国由来の医学的足揉みはというと、いざ、日本にも仕掛けてみたものの、同時期に登場した癒しのビジネス 英国式リフレクソロジーの大成功にかすんでしまい、初上陸は失敗したようです。それでも、いくつかの流派も生まれ、静かに普及してゆきました。私が千葉に来た年は、足揉みの第1次ブームが始まろうとしていた時だったようです。

話を元に戻しまして…1988年、25歳になった私。
志望する病院に入職でき、毎日、一所懸命に仕事をし、勉強していました。ただ、仕事が親友・仕事が恋人のような状態でした。
職場は単科の精神病院。元々は頭部外傷の傷痍軍人のための病院だったところで、隣はゴルフ場、バスは1時間に1〜2本という、少々(?)奥まったところにありました。療養に適した静かな地でもありますが、若者にはやはり退屈。

それなので週末になると、勤務上がりのそのままでバスに乗って市街地に行くようになりました。
駅から延びる長いショッピングセンターを毎回 ゆっくりと往復します。すぐに、お気に入りの “立ち寄り場所” がいくつかできました。雑貨屋、食器屋、洋食のテイクアウトのお店、本屋、そして回転寿司!

…青森市出身ですが、当時、向こうには回転寿司はありませんでした。また、まだ若かったので、回らない寿司屋にいく機会もまれで、小僧寿し専門だったのです。ですから、まずは物珍しかった!

そして実は私、わさびがあんまり得意ではなく…でも寿司・刺身は大好きだったので、この気軽に入れる回転寿司で、わさびの自主トレをしよう♡と、ひらめいてしまったのでした。それから毎週毎週、回転寿司で イイ思いとカラいようなツラいような思いとの両方を楽しみました。いろんなお客がいるもので…人間ウオッチングも楽しかったです。

寿司とかわさびとか、他のお客とかはどうでもいいんです。いくつかお気に入りのお店ができて、なかでも気に入ったのが本屋と回転寿司だったという前振りです。

その年の夏のある日。私は出会います。
いつもの回転寿司で自主トレしたあと、いつもの本屋に入りました。本屋は毎回、無目的です。
ただ、この日は不思議なことがありました。

もちろん外はもう暗いのですが、店内も薄暗い。たぶん、私だけが薄暗く感じていたのだと思います。店内の照明は、全体を平等に照らしているのですから。
あれれ?と思いながら、ぐるりと店内を眺めまわしたその時、1冊の本の背表紙だけが、あたかもスポットライトが当たっているかのように浮かび上がっていました。
またまた、あれれ?なんだろう?と、文字通り引き寄せられるかのように 歩み寄り、その本を手に取りました。

それが、官有謀氏の「足の汚れ<沈殿物>が万病の原因だった」でした。

驚きでした。
「足の汚れが万病の原因 ?!」
「秘術 ?!」
「もむだけで治る ?!」
「世界中でブーム ?!」
表紙の言葉がすべて、キャッチー。
薬機法のことは ちょっとおいといて…パッと思ったのが、「信じられない!でも本当ならすごい!」でした。

当時、私が担当していた数十人の患者さんは、ほぼ全員が長期入院の統合失調症…当時は精神分裂病といいました…の方々で、多くは複雑な病態にありました。
10年、20年と入院治療を続けていながら症状が改善していない方、症状は落ち着いても 病前のご様子には程遠いような方、長い入院生活に適応しすぎて 浦島太郎状態になっている方。
そして皆さん、長年にわたって 強い薬をたくさん飲んでいました。その影響は大きいはずで、程度の差こそあれ、もれなく内臓や神経を傷めていました。ですから、
「足を揉むだけで病気が、体調が良くなるのなら、本当に素晴らしい!」
本気でそう思ったのでした。

迷わず買いました。早く帰って もう 早く読みたくて、わくわくしていたのを覚えています。

ただ当時は、これをどこで学べるのか全く情報がありませんでしたし、困ったことに、私は奨学金を2つ借りていたので 返還に10年かかる計算…当面は勤め始めたばかりの病院を辞めるわけにはいきませんでした。
「しかたない。私は 足揉みが趣味・特技、当面はこれでいこう!」

その後、計4回 引っ越しをします。そのたびに本を整理しましたが、この足の本だけは処分せずに、いつも一緒に引っ越しました。3年前に、千葉県で5回目の引っ越しをしましたが、もちろん一緒です♡

中国足心道の足揉みと出会ったのが25歳、官有謀氏の本…不思議な体験でした…そして、実際に認定講習を受けて療術師になるのは19年後、44歳の時です。
この19年間は なんなんだ?!
今 振り返っても、足心道の情報は 目にも耳にも入ってきませんでした。パソコンが一般家庭にも普及しだしたのは1995年頃のようです。その頃の我が家は…ワープロでした。
我が家にもパソコンが来たのは2000年以降です。機械音痴の私が、「検索してみたら、何かわかるんじゃないかな?」と気づくのに数年を要して、やっとスクールにつながったのが2007年、ということかなと思われます。
構想10年なんて言い方ありますが、私は19年もかかっていたようで、あはは、私らしい。

トップの画像は、2007年9月、中国足心道の認定講習の実技試験の1シーン。師匠である故 直江敏男氏の足を揉んでいるところです。15年前…まだ、白髪も腰痛もなかった頃…懐かしい。

以上、私が、中国足心道の足揉みに出会い、認定を取って、実際に療術を始める前までのハナシでした。

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不定期ではありますが、足揉みのこと、実際の足揉みを通して思うこと、料金のこと…等々、発信してまいります。よろしくお願いいたします。


                                              中国足心道 足揉み純ちゃん
                                          鈴 木 純 子



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