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『サバイブ#1』

「あれ。ない」

部屋に入ってきてから、ずっとうろちょろしてると思ったら、どうやら探し物らしい。

背を預けたソファーから首だけを回して見ると、明るい茶色の頭がひょこひょこ動いている。

「コウさん、知らない?」

「何をよ」

ケイジさんの話には、たいてい主語がない。

俺よりも年上のくせに、それらしさがまるでない。

自分のことには無頓着な俺がしっかり者として見られるのは、ケイジさんが抜けているからだと確信している。

「おかしいなあ。ここにあるはずなのに」

会話にならないまま、引き出しやら扉やらを開け閉めする音が続く。

「ねえコウさん、見なかった?」

「見てませんよ」

なんでも汲み取ると思うなよ。

気付けのコーヒーをすすりながら投げやりに返していると、部屋にあるスピーカーが点滅した。

「ケイジさん、仕事」
「んー」

パタパタする音は止まないまま、仕方ないからスピーカーまで歩いていく。

「おはようございます。今日は何ですか」

とたん、明るさの塊のような陽気に満ちた声が流れてきた。

「おはようコウさん。今日はいい天気だね。犯人が逃げたから、さくっと捕獲してほしいんだ」

なにを言っているのやら。

咄嗟に脳が理解を拒んでスピーカーから目をそらす。
逸らした先に引かれたカーテンの向こうが眩しくて反射的に目を細めた。

「プロフィールデータを送ったから、見ておいて。罪名は窃盗だけどなかなか度胸がある犯人みたいだから、また大きな事件を起こしちゃったなんてことがないように、早めに捕まえてね」

そんな気楽に言ってくれるな。
どうなってるんだ。

眩しい平穏なカーテンの向こうからは、かすかに子供も声も聞こえてくる。

逃亡犯の確保なんて嘘みたいだけど、現実だ。
子供の笑い声と、窃盗犯が走り回る世界は
表裏一体どころか、一面繋がった地面なのだ。

仕事といえど、珍妙だなとつくづく思う。

「またですか。そんな毎日のように逃げないでくださいよ」

「私に言われても困るよ、コウさん。まあ、こんなにいい天気だから、気持ちはわからないでもないけどね」
日向ぼっこでもしたかったんじゃない。

わかってたまるか。

のほほんとしたトーンに眉をひそめて、カップの中身を飲み干す。

「そこにケイジさんもいるんでしょう?」

スピーカーからの問いかけに、ケイジさんは片手を上げて返す。

なぜ声を出さない。
見えてると思ってるのか。スピーカーだぞ。

「いますよ。なんか探しもんしてるみたいです」

「ふうん? なんだろうねえ」

「さあ」

我ながら変な会話だ。

俺だけが仲介のように挟まっている。

「まあいいや。探し物もいいけど、犯人よろしくね」

「はい」

「あと、それも終わったら、ファイル送ってってケイジさんに伝えといて」

「ほいほい。だって。ケイジさん。聞こえてます?」

「んー」

なんとも間のぬけた会話を終え、テーブルの表面に触れると、犯人の写真が大きく映った。

背格好は俺より大きいくらい。
ガタイがいいようで肩幅が広い。何かスポーツでもやってたんだろうか。

逃亡場所が市街地だということを目視してすぐに上着を羽織った。

「ケイジさん。探し物は後にして」

「もう行くの?」

ようやく顔をこちらに向けたケイジさんが首を傾げる。
手には何も持っていないから、どうやら探し物は見つかっていないらしい。

「うん。逃亡した場所が近いみたいだから。まだこの辺りにいるかもしれない」

「そう」

仕事道具であるイヤホンを耳に差し込んでいる間に
上着のポケットに何やら重量を感じた。

「なに」

「なにって、朝ごはん。ゼリーだけど。食べてないでしょ」

「二つも?」

「もう一個は水。コウさん走るでしょ。今日は気温高いから、ちゃんと飲まないと」

走る時にはとてつもなく邪魔なんですが。

悪意ないケイジさんに嫌味を返すのも大人気ないような気がして、
大人しく礼を言う。

「それじゃ、行ってきます」

「行ってらー」

とても逃亡犯確保に向かうとは思えぬ緩いやり取り。

玄関を閉めるとそうも言ってはいられない。

足に力を込めて蹴り出す。

今日の仕事は犯人確保。

コウ。独身。27才。
正義のヒーローが仕事です。

つづく。

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