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アスペルガーと記憶と使えない新人

ヒトが認知できる対象には、物質としての「モノ」、モノが置かれている広がりである「空間」、そしてこれらモノと空間が時の経過にあわせて動的に展開していく状態である出来事つまり「コト」があります。この「コト」はストーリーとかエピソードと呼ばれるかたまりです。

そして、モノから空間へ、空間からコトへ、レベルが上がるにつれてその情報量は指数関数的に増えていきます。1次元・2次元であるモノ、3次元である空間に、時間の経過という要素が加わって4次元の展開になるのです。

さて、わたしはこれまで失敗してきた一般事務と違い、なぜ翻訳の仕事だと「ふつうに」働くことができるのでしょうか。

もちろんひとつには、翻訳というものは基本的に個人作業なので、口頭でのコミュニケーション能力の低さが仕事の品質を損うことがない、ということがあります。しかし、自分を客観的に観察できるようになり、最近、それだけではないことに気が付きました。

翻訳がわたしに向いている理由には、「記憶」の種類が関係しています。これには、文頭で触れた時間の経過がかかわる「コト」の記憶が、重要な要素となるのです。

記憶にはさまざまな分類方法がありますが、そのうちの1つが「エピソード記憶」と「意味記憶」という分け方です。

エピソード記憶とは、例えば「3年前の〇〇さんの卒業式のあとであの喫茶店に行った。その時誰と誰がいて、〇〇さんはアイスコーヒーを頼んだ」などの一度経験するだけで記憶として保持される、場所や時間と関連した個人的経験に関する記憶です。

一方、意味記憶とは一般的な知識や歴史的事実のことで、例えば「リンゴとは、赤くて丸い果物の一種である」というような情報に関する記憶です。記憶として保持する前に理解する必要があり、概念的に体系化されるものです。多くは事実が対象になり、史実を除いて時の経過は関わりません。

さて実際に、どちらの記憶に優れている人が仕事の現場で「使える人」なのでしょうか?

当然、エピソード記憶に優れている人のほうが圧倒的に有利でしょう。例えば、医療現場である患者さんが入ってきた瞬間に、医療者が「〇〇さん、お久しぶ りですね!〇〇のお具合はいかがですか?」とか「前回の治療のときは確かお時間がないようでしたが、お子さんはあれから。。。。」などと声を掛けることができたら、それだけで患者さんは信頼しますよね。前回の治療のときのストーリーを、時間をさかのぼってすぐに想起することができる人です。わたしには、この能力が絶望的に欠けていました。

世の中の仕事というものは、実はこまごまとした実務から成り立っています。この実務に必要なものが、このエピソード記憶だと思うのです。「いつ」「どこで」「だれが」「何をした」というやつです。これを明確に覚えていられる人は、おそらく「しっかりした人」「信頼できる人」という評価を得るでしょう。

わたしは、このエピソード記憶がとても弱いのです。

モノと空間、つまり3次元のストーリーだけでも覚えることが苦手ですが、さらにそれに「時間」が関係する4次元のストーリー展開になると、頭が真っ白になります。つまり、1ヶ月前はどうだったか思い出すこと、未来をさまざまなパターンでシミュレーションしてみることができない。また時間的な順序、順番が関わることも苦手です。

医療関係の仕事に就いていたとき、患者さんの予約の受け付けができませんでした。複数いる治療者と複数ある治療用のブースに、電話で予約を入れてくる患者さんを当てはめてゆく、それだけのことなのですが、わたしはそれをどう組み合わせればよいか、どうすれば効率よく回転するのかわからなくなり、軽いパニックになりました。当時の職場の皆さんと患者さんには、本当に迷惑をかけてしまいました。

高校生の頃はテニス部で、当然補欠だったのですが、公式試合では審判の役が順番でまわってきました。そのときわたしは、点数やサーブの順番が覚えられませんでした。わたしが主審になったときは混乱のため試合が時々中断され、試合相手の高校からクレームがくる前代未聞の事態になりました。

また20代のころ、定食屋のウェイトレスのアルバイトは1ヶ月ももちませんでした。わたしは次々にお客さんから言われるオーダーの順番を片っ端から忘れてしまい、オーダーミスの料理が何皿も並び、殺気だったお客さんからクレームが相次ぎました。厨房にいた中国人の料理人にものすごく怒られました。わたしはひたすら謝り、そのアルバイトを辞めました。

同じく20代のころ、わたしを含め8人くらいで、ある レストランに行くことになりましました。そのレストランは駐車場がせまいので、遠い家の人2人が車を出して、8 人全員がその2台に分乗することになりました。また、そのうちの一人は用事があるので食事の途中で帰る可能性もあり、さらに8人の中ではお互いに仲がいい人とあまりよくない人もいる、というおまけもついていま す。さて、8人のなかで誰と誰が車を出し、その2台がそれぞれ誰をどのようなルートで回収して回るのが、一番配慮の行き届いた方法でしょうか?

わたしはそれまでにそれぞれの家に遊びに行ったこともあるので、全員の家の場所はわかっている(はず)でした。それなのに、わたしにはこの ルート計画の組み立てかたがまったく思い浮かばずお手上げ状態となり、そんなわたしに対して、協力する姿勢が足りないと非難する総務の仕事をしているしっかりもののリーダー格の友人とケンカになりました。わたしはまず、何回か行ったことがあるはずの、それぞれの自宅の場所を覚えていない。それから、誰と誰が仲がいいか判らない。一番致命的なのは、車が走るにつれて乗る人を増やしていく計画が、立てられない。場所と時間と人間関係が係るこの課題は、わたしにとって最悪の問題 でした。

正確に表現すると、わたしの頭の中のシミュレーションでは、ムービー映像のコマを未来に向かって進めていくうちに、だんだん画像が薄くなり消えていくのです。車の中に例えば2人乗っている状態を思い描いても、その後の変化を考えているうちに、乗っている2人の顔が誰の顔だったか判らなくなってしまうのです。想像上で時間を進めているだけなのですが、最初の設定を覚えていられない。

もちろん過去に起こったことを想起しようとする場合も同じです。例えばテニスの試合中1つ前のサーブは敵味方のどちらがやったのか確認するとき、頭の中でムービーを過去に巻き戻しても画像は真っ白。タグのついていない2つ前や4つ前の似たような「過去の画像」が大量に出てきて、どれだっけ?!と混乱するのです。

2013年に改定されたDSM-5でも、発達障害の下位分類として注意・欠陥障害 (ADHD)が含まれています。わたしも昔から忘れ物、日付の間違い、電車の乗り間違いなどが異常に多く友人から笑われていました。これも、このエピソー ド記憶が覚えられないことが原因ではないかと思うのです。

そして、翻訳の仕事について。

コトに関わるエピソード記憶は、しかし何度か繰り返し認識すると、次第に意味記憶としての側面を持つようになります。

例えば、赤くて丸い果物を食べたときに母親から「これはリンゴですよ」と教わった子供は、「あのとき赤くて丸い果物を食べて、お母さんからそれはリンゴだと言われた」というエピソード記憶として記憶します。しかし、この子が何回か同じ経験を繰り返すと、このエピソード記憶は「この赤くて丸い果物は、リンゴである」という意味記憶に変換されるのです。

この、繰り返すと意味記憶に変換して記憶される、という点がポイントです。

わたしは英語力を上げるにあたって英文を大量に読み、わからない単語はその都度何度も確認しました。とにかく大量に読むので、別の文章にそれまで調べた単語が何度も登場します。もし忘れていたら、 また調べます。それを繰り返すうちにいつの間にか判らない単語が減っていく。そのプロセスを、ひたすら繰り返すだけでした。

おそらく、はじめはエピソード記憶だったものを、繰り返しの確認によって徐々に意味記憶に変換して、記憶に定着させることができていたのではないかと思います。本来、語学とはそうやって習得するものなのでしょう。

わたしは、エピソード記憶がものすごく弱い反面、意味記憶が通常レベルであったか、もしくはどちらかと言えば、エピソード記憶を意味記憶に変換させるくらい、繰り返すことが苦痛でなかった、ということだったのだと思います。意味記憶に強いということは、つまり、勉強ができるということです。決 してIQが高いわけではなく、単に機械的に黙々と繰り返すことができるということです。アスペルガーの人の学業成績がよいのは、このように意味記憶に強く、また勉強の内容に興味を持ちやすいからではないでしょうか。

そして、こういう人がいる確率は結構高いとわたしは思っていま す。2012年の文科省の調査によると、小中学校の児童生徒に発達障害がある確率は6.5%です。発達障害がすべてアスペルガーではありませんが、治癒するものではないので成人でも同じ率だとすると、30人の職場ワンフロアに2人存在する計算になります。実際、職場に「変わった人」がいる確率って、ちょうどこのくらいではないでしょうか。発達障害とふつうの人との境界にいる人も含めたら、この傾向がある人はもっと多いはず。

よくネッ トの掲示板で、「うちの新人が、有名大学を出ているのに全く使えない」という怒りの投稿を見かけます。このような人はわたしと同じ記憶パターンを持っているものと思います。

このような自分の傾向を知らないまま、向いていない集団に所属し続けてしまうと、人はどうなると思いますか?次回はそのあたり、アスペルガーと人を信じることについて、書こうと思います。