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アスペルガーと無人島のみかんどろぼう

人は誰でも、なんらかの方法で、その人をとりまく人々の役に立っています。

そしてそれぞれの人がお互いに誰かの役に立つことによって、蜘蛛の巣のようなネットワークが広がって、人の集団がつくられます。これが組織の成り立ちだと思います。

このような組織の成立は、「だれもが役に立つ」ということが暗黙の了解、大前提となっています。ある人が組織の役に立つような貢献をする場合、他の人もおなじように貢献してくれるだろう、というある種の信頼があるのです。互いに信頼を裏切ることなく貢献を継続してゆくことで、このような組織は平和に運営され、組織に所属する人への仲間意識、愛情も芽生えるでしょう。

さて、もしこのような組織の中に突然、何の役にも立たない人が入ってきたら、それまで穏やかだったその組織の、信頼によるネットワークはどうなるでしょうか。その役に立たない本人の気持ちはどうなるでしょうか。

わたしがそんなことを考えたのは、あるドキュメンタリー番組に登場した、痩せて浅黒い肌をした10代後半のある少年の言動に、心を突き刺されたような気持ちになったときでした。

その番組は、オーディションで集められた10代後半~20代初めの若者たち5人の、無人島生活のドキュメンタリーでした。その島には以前は 集落があったらしく、半分くずれた木造の空き小屋や古い井戸などがありました。

番組冒頭で、参加者一人ひとりが 参加理由などを語る映像が流れました。そこではひきこもりから抜け出るきっかけにしたい、万引きやケンカなどで警察のお世話になってばかりだったが立ち直りたい、といった内容が語られました。番組の趣旨としては、ダメ少年達が過酷な環境に負けず助けあって生活し成長する姿を描く感動モノにしたかったのでしょう。

問題の少年は、固い笑顔で不自然な重心のまま棒立ちし、落ち着きのない様子で、しかしとても嬉しそうに、小さい頃から今までずっといじめられてきたけど、ここで友達を作りたい、将来はお笑い芸人になりたい、と叫ぶように言いました。

話し終わると、少年は何度か奇声を上げながらバタバタと手足を動かしました。おそらく本人は一発芸をやっているつもりのようでしたが、何よりも人に見られていることが嬉しくてたまらない様子があからさまに伝わってきました。お笑いのレベルとしては男子小学生のほうが断然上ではなかろうか。正直言って映像を見ているほぼ100%の一般人とお笑い芸人たちが「こいつ、俺キライだわ~」と言いそうです。

さて、5人のうち過去にケンカばかりしていたという20代初めの元とび職の参加者が なんとなくリーダー的な役割となり、5人は寝泊まりすることに決めた小屋の修繕、水汲み、たきぎ集めと、ぎこちないながらも共同作業を行い、なんとか生活を開始します。途中からは裏の山で自生していたトマトなどを持ち帰り、農作業も加わります。少年達はいつも空腹で、魚を釣ったり山菜を探して山を歩いたりしていました。米とか持ち込みしてなかったのかなあ。

徐々に互いに打ち解けてゆくのですが、日が経つにつれ、事あるごとに小競り合いや殴りあいのケンカがおこるようになります。たいていは作業の公平性をめぐるケンカです。少年たちは毎晩緊迫した空気で話合いを行います。空腹も手伝い、話し合いはすぐにヒートアップし、「~って言ってんだろうが よ!」「んだてめえ!」などの怒号が飛び交い、無人島での共同生活は、さながら少年更生施設のような形相を呈してくるのです。

この話合いのなかで、よく責められていたのが実は例の芸人志望の少年でした。理由は、この少年がみんなで決めたルールを守らない、わがまま、勝手だ、など。本人は話し合いの間、黙ったまま泣きそうな顔で小屋の隅で体育座りをしており、テレビ上ではナレーションやテロップ が、彼が反省したようであることを伝えていました。

この少年は、メンバーのなかでは明らかに浮いていました。ほかの少年たちはお互いにケンカもしますが、この年齢特有の素直さで互いの距離を縮め、浜辺で50mダッシュ競争をしてふざけあったり、大笑いをしたり、 一緒に歌を歌ったりする映像が流れるのに、この少年が他の参加者としゃべっている場面はひとつもありませんでした。友達作るんじゃないのかい?

しかし数日後、この少年がある事件を起こすのです。

彼がかまどの「火の番」の担当になっていた時間に、なぜか彼は持ち場であるかまどを数時間離れ、別の作業をしていたのです。その間に不運にも火が燃え移り、小屋の一部にその火が燃え広がったのです。集まった少年たちは、燃える木材に自分たちの服をかぶせたり、桶に貯めていた水を大量にかけたりして、必死に火を消します。

その晩の話し合いでは当然ながらこの少年は厳しく責められますが、彼はやはり膝を抱えて黙りこむばかりでした。この少年に対するみんなからの非難や不満は、ふくれあがる一方です。

そしてさらにその数日後に、わたしの心に突き刺さる、とどめとも言える事件が起こるのです。

裏の山を探索していたメンバーたちは、蜜柑がたくさん実っているのを見つけ、歓喜します。みんなでこの蜜柑を摘み取って小屋に持ち帰り、食料が足りないときに計画的に食べよう、ということになり、全部をひとつに集め、保管したのです。

その後、実際に魚がほとんど採れず、山菜とこの蜜柑を分けあって食べる日々が続きます。

全員が空腹に耐えている、そんなときです。この少年が、保管してあるみんなの蜜柑を3~4個盗み、彼だけが知っていた秘密の棚に、自分だけが食べるためにこっそり隠したのです。そして、このことが偶然、仲間の一人に よって見つかってしまうのです。

ひどい。なぜそこまで、自分のことしか考えないのか。

当然、この少年はメンバー全員から糾弾され、ぼろぼろと泣く彼の顔の映像が流れます。彼の口からは「ごめんなさい」という言葉はもれますが、相変わらず膝を抱えて体育座りで顔は下に向けたまま。他のメンバーの目を見ようともしません。

「おめえ、自分がやったことわかってんのかよ!」と他のメンバーの怒りは収まらず、混乱は続きます。

しかし、わたしはこの少年に100%の怒りを感じることができませんでした。それは、この少年が人として絶対にやってはいけないことを、こんな状況でなぜやってしまったのか、すこしわかる気がしたからです。

彼はおそらく、他のメンバーを信じることができなかったからだと思います。

もしほんとうに食べ物が残りわずかになったら、その集団はメンバー全員に残った食べ物を均等に分けるべきだし、そうするだろう、とふつうの人は考えます。そしてほとんど、実際そのとおりになるでしょう。それはそのメンバー全員がそれまで、その集団に貢献してきた場合です。

しかし、おそらくこの少年はこれまでずっと、自分が属した集団に貢献することができないままその集団のなかでお荷物として扱われ、嫌われてきたのだと思います。そして、いざとなったらその集団から追い出されることを繰り返してきたのでしょう。

この少年は、そんなこれまでの経験から「いざとなったとき」に自分は食べ物を均等に分けてもらえないだろう、と無意識のうちに判断してしまったのだと思います。自分を守れるものは自分だけだと。

しかし、です。

この無人島生活の他のメンバー達は、そのときまで、この少年に対し、ひどい差別はしていなかったのです。おそらく、この少年が蜜柑どろぼうなどせず、誠意を持ってみんなの役に立つよう必死になっていれば、メンバーはこの少年に平等に接したことでしょう。にも関わらず、この少年が蜜柑どろぼうをしたということによって、他のメンバー達はこの少年にさらに厳しく当たるでしょう。この少年のネガティブな決めつけが、逆に現実になってゆくのです。

アスペルガー傾向を持つ人は、どの組織へいっても嫌われる。わたしは、そんな人のこころの構造を見た気持ちがしました。

役に立たないからみんなから嫌われる。嫌われるからみんなを信じられない。みんなを信じられないから役にたとうとしない。だからさらに嫌われる。

本人も、周囲の人も、どちらも責められるべきではありません。まず、出発点である『集団の役に立たない』ことを本人が改善するしか、この状態を変えることはできません。まず、自分が人の役に立つことは何だろうか、と客観的に検討することです。もちろん、自分に合う組織や職場を見つけることは、ふつうの人の何倍も難しいです。でも、誰も本人に変わって決めてくれる人はいないのです。

蜜柑どろぼうをしたこの少年の将来は、いったいどうなったのでしょうか。彼は、無事に社会でやっていけているのだろうか。

まずお笑い芸人は上下関係が厳しいから、あなたはその夢を追うことはやめたほうがいいよ、と彼に言ってあげたかった。次回は、この「夢を追い続けること」について書こうと思います。