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オペラグラス越しにみる幻想

佐々木大光さんのお芝居について、抑えの芝居が見事だったと書いたけど言葉が足りないように思うので補足。SODA Special Edition2021で「台詞がない部分のお芝居が難しい」という話題があがっていたけれど、何故台詞がない状態での演技が難しいかというと、それは演劇が基本的にコミュニケーションの上に成り立つ芸術であり、台詞があるということは必然的に相手役との共同作業で芝居が出来る(モノローグの場合は観客との共同作業で場面を作ってゆく)から。つまりどんな演劇も全てアクションとリアクションに分解できるとするならば、役者にとって台本を読み込む作業とはひとつひとつの台詞/動きが誰に向かって投げかけられているのか、そのベクトルを探し当てる為の、目的地にたどり着くために地図を読むような行為だとも言えます。だから逆に、経験値の浅い役者が芝居に慣れてくるとセリフも動きも全部他の役者にベクトルを向けて投げちゃう、みたいな落とし穴もあるわけですが、佐々木大光さんの芝居達者ぶりはそこにあって、皆が台詞のない場面で怒りや苛立ちを相手にぶつけたり、仲間同士で感情を共有するような演技をしている時の彼の居方。芝居のキャッチボールに参加せず、怒りを抱えて突っ立っている姿がなんとも印象的でした。(突っ立ってるって言い方悪いなと思われるかもしれないけど、舞台上にただ立っているのって本当に難しい。マジ風姿花伝。)クールな役どころ、とか静かな大人っぽい芝居とかそういうことじゃなくって、ただマッチを擦ったら火がついてぼうっと燃えているかのような。若者が初めて「怒り」と出会ったとき、自分の感情を持て余してしまう、一瞬どうしていいかわからなくて呆然とするその瞬間を、舞台上の彼に見たような気がします。舞台のストーリーからは逸脱するようだけれど、仲間の為とはいえ、その一瞬のタイコウは舞台上で一番孤独な人で、だからか不思議に目を引いた。
それで何故この演技が良かったかというと、そういう人を周りの役者が放っておくはずがないからです。本筋を乱さず、むしろ深める良質なドラマが生まれていた。(決め打ちなのかもしれないけれど)その後すぐ琳寧くんが絡みに行っていて、おおこれが「仲間」じゃん!と膝を打ったし、琳寧くんの舞台上での反応の瞬発力と脚本解釈の嗅覚にかなり本気で戦慄しました。怒りによって絆が深くなるって、この芝居の芯にくっきり当たっているというか、作品全体の温度感をきゅっと引き締める名プレーだったと思います。

他のメンバーの芝居の話もしたい。続くかも。

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