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静止する

昨年、スターシードkuさんのセッションを受けて以来、

「静止する」がわたしのテーマでした。

「静止することで、氣づきにつながり大きく飛躍する」とアドバイスをうけたからです。

セッション中「それなら瞑想はしています🧘」と答えましたが…
それとは違うとのこと。
その時は「徐々にわかりますよ」言われましたが詳細はわからず💦

しかし、振り返ると確かに、いつも行動している最中に、次のアクションを考えていたりしていて…忙しい。
全てにおいて丁寧でないな、と思い至りました。

それで、静止までとはいかないですが、まず

丁寧に一つ一つの動作をする

を意識することにしたのです。

お水を飲む…歯を磨く…洋服をたたむ。
どれも、流れるように適当にしていたことに改めて氣がつきました。

しかし今日、「静止する」について、もう一段階、腑に落ちた感じがありました。

あつこつさんの勧めで観た、エックハルトトール著の「沈黙は語る」のYouTube動画の言葉が響いたからです。

静寂な心こそ、あなたの本質です。
ただ静寂に氣付くだけでいいのです。静寂に意識を向けるのです。
静寂に耳を傾けるとあなた自身の静止の次元が目を覚まします。
あなた自身が静止していない限り、静寂の次元に氣付くことはありません。

静寂が研ぎ澄まされた状態になると、それは心が研ぎ澄まされた状態に氣付くはずです。これは言うなれば、「わたしが在る」という状態です。

樹木や草花を見つめてご覧なさい。自然と心を一つにするのです。
いかにそれがじっとしてちるか、いかにそれらが「大いなる存在」にしっかりと根をはっているのか、じっと静止する術を自然から学ぶのです。
自分が万物と一つになったと感じること、それが愛なのです。

すきま、スペースに意識を向けてみてください。
二つの思考の隙間に、会話中の言葉と言葉の間のちょっとしたすきまに。ピアノやフルートの音符と音符の間に。吸氣と吸氣の間に。

こうしてすきまに意識を向けるとき、対象に向ける意識は、純粋な意識そのものに変わります。
純粋な意識である、形態ない次元があなたの内から現れ、形態による認識に、とって変わられるのです。

考えてみると、これまで同様のメッセージを、色々な角度から同じように繰り返しもらっていたことに氣づきました。

静止は何も仏像のようにじっと動かない、っていうことではないし、静寂の次元も物質的な音のあるなしにかかわらない、

心を研ぎ澄ませることでその次元に至ることができるのです。

今後も「静止する」
を意識しながらも、3次元での行動にもチャレンジをしていきたい、

まだまだ探求は続きます。

🌟今日もお読みいただきありがとうございます🌟

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