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非/喫煙者のための煙草に関するnote

おれの勤めるオフィスビルは3階に喫煙所が入っていて、ビル中の喫煙者たちが集まってくる。20畳くらいの空間でカウンター席もあり、近頃の喫煙者のなかでは恵まれている方だと思う。冬は暖房、夏は冷房が効いていて、心地よく煙草が吸える。電話で商談をしているひとも少なくはなく、ここで生まれるコミュニケーションは質、量ともに、かなりのものだと思う。あるとき煙草を吸っていたら、吸い殻入れを掃除してくれるおじさんがいた。そのおじさんはスーツや社員証らしきものを身につけていたから、清掃員というわけでもなく、このテナントに入っている会社に勤めるサラリーパーソンなのだと思うが、そのおじさんがさも当然のように、置いてあるダスターで吸い殻入れ周りを拭いて去っていったのだ。その背中がかっこよくて、おれは喫煙所という不思議な空間について書こうと思い立ったのである(約5,500字)。


かねてからおれが言っていることに、喫煙者と非喫煙者(嫌煙家)との間に対話が足りていないということがある。非喫煙者からしたら、喫煙者や煙草の煙というのは近づきたくない対象であって、想像力を働かせたり面倒な対話をしたりするよりもとりあえず、禁煙ムーブメントを押しつけようとしているようなところがあると思う。喫煙所に禁煙週間のポスターを貼ったりしても、コストの無駄だよ。もちろん、吸いたくないひとに無理に吸ってほしいなどと考える喫煙者はまずいない。でも、吸わなくてもいいけれども、非喫煙者たちが吸いたくもないと思っているものに、価値を置いているひとがいるということを少しでもいいから想像してみてほしいのだ。喫煙者はかつては非喫煙者だったし、煙草を吸おうとしていないときの喫煙者も非喫煙者ということができる。喫煙者は非喫煙者の気持ちがわかるのだ。でもその逆はどうだろうか。人生で一本の煙草も吸ったことがないひとが、自分が煙たく思っているというそれだけの理由で、喫煙者の居場所を奪ってしまっていいものだろうか。この文章では、非喫煙者からしたらあまり馴染みのないような喫煙所の様子や煙草をめぐる経験を書いてみたいと思う。そんなことがあるんだ、とおもしろがってくれたらいいし、一本くらいなら吸ってみようかな、と思うひとがいたら、そんなあなたにはおれのお気に入りの銘柄を一本あげたいとさえ思うのである。

吸い終わりを揃える

「葦田、一服行くか」会社の同期が声をかけてくれて、一緒にエレベーターを降りる。喫煙所の入口には灰皿が置いてあって、各自それを使っては、出ていくときに吸い殻を吸い殻入れに捨てる、という流れだ。一緒に吸うひとがいると、なんとなく煙草の吸い終わりを揃えようという意識が出てくる。でもそんなとき厄介なのが電子タバコとアメリカンスピリットだ。なぜか。燃え具合がわからないのである。電子タバコは外から見ているだけじゃ一本のうちどれくらいを吸い終わったかが見えないし、アメスピは燃焼材が入っていないから、同じ大きさの煙草なのに燃えるのが極めて遅いのだ。だいたい一般的な煙草と比べたら1.8倍くらいの時間がかかる。だから、おれがアメスピメンソールに火を点けたら、同行者はだいたい2本吸ってくれる。逆に、本当に軽く一本だけ吸おうと言って喫煙所に来たときは、アメスピは吸わないでおくか、おれもうちょっとゆっくり吸ってくわ、と言って先に上がってもらうことにしている。

でも喫煙所に来るのは、一緒に降りてきたメンバーだけではない。あとからあとから上司や同僚がやってきたりして、それで吸い終わりを見つけるのが困難になったりする。5人くらいでひとつの灰皿を共有しているときは、もう吸い終わりなんて揃えようがないから、吸い終わっても他のひとを待ったり、「お先です」と言って失礼したりする。

喫煙者たちの共同体

わざわざ吸い終わりを揃えたりするように、喫煙には「わたしたち」の意識が伴う。喫煙者はマイノリティである。男性が約30%、女性が約10%、全体で約20%、という数字を覚えておくとわかりやすい。マジョリティはことさら自身のマジョリティ性、特権性を意識することはないが、マイノリティは自身のアイデンティティを強く意識する傾向がある。これは、多様性に関する議論でもよく言われていることだ。マイノリティである喫煙者の間には共同体の意識が立ち上がる。さほど強固な意識ではないが、喫煙者は初めて会う人が喫煙者だとうれしいものだ。それは、店選びの手間が省けるということ以上に、あなたも「わたしたち」の側だったのですね、というよろこびが大きいと思う。

ここで、そんなマイノリティ性に固執するくらいなら辞めたらいいのに、というのは暴論だ。マイノリティを併合しさえすればいいという理路の問題性は、他のマジョリティ/マイノリティに当てはめて考えてみたらすぐにわかることだと思う。もちろん、上で述べたように、特に喫煙者にとっては非/喫煙者という境目はしばしば横断可能なものなので、出自に関するマイノリティ性とまったく同じように議論することはできないが。

煙とともに浮遊する

喫煙所は不思議な空間だ。ただ煙草を吸うためだけの空間なのだが、ここにはそれ以上の趣を感じている。それには、煙草というものの特質が関わっていると思う。いうなれば、煙草を吸うとき特有のけだるさだ。けだるさとは、一般的にネガティブな状態であると思われがちだが、煙草を吸うときのそれは、自分自身の輪郭を一時的に解除して、世界に溶け込んでいくときのけだるさだと思う。

ジョルジュ・バタイユの断章に煙草にまつわる名文がある。

喫煙という祝祭は、人々に祝祭が行われているという意識を持続させる。しかしこの用途には、隠された魔術が存在する。喫煙する者は、周囲の事物と一体になる。空、雲、光などの事物と一体になるのだ。喫煙者がそのことを知っているかどうかは重要ではない。煙草をふかすことで、人は一瞬だけ、行動する必要性から解放される。喫煙することで、人は仕事をしながらでも〈生きる〉ことを味わうのである。口からゆるやかに漏れる煙は人々の生活に、雲と同じような自由と怠惰をあたえるのだ。

ジョルジュ・バタイユ『呪われた部分 有用性の限界』(中山元訳)

煙草を吸うとき、喫煙者は雲のような自由と怠惰を味わうのであって、煙を吐き出すときに、おれは自身を雲へと化けさせている。ひとりで吸うならひとかたまりの雲、ふたりで吸うならふたかたまりの雲、である。それらが近く遠く集まることによって、そこに空の景色が生まれる。喫煙所はある種の空だ。もちろん、ひとが多すぎたら曇天のような淀みを感じるだろうから、多いからといっていいわけではない。喫煙所という空におれはまたも雲を漂わす。

岸本斉史さんの漫画『NARUTO』に奈良シカマルというキャラクターがいる。頭はとてつもなくキレる男なのだが、ぼーっとすることが好きで、戦闘中にさえ、「あーあ…雲はいいよなぁ…………自由で…」という言葉を残している(『NARUTO』12巻)。ヤンキー座りしながらそんなことをつぶやく彼の姿は、まさしく喫煙者のそれだ。そのシーンのときは未成年だから喫煙はしていないけれど、彼ほど煙草が似合うひともいないと思う。彼こそ、喫煙にまつわるけだるさの体現者だ。ちなみにもっと後で(36巻)、ヘビースモーカーだった師をなくしたときに彼が初めて煙草を吸うシーンはNARUTOの名シーンのひとつだと思う。

喫煙者がだれか仲間を誘って煙草を吸いに行くとき、それは「雲になろうぜ」ということに極めて近いと思えば、煙草を吸いに出ていくひとたちの軽やかさが納得できるのではないかと思う。

煙草のメリット・デメリット

さて、煙草は一般的には害とされている。禁煙ムーブメントが今は盛んで、おれが長年世話になっている阪急電車の駅のホームにあった喫煙コーナーもコロナウイルスの感染拡大とともに閉鎖された。感染対策が少し落ち着いた今日にあっても、未だ再開の見通しは立っていない。街からも喫煙できる飲食店が減っており、喫煙者は肩身の狭い思いをしている。数が少なくスペースも小さい喫煙所で、文字通り肩身を狭くして煙草を吸っている。

ChatGPTに聞いてみた

つい煙草のデメリットばかりが取り沙汰されがちだけれども、メリットもあるはずだ。少なくともおれはメリットを感じている。メリットを感じているから吸っているというわけではないが、吸っていたらいいこともある、というのは事実である。そこで、ChatGPTに煙草のメリット・デメリットを訊ねてみた。

葦田:タバコのメリットとデメリットを教えてください。
ChatGPT:タバコの利点と欠点は以下の通りです。

メリット:
1. ストレス緩和: タバコに含まれるニコチンは一時的にストレスを和らげる作用があります。
2. 社交性: タバコを吸うことで、他のタバコ愛好家との交流や会話が生まれる場合があります。
3. 体重管理: 一部の人々は、タバコの摂取が食欲を抑制するため、体重管理に役立つと感じることがあります。

デメリット:
1. 健康リスク: タバコは、がん、心臓病、呼吸器疾患などの深刻な健康リスクを引き起こすことがあります。
2. 中毒性: タバコ中のニコチンは非常に中毒性が高く、やめることが難しい依存性を引き起こす可能性があります。
3. 環境汚染: タバコの燃焼によって発生する煙は、周囲の空気や環境を汚染し、非喫煙者にも有害です。
4. 経済的負担: タバコは高価であり、長期間にわたってかなりの金額を費やすことになります。
5. 社会的影響: タバコは他人にも悪影響を与える可能性があり、受動喫煙による健康リスクがあります。

一般的によく言われるようなことが書いてある。そして、これらのメリット・デメリットは案外煙草に限った話ではないと思う。試しにアルコールのメリット・デメリットを問うたら、以下のようになった(詳細は省略)。

メリット:「社交性の向上」「リラックス効果」「料理との相性」「心臓の健康」
デメリット:「依存性と中毒性」「健康リスク」「交通事故」「社会的問題」「経済的負担」

結局、煙草もアルコールも健康リスクや中毒性、経済的負担や社会的影響といったデメリットを抱えていることには変わりがないのであって、煙草だけが悪いものみたく扱われるのはイメージ戦略の差なのだろうと思う。ビールのCMなんかをみれば、流行りのかっこいい/かわいい芸能人がこれぞ生きる楽しみ、と言わんばかりの笑顔でお酒を呷っている。ウイスキーなら少し「大人な」イメージが、チューハイなら「フランクさ」のイメージが提供される。お酒が素敵なものである、ということを植え付けるために今日のアルコール産業や広告屋は多大な努力をしている。それでお酒は煙草ほど悪い印象を持たれていないだけなのであって、煙草だって、派手なCMが可能だったなら今日の扱いは変わっていただろうと思う。

ところで、ChatGPTが挙げ損ねている煙草とお酒のデメリットの差がある。それは、酩酊の有無だと思う。煙草は、ヤニクラこそあれど、意識が混濁するほど酩酊することはないのに対し、アルコールには、明確に酔いの効果がある。酒を飲めば気が大きくなって問題を起こすことがあるし、記憶がなくなることもある。そしてそれが常態化すれば、人格が変わっていきもするだろう。でも、煙草にはそれがない。この違いは小さくないと思っている。

喫煙者と非喫煙者の共生のために

喫煙者と非喫煙者が共生するにはどうすべきか、ということを書いておきたい。共生は、必ずしも仲良くすることと同じではない。満員電車で、うっとうしいと思いながらもそのひとのために少し空間を作ってあげるように、ちょっといやだけどこの場を共有しよう、というバランス感が共生には必要なのだと思う。そしてそのためには、喫煙者と非喫煙者がそれぞれにできることがあると思う。

喫煙者

喫煙者は、まず手前の吸い殻を手前で処理することだ。道端に落ちているフィルターは喫煙者のおれが見ていてもうれしいものではない。だからおれは、散歩中に見つけた吸い殻は拾って帰ることにしているのだが、それでも次の日にはまた吸い殻がたくさん落ちている。煙草は「空、雲、光などの事物と一体になる」ことができるということは先に述べたが、ならばなおのこと、自分が生かされているこの地球という器のことを意識すべきだ。この地は喫煙者だけのものでもなければ、非喫煙者だけのものでもない。だから、吸い殻は自分で処理するということと、周りに非喫煙者がいるならそっちに煙が行かないように煙を吐いたり火を消したりすべきである。火を点けたら消す、吸ったら処理する、という後始末ができない人間には自然の循環のうちに生きることができない。煙草は人間とのコミュニケーションツールであるのみならず、空、雲、光のような「他者」とのコミュニケーションツールでもある。そのことに思いを致すなら、吸い方(それはつまり消し方でもあり捨て方でもあるのだが)が変わってくるのではないか。

非喫煙者

非喫煙者は、煙草は身体に害があるのだから、すべからく廃止すべきだ、という考えを一旦保留すべきである。煙草にはたしかに害はあるものの、それはアルコールとも同じであるし、なんなら酩酊がない分、煙草の方が本人の害が少ないとさえいえる。喫煙者は、非喫煙者が価値を置いていないものによって当面のメリットを得ているのであるし、ひとが好んでいるものを、パターナリズム的に奪うことはある種の暴力であるという意識は持っておいたほうがいい。煙草を辞めるかどうかは最終的には本人の決意がいることだ。無理に辞めさせるのではなく、辞めるとこんないいことがあるよ、という提案や誘惑の手段を磨いた方がいい。しかし一方で、吸い殻を道に捨てたり、煙をこちらに吹きかけてくる人に対しては厳しくあってもいいと思う。迷惑な喫煙者は喫煙者にとっても迷惑だからだ。


さいごに

喫煙者も「きれいな空気」が好きである。なにも冗談ではない。いい空気を吸いたいのは誰もが一緒だ。いい空気のために、おれは今日も吸い殻を拾い続ける。喫煙所をきれいにしてくれたあのおじさんの背中を、おれは忘れない。

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