翻訳のしごとに必要なこと

”Sell your work, not yourself.”(あなた自身を売るのではなく、あなたの仕事を売りなさい。)

そうか。

わたしはそれまで、わたしが作るモノやわたしが行うコトではなく、わたしの性格、話し方、受け答え、雑談力、緊張しがちであること、笑顔が固くひきつっていること、などをひっくるめたわたしの人格やパーソナリティそのものを、売ろうとしていたのです。あろうことか、わたしのパーソナリティをパッケージ化して、それを提供することでご飯を食べていこうとしていたのです。

いま考えると、ぞっとします。他人がそれにお金を払うわけがない。

医療系の仕事に就いてはいましたが、個々の専門性はさほど高くなく、チームワークとして団結してはじめて治療集団として機能するような、コメディカルの一種でした。その前に転職を繰り返した一連の一般事務系の仕事も、先輩や上司を補佐するもので、「気付き、気配り、気働き」と笑顔、常識、円滑な雑談、コミュニケーションが仕事の重要な一部でした。

でもアスペルガー傾向のあるわたしが売るべきは、わたしというパーソナリティではなく、わたしが作るモノやわたしが行うコト、だったのです。

たとえば、わたしと逆の性格で、ものすごく「感じがよい」「性格もよい」、誰からも好かれるタレントさんがいたとしましょう。その人がサイドビジネスとして洋服のデザイナーになってブランドを立ち上げたとします。ビジネスとしては大正解で、そのブランドのHPではその服の縫製やデザインの説明よりも、そのタレントさんのイメージ写真に多くのスペースを使うでしょう。それは、そのタレントさんのパーソナリティを付加価値として商品に上乗せする商売です。あの○○さんが作った、という理由で、多くの人に売れるわけです。

わたしは、真逆なのです。

わたしが売るべき商品は、わたしという万人受けしないパーソナリティを排除したものであり、かつ大切なことは、品質が高く希少価値があるという点です。お客さんは、わたしというパーソナリティがどうであろうと、わたしが納期を守り、お客さんの手元に届く商品の品質が高ければ、喜んでお金を払うでしょう。そしてわたしには、その能力を身に付けるための努力は惜しまないという気概がありました。

"Sell your work, not yourself."

この言葉に出会って1時間後には、「医療翻訳」という仕事がこの世にあり、当時のわたしでもそれによって現実的に生計を立てることができそうだという見通しを、インターネットから得ていました。英語を使った事務の仕事と、医療系の勉強をした経験を活かし、かつ自分のパーソナリティからの悪影響を与えずに仕上げることができる「翻訳納品物」という商品を売る仕事です。

この仕事に就くにあたり、自分には有利な点が複数あることを、すぐにわたしは確信しました。

まず、英語日本語問わず、文書を読むことと書くことが好きだったこと。それまで長い期間、仕事でビジネス英語を使った経験があり、英語を読み解く楽しさや、自分で書いた複雑な内容の英文がネイティブに正確に通じたときの喜びを経験してきました。日本語にはない、英語ライティング独特の理論的な構成もまた、わたしにとって魅力的でした。また、日本語でですが、わたしが作成した営業報告書は、会社の役員さんたちからも「きみの上司が書いたものよりも、ずっと解りやすい」と高評価を得ていました。自分でも、相手に直接話して説明するよりもメールで送信させてもらったほうが明確に伝わるのに、とよく考えていました。

それから、パソコンとインターネットが好きなこと。わたしが英語力を上げるためには、パソコンとインターネットは必須でした。わたしは帰国子女でもなく留学経験もありませんが、ほとんどインターネットの英字新聞だけで Reading 力を、またTOEIC対策として無料のポッドキャストで Hearing 力をきたえ、結局 しばらくしてTOEIC900点超えを達成しました。

パソコンは昔から好きで、1995年にはまだ珍しかったアップルの Macintosh LC575を手に入れ、インターネットを始めていました。パソコンを持っている人がまだ周囲にいなかったので、パソコンを使ってメールできる相手がだれもいないような時代でした。当時から、近所の図書館で借りた「誰でもできるHTML」みたいな本を独学し、HTML言語を使って自力で自分のホームページを複数作ったりしていました。

実は、英字新聞や医学論文を読むにしても、効率よく、信頼できる情報を得るためのネット検索技術が高いことがとても重要なのです。パソコン専門誌にのっている、Google 検索についてのちょっとした小ワザが、すごく役にたちます。情報検索能力は、勉強、技術力向上のためだけでなく、実際に仕事の現場でもとても大事です。翻訳者は別名『検索者』と呼ばれるくらい、わからないことについて一定の信頼性のある情報を検索することが必須だし、またそのための知的好奇心も必要です。

わたしはポケットWi-Fi で自宅のパソコンと iPod touch の両方でテザリングできるよう機器を揃え、自宅と通勤時間の両方を、インターネットを最大限に活用した勉強時間にあてました。その iPod touch で英字新聞や海外の医学論文を読むとき、わからない単語をタップするだけで検索結果がポップアップされる辞書アプリをみつけ、複数の辞書を串刺し検索できるようにすることで、電車通勤の間の勉強も効率のよいものにしました。

パソコンとインターネットは、人類に産業革命と同じくらい大きな恩恵をもたらしたと思いますが、そのときのわたし個人にとっては、期せずして、それをはるかに上回るレベルの、重要な救いの手段となりました。18世紀半ばの「ふつうの人」は、もし産業革命が起こらなくても当時の社会に適応して幸せな人生を送ることができたはずですが、平成のわたしは、仮にパソコンとインターネットがなければ生活の糧を得ることすらできなかったからです。厚さ 7cm の紙の辞書を使って勉強したら、ページをめくるだけで莫大な時間がかかり、さらにふつうに英字新聞で使われている熟語のうち半分も記載されておらず、わたしは簡単に挫折してしまったことでしょう。

ビルゲイツさん、故ジョブズさん、ほんとうにありがとう。

それから、医療翻訳の仕事に就くにあたって、わたしにあったすばらしく有利な点は、医学に対する好奇心があること、でした。

高校生の頃、わたしの理系の科目は赤点に近く、自分には理系は向いていないと思い込んでいました。社会人になってから、医療系の仕事に就くために専門学校に通い、理系ではありませんが、解剖学、生理学、臨床医学の基礎を学ぶ機会を得ました。医師や薬剤師に比べたら初歩的な内容なのですが、そのとき、生まれて初めて学ぶ医学がとてもおもしろくてはまっていき、試験では求められていないレベルまで独学で勉強し、ノートにまとめていました。生理学の期末テストでわたし一人だけ100点をとったことがあり、当時、高校を卒業したてのまじめで優秀な若いクラスメート達から称賛の拍手を受けながらテスト回答を受け取りに教壇まで歩いた道が、かつて地味で赤点ばかりとっていた落ちこぼれ高校生だったわたしにとって、人生で一度だけの花道となりました(そのかわり、実技は落第と追試ばかりでしたけど。。。)。

細胞が、組織が、器官が集まって複雑に作用しあいながら、ヒトの身体を作る。わたしたちが日々悩んだり、また悩みすぎて身体を壊すのも、ホルモン分泌や神経細胞の活動の乱れからくる。心とその乱れはどのようにリンクしているのか?ナトリウムとかカリウムなんて単純そうな物質が、その乱れにどう関係するのか?神経インパルスって?遺伝子って何でできているのか?生き物と物質との違いってなんだろう。知りたいことだらけでした。

医療翻訳は最先端の内容を扱うことが多く、もちろん、まだ書籍としてまとめられていないようなテーマもあります。そんなとき、辞書訳だけで字義的に訳してしまう翻訳者もいますし、それでも誤訳とはいえません。しかし、わたしにはベースに

「なにこれ!知りたい」

という気持ちがあって、その気持ちにかられて、時間の許す限りにはなってしまいますが、せめてテーマの概要くらい理解するよう務めています。結局、それが勘違いによる大きな(そして恥ずかしい)誤訳をふせぐことにつながるのです。

こうして、わたしは「医療翻訳者になる」ことに決めました。

次回は、その後どのようにしてこの仕事に就いたのか書きたいと思います。