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坂本沙季35.ガチャガチャしたらドーデスが4つも出た

noteをすこし、おやすみしていた期間に、本当に、
いろんなことがあって、いいこともわるいこともたくさん変わりました。


未来の予定を入れることは、とても安心することだけど、少しこわい。だから、お芝居の予約とか、遊びに行く約束とかするのちょっと、心の山を乗り越える。
その分、私たちのことを観に来てくれるひとがいることが本当に嬉しい。
いつも山を越えてきてくれてありがとう、と思う。

先月末は、引っ越しをした。
今住んでいる場所から一度、実家に戻ります。
もうこの場所には戻ってこれないんだ、と思うとちょっと寂しい。結構寂しい。テレビも洗濯機もWi-Fiもない中で、ちまちま暮らして、なんとかやりきったなっていう達成感がある。いつも公共料金をコンビニに払いに行くときに生活を感じてた。

最初の1年くらいは、コロナのこともあって引きこもっていたからご飯を作って、本を読んで、お花を買ってきたりしてた。新しい毎日がちょっと楽しかった。ロフトのある家を探して、この部屋に出会ったときのことを、まだ思い出せる。

2年目からは、いろんな余裕をなくして、気がついたら花も買ってないし、自分でご飯も作れなくなってた。こういうことは意図的にしないんじゃなくて、気が付いたらなくなってる。支えるものが全然なくなっていて、いつのまにか1人だった。でも、家に帰れば自分の寝る場所が確保されてることが、本当に素晴らしいことだと実感する。自分の部屋があれば、わたしは1人でも眠れる。でも、わたしにはこの部屋の大きさが自分の大きさより有り余っている気がして、引っ越そうと思った。
この部屋は本当に寒くて、天井が高いからかいつも虚無があって、階段の音とかポストに物が入る音とかにびくびくしてた。でも、窓が3つもあって、日中は電気がいらないし、入ってくる光がとてもきれいだった。わたしはたぶん、この家好きだったんだと思う。
この部屋に住み始めたとき、初めましての生活に、初めましての状況が到来して絶望してたけど、すっかりそれに慣れた。慣れなきゃならなかった。人が淹れてくれるコーヒーが一番美味しいときだった。

あたらしく、次はどこで暮らすのかわからないけれど、新しく始める予定はまた、こうやって、記憶の積もる部屋と別れなきゃならないのかと思うと、その予定は心の山がいつもより大きい。ぼんやりと、ひとりで死んでいくのは嫌だなあとは思うから、誰かと暮らせばいいんだけど、実家にはいられなくて、つくづくどのような相手であっても、かたちであっても、一緒に居続けるのって難しいと思う。

このあいだ、鴨の群れが池で泳いでいて、水面がきらきらしてて、綺麗だなーって思った。鴨はどうやって暮らしてるんだろう。
生活について考える。
小さい劇場に入って、開演するまでの時間のだいたい20分くらいとか、席に座っている時間が好きで、そこで本を読むとすごい集中できる。自分の部屋が、確保されるときと同じ感覚。
今月、たぶん10冊くらい本を買ってしまっていて、そんなに読めないのにと思うけど買った。その日がるんるんになるから仕方ないと思う。大切な人にあげようと思っていた本、渡せなくて、引っ越しの荷物にいれてしまった。まだあけてないし、渡すつもりもないけど、自分で読むつもりもない。

この部屋に住んだみじかい2年の間に何人もの人に出会って、何人もの人と会わなくなった。noteをはじめて、いろんなことを書き留めるようになった。昔から日記をつけているから書き留めるほうではあったんだけど、文章の在り方が全然違う。読み返すと、私のことを理解してくれる友人がたくさんいたんだなって思う。わたしの書き留めているものを読んで、反応をくれる人がときどきいてくれて、そのときどきをいつも思い出す。

人見知りして、勝手に敵を作るくせをやめたい。みんなのこと好きだから話しかけてほしい。差し入れを考えるのに、ゴミになるかなとか荷物になるかなとか考えて、結局渡せずに帰るのもやめたい。これは2022年の目標。大切にしてたコップを引っ越しのときに割ってしまった。

かなしくてもお腹は減るし、卒業式は近づいてくる。
一人で喫茶店に入って本を書いていても、誰かを待ってる気持ちになる。ホームセンターで見つめた魚、あのときも飼えないって、やっぱり思ってた。言えてないことがたくさんある。

駅にあったガチャガチャたくさん回したのにコジコジは一度も出なかった。

君は知らないもう少しできっといつか忘れていく。

今日も退屈な日々にさようならをを聴く。
あと、グレープフルーツとエメラルドです。

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