同じ空を見上げることの今昔

丸2ヶ月以上にもなる久しぶりに乗り込んだ電車は、止まることも遅れることなく、思っていたほどワクワクすることもなく、やはり文字通り、決められたレールの上を滑っていた。こうやって、泣く泣く運ばれた先でやることだから仕事は、なんとなく面倒なものとして片付けてしまうのかもしれないなと感じた。

霧雨が街を包む薄暗い、6月らしい天気の1日が終わる頃、全国で花火が上がったらしい。3、4日ほど前だろうか、ブルーインパルスが空に真っ白な虹を描いたから、同じ空を見上げることの豊かさを感じることができた。見ることは出来なかったけれど。今夜の花火にもおよそそのような側面が忍んでいて、同じ空を見上げることの豊かさを感じることのできる瞬間だったに違いない。見ることは出来なかったけれど。

あの頃は、この空が繋がっていて同じ空の下に生きるからこそつらくなることもたくさんあった。同じ空を見上げることで得られたのは妬みや僻みや、、形にならないものが多かったはずなのに、自宅に篭っているあいだにそんな後ろ向きな気持ちまで持っていかれてしまったようで、少し寂しい。なんにもない日々なんてきっとないはずだけれど、なんにもなかった日々が生み出す栄養素みたいなのもあったかもしれない。ハングリー精神?

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