夢をあきらめて

アスペルガーが夢をかなえる時

盲目的に夢を追いかけることは、やめましょう。

特に、職業において。

神様がわたしたちに与えてくれた時間は、意外と短いものです。まずは経済的に自活できることを目標にしましょう。そして効率よくキャリアを積めるよう、現実的に計画を立てましょう。

アスペルガー的な傾向がある、もしくはそうかも、と思う人。そして自分ができること、できないことを徹底的に分析したことがない人。まだ社会で働いた経験が浅く、どのような条件であれば自分が勤務できるのか、よく判っていない人。そもそも、どのような条件の会社や仕事が世間で存在するのかさえ、知らない人。どうか、慎重に考えてください。まずは、視野を広げてみてください。

その仕事が「好き」なだけではなく、あなたが実際に「できる」かどうかで判断することが大事。これは、なんとなくわかっている人も多いかと思います。

そのとおりです。それは正解です。

しかし、さらに大事なことが、アスペルガーを持つわれわれには待ち構えているのです。それは、「環境」。その仕事をどんな人とするのか、何人と一緒にするのか、その人たちとの連携の度合い、毎日同じ場所でやるのか異なる場所でやるのか、静かなのかうるさいのか、明るいのか暗いのか、体育会系か自由独立系か、休日も職場のイベントで駆り出されるか、サービス残業があるか、上司がやたらと飲みに誘う風潮か、などなどが、環境をつくるものです。

これは、会社案内をよくよく眺めてみても、入社前から予測することはほぼ不可能です。また、新卒の場合「卒業生訪問」ができたとしても、『オフィスはうるさいですか?』『隣の席の人との境には、仕切りがありますか?ない場合、何センチくらい距離があいていますか?』なんて質問、できるでしょうか?おそらく、本当にやる気がないと思われてしまうでしょう。

わたしがある医療職に就いたときはじめて、職場環境がどれほど自分にとって大切な要素かを知ることになりました。そこでは、上司、同僚との物理的な距離が、ほとんどの時間で予想外に近かったのです。常に複数の人間がわたしの1メートル以内で、なんらかのおしゃべりをしている環境でした。そのおしゃべりは、仕事に関することもあれば、関係ない雑談もあります。仕事に関するおしゃべりだった場合、新入りの立場として、すぐさま適切に反応しなくてはなりません。わたしは全神経を、同僚たちのおしゃべりに集中させ、それだけで異常にぐったりしてしまいました。わたしは自分の仕事そのものよりも、9割のエネルギーを「近くに人がいる」環境に対応すること燃え尽きてしまったのです。

わたしの例と同じく、職場環境を具体的に想像できていない人が、その仕事に就くことができた、あるいはその入口に立つことができたとしましょう。3ヶ月働いて初めて、これまで思ってもいないような問題が生じて「あれ?自分は向いてないかも」と気が付く、ということがあるでしょう。子供にものを教えることが好きなのに、教師になってから子供の顔が覚えられないことがわかる。動物は好きなのに、獣医になってから飼い主とコミュニケーションがまったくとれないことに気がつく。

アスペルガーではないふつうの人でも、職業の選択を誤ることはよくあるでしょう。しかしアスペルガーの人には、致命的な特性があるのです。

それは、一度始めたらがんばってしまうこと。それも尋常じゃなく、とことんまで、取り返しがつかないほどの努力と時間を投入してまで、がんばってしまうこと、そしてそれがやめられないこと、なのです。その仕事が自分が「好き」で選んだもので、なおかつ仕事そのものだけ考えた場合、自分にも「できる」ことであれば、それ以外の部分は努力と心構えでなんとかすべき問題だと思ってしまいがちです。

その結果、一人前といわれるレベルまでその仕事ができるようになるでしょうか?

いいえ、できないのです。そこまでしても、できないのです。

なぜ、できないのに続けるのか?

それは、発達障害やアスペルガーの人の、物事を真っ正直に理解する、真に受ける特性が悪い方向に出てしまうのです。「夢を簡単にあきらめてはいけない」「やればできる」と言われると、逃げることができないのです。がんばってしまうのです。理性が硬直し判断力がなくなって、がんばる以外の選択肢が見えなくなるのです。

しかも、今の日本ではなぜか「夢をあきらめない」ことが絶対的に正しい、という考えが蔓延しています。

メディアでは頻繁に「夢をあきらめないで」「あきらめたときが負けなのだ」「負けないこと逃げ出さないこと」「自分を信じて」というドラマのセリフや歌詞のサビが繰り返し流れています。日本中が「夢を追いかけていればその人はいい人、好かれる人。夢をあきらめる人はだらしない負けた奴」という空気になっていて、それは違う、とは誰も言えなくなっています。

しかし、メディアで正しいとされていることは、実はほぼ「理想」なんですよね。実際の社会では実現できない理想を、「こうだったらいいな」「こういういいお話もありますよ」「こういう世の中にしましょう」という意味を込めて番組や歌にしているのです。

ところがアスペルガーの人は、ふつうであれば成長過程で実際に善悪とりまぜた人間関係でもまれた結果培われるはずの、その人なりの価値観というものが、形成されていません。そのかわり、多くは本やインターネット、テレビなどで得る情報を元に、人間の感情について学んでいきます。わたしも、人がどんなときにどう感じるか、どういう態度をするかについてテレビドラマや映画から学び、それを社会の中である意味「演じる」ことによって、なんとか乗り切っています。だから、職場の人から「あなたは表面的」「仲良くなりたいのか放っておいて欲しいのか、よくわからない」と言われます。

アスペルガーの人は、そんな理想的なメディアのセリフを無防備に浴びてしまい、疑うことなく「自分には理解できないけど、これがふつうの人としては正しいのだ」「世の中の人が全員、こう思っているはずだ」と理解し、善悪の判断基準として無意識に取り込んでしまいます。

「夢をあきらめない」ことが100%正しいことと信じて、自分の能力をほとんど出せない職場で無能だと思われながら、働き続けるアスペルガーの人。

いえ、アスペルガーに限らずいまの日本、全体的に、「夢をあきらめない」病にかかっていないでしょうか?

大丈夫?
とわたしは思っています。

これらのセリフが出てきたら、どうか警戒してください。これはドラマの世界であって、テレビのドラマというものは、平均的なふつうの人を対象に製作されているものだということを、思い出してください。

また、職場の先輩は言うでしょう。

「まあ、初めは誰もできないから」
「とにかく慣れだよ、つらいのはみんな同じ」

先輩たちも、あなたがふつうの人だと思って優しさから言ってくれているのですが、現実は「みんな同じ」ではありません。人によって得意な能力には差があるし、つらさもみんな違います。

そんなテレビや周囲の空気の影響を受けて、アスペルガーの人はがんばってしまうのです。自分だってほかの人と同じようにがんばればできるようになる、と素直に考えてしまいます。また、日頃周囲から「わがまま」「自分のことしか考えていない」と罵られているため、もしいま逃げ出したら自分があきらかな「わがまま」になってしまうことの恐怖で、身がすくんでしまいます。さらに「つらいのはみんな同じ」なのに、自分だけが辞めて逃げるなんて、同期入社のあの人や、教えてくれた先輩に悪いじゃないか、という罪悪感も上乗せされます。

また、一度初めてしまうと視点が狭くなるため、その職場が世界そのものになってしまいます。その職場の人が世界を代表する人たちのように感じ、ほかの職場がこの世にあるという客観的な感覚もなくなってしまいます。所属しているクラスだけが世界だと感じ、いじめを苦に自殺してしまう中学生と同じです。

また、アスペルガーもそうでない人も、なにが幸せかはその人それぞれなんだから、夢を追ったほうがいいかどうかは誰にも判らない、それはみんな同じでしょ、という人がいるかもしれません。少し我慢してやっていれば、乗り越えられるかもしれないじゃないか、という言うかもしれません。

いいえ、乗り越えられないことはたくさんあります。そもそも乗り越える必要がないことかもしれません。目的は、本人が経済的にも自立して幸せに暮らすことであって、意味のないつらい修行をして生活を破綻させることではないのです。

アスペルガーの人が仕事を始めてみて、これまで思ってもいなかった不得意な面が明らかになって仕事に支障がでる場合、これは何年やってもうまくできないことが多いのです。相貌失認や微細運動の障害や方向音痴やコミュニケーション障害は、並大抵の努力ではどうしようもないのです。ふつうの人が「やったことないから、まだ苦手」というレベルではないのです。

何年も血の滲むような努力をして、あることができるようになったとしましょう。例えば、方向音痴の営業マンがプライベートの時間を犠牲にして莫大な時間をかけて、営業担当エリアの道を暗記したとしましょう。1年後、別の地域に移動になりました。また最初から暗記のし直しです。彼は人並みに成績を上げることができるでしょうか?おそらく道を覚えることに多くのエネルギーを注いでしまい、本業に力を入れることは難しいでしょう。

そんな人には、わたしは言いたいのです。

「夢を、あきらめて」。

と。

がんばることを、期限付きにして欲しいのです。期限は2年です。

アスペルガーの自覚があって、社会にこれから出る人や仕事がうまくいかなくて迷っている人は、まずやりたい仕事を選び、環境が許す限り多くの職場をアルバイトでもいいから経験してみてください。引きこもっている場合ではありません。若い時間は貴重なのです。

そして、その仕事で、思いっきりがんばってみてください。勤務時間外でも、考えられる努力は実行してください。それでも、もしアスペルガーの特性が原因で仕事が困難になったら、最長2年間がまんして続けてください。仕事が同じであれば、途中で職場や会社を変えても構いません。通算2年間おなじ仕事を継続してみて、その仕事が天職だと思うことができれば継続すればよいのです。しかし、その問題が2年たっても解決しなかったら、違う仕事に転職することを、自分に許してあげてください。

職業選択に何回か失敗したって、いいじゃないですか。

仕事を教えてくれた先輩への義理や、その仕事に就くためにお世話になった人や、この仕事でがんばりますと宣言してしまったことから、あなたは転職することへの罪悪感で苦しむかもしれません。しかし、だれもあなたの人生の責任はとってくれないのです。

また2年間のうちに、仕事ができないために先輩や上司からひどく罵倒されトラウマになるリスクもあります。しかし、そこは仕事。予め、怒鳴られるくらいのことはあるものだと覚悟をしましょう。謝罪の気持ちを持ちつつも、これは想定の範囲内だ、と心のなかでつぶやきながら怒鳴られましょう。

そうやって期限を決めて努力を重ねれば、2年後、あなたの能力を活かせる仕事や職場が見つかる可能性が高まると思います。またその感覚をベースに、ほんとうにあなたの能力を活かせる仕事を、時間をかけて迷いながら決めていってもいいのです。

正直言って、雇う側の会社や、先輩や同僚の立場になってみた場合、この方法は迷惑であることははわたしにも判ります。しかし最終的に天職が見つかった場合は、税金を使った支援のための費用をかけず、社会全体に貢献できることになります。また、なにより合法ですしね。

精神障害者として障害者手帳をとって、障害者枠でサポートを得ながら働く手段もあります。ひきこもりになって親にほぼ頼りきって働かずに人生を終える人もいます。女性であれば、よい旦那をつかまえて専業主婦として、同僚先輩から怒鳴られる経験もなく旦那と子供だけを支えて暮らすのも、幸せのひとつだと思います。

でもわたしは、知能が平均程度であれば、生活できるくらいの収入を得ることはできると思います(もちろん、知能以外の特性の程度によっては不可能なこともあります)。

生真面目で誠実で気が弱い(受動型の)アスペルガー気質のあなた。

どうか、夢をあきらめて(期限付きで)。