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不思議な日本舞踊

29歳で日本舞踊をはじめて4年半が経った。

この世界に入る1ヶ月前までは自分が古典に触れることは想像していなかった。急に始めて、一方的にのめり込んでいった私の目には、日本舞踊はたいへん不思議なものに写っている。

日本舞踊は「その家に生まれたか」が決定的に大事であるが、私は幸運にもそれ以外のきっかけから日本舞踊と出会うことができた。

両親が着物を着ているのは見た事がない。洋服を着て、少年ジャンプとロックバンドで育ち、今でも「すごいよ!マサルさん」とスピッツが大好きで、時々WANDSが聴きたくなる。至って普通の33歳だ。

そんな私が「第二の人生」と言っても悪くない日本舞踊のある生活を始めたのが2016年。初めて出会う様々な風習に最初は戸惑ったが、その戸惑いは大体正しいということが年季を重ねるにつれ次第にわかってきた。

その鬱憤を晴らす意味も込めつつ、日本舞踊の魅力をなるべく発信できるような文章を増やしていきたい。できれば継続して書きたい。



日本舞踊は「にちぶ」という言い方が一般には親しまれていると思う。最近ではそれすら親しまれていないかもしれない。しかし日本舞踊は、60年ほど前に演歌の力を借りて大ブレイクした。これがこの芸能が誇る唯一のスマッシュヒットである。

衣装や小道具は飛ぶように売れ、「花嫁修行。義務感でやるもの」という印象が強かった習い事が一転「エンターテイメント」「日常の楽しみ」として迎え入れられた。

結局、次の世代は誰も飛び付かなかった。今でも日舞のコア世代は70~80代の女性だ。彼女らは演歌でしか踊らない。その世代のつながりは強固である。

「演歌で踊る人たち」は「古典の曲で踊る人たち」とは別のところでたった一つの大きな山を形成し、その形のまま時間軸をきれいに右にスライドした。今では認知症や足腰の限界、死別など、自然な理由でその規模を縮小させている。そこに行けば薬の話、デイケアの話で持ち切りである。「疲れたわ〜」が最もよく聞くフレーズだ。

でもみんな元気だ。着物を着て、おめかしして、髪を飾り、何より人前で踊る。ずっとそれを繰り返している。これが、世間一般に「にちぶ」と聞いてイメージする世界の現状であり、20年後には消滅するだろう。だがそれがどうしたというのだ。彼女たちは生きているうちは踊り続ける。



いっぽう古典で踊る人たちはというと、メインの客層は団塊の世代で、その太客を相手に世襲制でメンバーを入れ替えつつも継続している。特に歌舞伎は「顔と声を売る」部分が大きいのもあって、テレビによく出ている。どの世代にも一定の認知度があり、若い客も一定数取り込んでいる。海老蔵や花柳凛、中村勘九郎などだ。

実はそれがたいへん頼もしいことで、日本舞踊は根本的には歌舞伎がしっかりしてくれないといけなかったりする。

歌舞伎は男しかやれない。だが、彼らのそばで生活する女性たちだって指を咥えて待っているわけにはいかない。「私たちも何かやりてえ」となって、日本舞踊の出番である。彼女たちは華麗に舞う。客だって、男ばかりの舞台のあとは女がみたい。

そういう歴史があるから、演歌よりも前から女性社会なのが日本舞踊の特徴である。

日本舞踊の技術は歌舞伎で開発されたモノが多い。それがベースにある日本舞踊の一派を「歌舞伎舞踊」とも呼ぶ。ちょっと違うけど、大体そうだ。だから、日本舞踊は歌舞伎の女房役と言っていいのかもしれない。

歌舞伎の背景には、さらに能がある。ストーリーや登場人物、楽曲など、モチーフを何かと能に頼っている。そうとも言い切れないが、大体そうだ。

能は平たく言うと、日本の神様・怪物など寓話的にかっこいい(かっこいいのだ)部分を一手に引き受けている、超大手の芸能だ。なのでそれをモチーフにして舞台を作りたいと思うのは舞台作家の自然な欲求だと思う。

だから日本舞踊の演目一覧にも「鵺(ぬえ)」「猩猩(しょうじょう)」といった架空の動物がそこらじゅうにあるが、元を辿れば能の演目である。そういえば「麒麟」も神話的な動物の代表だが、演目のリストでは見た事ない。あるのかな。

要約すると、日本舞踊は「能」「歌舞伎」「演歌」でかなりカバーできる。異論は受け入れるが、大体そうである。この3つはまとめて一つの大黒柱である。

もう一つの大黒柱がある。「女性」である。この二つの柱を両翼に持つ、平等院みたいなタイプの建築が日本舞踊の構造である。

この「女性」という柱について深掘りするのは非常にややこしいので避けたいが、主成分は「能」「歌舞伎」「芸者」だと思ってくれて大体OKである。

「黒髪」が能で、「藤娘」が歌舞伎で、「祇園小唄」が芸者。こんなところだ。

次は身体技法、体の使い方の話が書けたらいい。

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