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坂本沙季20.やさしいにめいいっぱい手を伸ばしたい

最近、すごく遠いものに惹かれる。
遠い場所、遠い人、遠い記憶、遠い感覚、、
知らないことで、自分からものすごく遠かったり、もう出会えなかったり、行けないところだったり。

出来事や言葉には確実に見えていないところがあって、真実なんてものは無いなんてことをよく言うけれど、その自分の知らないところを私は"遠い"だと思う。


久しぶりに会う友人の出来事に出てくる新しい登場人物を自分は知らない。顔も人柄もわからなくて、そのときにどんなものを見ていたのか知ることはできない。ものすごく遠い。
知り合いのSNSの美しい写真の場所を知らない。どこで、どんな空で、どんなものが周りにあって、誰といたのか。
とても嬉しいことがあった というツイートで、その人になにが起こったのかを知らない。どんな嬉しいことだったのだろう。本当に嬉しいことだったんだろうか。
私のことを自分と書くのは癖じゃなくて、私のことをわたしと書くのも癖じゃなくて、使い分けているところがあって、そこに何を考えて分けているのかを説明しない。

昔、テレビ番組でどこに住んでいるのかわからない人物に会いに行く番組があって、それを思い出した。昔の写真があるのと名前しかわからなくて、すごく遠いところまでも行ったりしていた。それだけの情報でも見つけて、会うことができて、喜んでいたのがすごく印象に残っている。もしかしたら、自分がもう二度と会えないと思っている人にもいつか会えるのかもしれない。

東京ジャーミイという場所に行った。都内なのに急に異国に来たようになる。入り口に少しの段差があって、線引きを感じる。遠い場所へ来た気持ちになった。匂い、音、声、文字、色、絵、壁、人、味、いろんなものが日本に慣れた自分の身体と遠くさせた。

私の知らない家族、友達の出来事。その人の出来事の中の知れない景色。
自分自身の見ていない場所。
遠いものが常に隣り合わせになっていることを知って、愛しく想う。


良いことにも悪いことが起きていたり、悪いことにも良いことが起きてるかも知れないくて
そのときの、それを、知らないでたぶん終わってることがたくさんある
だから、なるべくやさしいところをたくさん掴んで、愛しいものを集めて健やかに生活したい。


今は、速度感とか瞬発力とかだけの荒く、薄く、信頼のない言葉が溢れていて
何を受け取ればいいのかを自分で選ばなきゃいけないのかが強い
見えないほうにすり減ったり
変動していくトレンドに忙しなくなったりして
取り払えないデジタルとどう向き合うかを考える
荒く見える言葉にももしかしたら、別の意味があるのかも知れなくて、
そんな言葉とずっと一緒にいようとは思わないけど、あるならあるなりに向き合ってみて
なるべくやさしいほうに手を伸ばせるようでいたい

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