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花咲くころ

ついに、この日がやってきた!

 サニーデイの思い出。私の人生の中で、主人公である私にこんなにも絡んで演じてくれるとは!?
 もう思い出、過去にしちゃうけど、一度きちんと区切りをつけないと。
 2008年夏、まさかのサニーデイ再結成の知らせで、どうしていいか分からないまま、時は過ぎた。「観たい!」に決まっているんだが、ついていけてなかった。しかし、満を持してというか、時は満ち、熟して、この日を迎えることになった。2009年春、花咲くころ・・・。

サニーデイ再結成後、初の東京公演。

 北海道はライジングサンロックフェスでの再結成後、しばらく音沙汰がなかったが、水面下では地道に活動を重ねていたようで、なんと新曲を引っ提げての登場となった。それは、当日に分かったことなんだが。しかも、21世紀の再結成にあたり、3人のメンバーだけでやろうと決めたとのこと。混じりっ気ナシ100%サニーデイのステージであること、そんなアナウンスも曽我部の口から放たれた。

 私は、この日のことを、mixiの日記にしたためていた。
 一生、忘れたくないことだと思ったから。
 ここに改めて、再掲載しようと思った。自分のために。

メンバー、田中貴のブログ記事から。

 ベースギターの田中さんが、サニーデイ再結成ライヴにあたり、こんなブログを掲載していた。たしか「そんな夜に」というブログだったと思う。
 そっくり引用させていただくが、埋もれさせてしまってはいけないと思ったから、それくらい大事な記事だと思うから、田中さん許してください。
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 大好きなバンド

2007年のROCK IN JAPAN FESの時のこと。
ぼくは、スネオヘアーのスタッフとして、初めてひたち海浜公園に行った。

広い芝生のバックヤードで、久しぶりに会った多くのミュージシャンたちと
談笑していたら、ふっと空気が変わった感じがした。

みんなが、さっと道を譲った先には
サングラスをかけて颯爽と歩く一人の男の姿があった。

ぼくは「チバちゃん!」と、手を振って思わず走り出した。

The Birthdayのチバユウスケ、日本を代表するロックスターだ。

駆け寄りながら、ちょっと不安になった。

以前、誰かに言われたことがあった。
「年下で、ちゃん付けで呼んでんのお前くらいだよ。」

当時ぼくらは、やんちゃな若者だった。

らしい。

礼儀知らずで、怖い者知らず。
「でもサニーデイの場合は、しょーがねーやつらだなーって許せたんだよね。」
先日のベース飲み会で、何人かの先輩にそう言われた。

thee michelle gun elephant解散後、
ウエノくん、アベくん、キューちゃんとは、色んな場所で会っていたが
チバちゃんだけは、すれ違ったことすらなかった。

数年ぶりなのに、失礼な話だ。
おまけに、もう若者ではない。

「あん?」
「しまった。」と思った。
ぼくのことを、その筋の人がやるように足下から顔まで二往復見回して
サングラスを取った。

「田中じゃねーか。オメーなにやってんだよ-!」
十数年前に初めて出会ったときと変わらない笑顔で、ぼくの肩を思いっきり小突いた。
懐かしさと、嬉しさと、小突かれた勢いですっ飛びそうになりながら、
「今日はスネオヘアーのライブ制作として来てるんだ。」
と伝えた。

「なんだよ、ベース弾いてないのかよ。なんで弾かねえんだよ。」
と言いながら、今度はチバちゃんが
「しまった。」
という顔をした。

「悪い。失礼なこと言った。
お前、どこでも弾きたい訳じゃないんだもんな。
サニーデイ好きなんだもんな。
あのバンドじゃなきゃベース弾きたくないんだもんな。
そんなに簡単に弾けねえよな。」

その言葉で、ミッシェルの解散がどんな気持ちだったのか、
そしてThe Birthdayを始めた気持ちが少し解った気がした。

チバちゃんは、本当にミッシェルのことが大好きなんだと思った。

バンドをやっている者にしか解らない気持ち。
そして、その仲間との別れを経験したことがあるものにしか解らない気持ち。

明日、ぼくがこの世で一番大好きなバンドでベースを弾く。
9年ぶりの東京でのライブ。

上野の桜は、きっと満開だ。

春。
あたらしい旅のはじまり。

天気予報は
晴れ、ときどきテポドン。

by 音楽家 田中 貴 | 2009/04/03 18:22

会場は、上野の水上音楽堂。

ここからは、私が当時したためたmixi日記から引用。
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 「9年ぶんの・・・」
2009年04月05日15:38

私の住む町も、あちこちで桜が満開。
昨日は暖かかったので、花も急に開いた感じ。
予定通り、私は上野恩賜公園へと向かいました。
前の晩は眠れないのでは、と心配していましたが、
花粉症を抑える薬の副作用は凄まじいもので、
目覚ましをかけ忘れようものなら、いつまでも目が覚めない。
町の桜は後回しにして、そそくさと出かけました。

上野も人でいっぱい。
でも私は桜を見に来たのではない。
言うまでもないが、きょうは「サニーデイ・サービス」の東京での9年ぶりのライヴ。
私にとっても9年ぶり。本当に、この日がやってきたのだ。

会場となる水上音楽堂の前は、人だかり。
きょうは「歌と花見の野外音楽フェスティバル Watching The Sky'09」である。
最後の最後であるチャンスで入手したチケット、
整理番号順なので入場は、本当の本当に最後でした。
でも一番奥、上手寄りの、前から7列目あたりの席を確保。運がいい。
何とステージ前は、桟敷席である。ござ敷いて座布団。
みなさんは、アルコールにおつまみなど、思い思いに持参して入場。

今回のフェスのメインアクト(トリ)は、海外からのジェシー・ハリス。
サニーデイの出演は3番手。14:55スタートである。
port of notesの畠山美由紀さんの美しい歌声に聞きほれつつも、
あと一時間と迫っているのが落ち着かない私でした。
30分前、ステージセット転換でスタッフ、そして代わる代わるメンバー、
ベースの田中貴、ドラム丸山晴茂、ギターと歌の曽我部恵一の3人が現れた。
サウンドチェックでスピーカーから出てくる音、一つ一つが懐かしい。
間違いなくサニーデイの音である。
音なんて空気の振動である。サニーデイがいれば、サニーデイの空気がそこにある。

時刻は14:55、定刻どおりステージ下手から3人が登場。
私にとっては、3人だけのステージは初めてである。
いつもサポートメンバーが、多い時は3人。
3人だけの何ともいえぬ、あの独特な空気。
この3人が集まった時にしか流れない空気である。
音数も決して多い方ではないので、ある意味スカスカとも言えるが、
そこがサニーデイのいいところかもしれない。
なんと!懐かしくも、B面というレアな「花咲くころ」からスタート。

「サニーデイ・サービスです。」
曽我部さんMCまであの頃と同じ。
人間なんて、どんなに離れて環境の変わった生活をしていても、
自宅に戻ると、昔の子どもの頃のようになってしまうのと同じなんだろう。
サニーデイは、メンバーにとってホームなのであろう。

「21世紀になったんで3人だけでやろうと・・・」
そういえば、サニーデイが解散したのは21世紀前夜ともいえる、
2000年の12月14日である。
3人で出来る限界もあるせいか、今回は新曲を4曲披露。
ソカバンでは、青春ロックギンギンの曽我部さんだが、
ちゃんとサニーデイにふさわしい曲も書けるのだ。
昨夏のライジングサンで、復活ののろしをあげ、
あの頃を再現するようなステージとは違って、今回は新曲もやったわけで、
きょうは、まさに新しいサニーデイのスタートを感じさせるステージになった。

だいぶ酔っ払って、演奏を聞いているどころでない若者が、
演奏中にバカ笑いしたり騒いだりと、ちょっと気になることもあったが、
まあ、きょうはそういうフェスであるから仕方ないのかもしれないが、
禁煙の会場内でぷかぷかやったり、平気で立ち歩いたり、
KYな若者が想像以上に増殖しているのは間違いなかった。

クロージングナンバーは「恒例の」3人がステージ前に現れての「コーヒーと恋愛」。
晴茂くんがカズーの吹き方を忘れるというハプニングがありつつも、
終始、和やかムードで45分の贅沢な時間は終了した。

前回の日記に貼り付けた田中さんのブログの日記、
あれを読むとなんか余計な想像までしてしまう。

曽我部くんは本当はサニーデイやめたくなかったのはわかる。
その後の活動は確かに充実している。
ソロ、ソカバン、ランデヴーバンド・・・。
しかしやはり満たされない何かがあった。
それは、サニーデイだったんじゃないかな。
これでいいんだ。
4つの活動パターンをうまくこなすのは容易じゃないが、
曽我部さん、これからも頑張って音楽続けて欲しい。
それは私にとって、言い換えればサニーデイもっとやって欲しいということだ。

★サニーデイ・サービス 2009/4/4 上野恩賜公園野外ステージ★
セットリスト

01 花咲くころ
02 恋はいつも
03 恋におちたら
04 星を見たかい?
05 若者たち
06 恋人たちは(新曲)
07 Somewhere in My Heart(新曲)
08 そしてぼくはうたをうたう(新曲)
09 ふたつのハート(新曲)
10 コーヒーと恋愛


(オフィシャルサイトから拝借)
(オフィシャルサイトから拝借)
(オフィシャルサイトから拝借)
(オフィシャルサイトから拝借)

      👆こんな動画を撮影していた人がいたとは!?

こうして、また歯車は回り出した。

 サニーデイの再結成が嬉しかったのは、言うまでもないが、私が私として立ち直れた、生きる希望が持てたきっかけでもあったのです。
 生きていれば、いいこともある。
 そう思えた瞬間でもあった。
 しかし、始まりがあれば、終わりは必ずやってくる。
 そういう覚悟もしなければならなかったのだが、まだそんなオトナにはなれていなかったのかも。
 ただ、こういう経緯があったということは、きちんと、自分のために記しておこうと、書き残しておこうと思ったのです。

 こんな春、暖かくなって、花咲くころになると思い出すのです。

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