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A is for Anti-Sexual:Aセクシュアルがここにいる

 こんばんは。夜のそらです。
 もうすぐ、この「夜のそら:Aセク情報室」を始めてから1年になります。このブログを始めた直接の大きなきっかけは、「Aセクシュアル・マニフェスト」(Asexual Manifesto)を日本語で紹介したいと思ったからでした。ただ、それだけでなく、Aセク(Asexuality)についての日本語の情報源のひとつになれたらいいな、という思いでブログは書いていました。自分としては、そこそこ頑張ったと思っています。

1.わたしの結論

 でも、もうすぐ1年、ということで振り返ってみると、最近は自分の(A)ジェンダーについての話題が増えてしまいました。もちろん、Aセクシュアルであることと、Aジェンダーであることは、わたし個人のなかでは切り離せません。でも、自分の(A)ジェンダーについては言葉にできないと思っていたし、人に伝えたいとも思っていませんでした。ところが、今年2月の『現代思想』に千田先生のトランスフォビア論文が出て、自分の(A)ジェンダーの経験や感覚・感情、わたしから見えている世界についても、書いてみようと思いました。(その記事を書こうと決心したのは、わたしが心の中で勝手にお姉さんだと思っているゆなさん(@snartasa)のブログを読んで、ゆなさんを独りにしたくない、と思ったからです。)でも、最近は、メンタルもフィジカルも体調不良で、ますます「Aジェンダーの呪いの言葉」を書き出す場所になっています。
 とはいえ、せっかく1周年なので、初心に帰ってこの記事ではAセクシュアルについて書こうと思います。ただし、この記事の最期の方で書くことは、Aセクシュアルコミュニティでは一般的ではありません。わたし(夜のそら)個人の考えであることは、理解してください。

 半年くらい前から、英語圏のAceコミュニティの全体的な雰囲気に対する違和感が増してきて、この2か月は日本語Twitterと英語tumblerも遮断していました。結果として、自分の考えを一人で進める機会に恵まれました。SNSを断つことで自分のAセクシュアルのアイデンティティが弱まったりしないか、正直言って不安でした。でも、そんなことはありませんでした。
 そうしてわたしが出した結論が、タイトルにある「A is for Anti-Sexual」です。「Aセクシュアルの「A」は、「反(アンチ)性愛」の「A」である」という結論です。 ※英語でAnti は本当は「アンタィ」と発音します。

2.Aセクシュアルとは何か?

 はじめに、Aセクシュアル(Asexuality)について、いまの世界中のAセクシュアルたちで(ほぼ)共有されている共通理解を書いておきます。
 まず、Aセクシュアルは性的指向です。異性愛、同性愛、バイセクシュアル、パンセクシュアルと同じ、性的指向です。その意味は、誰にも性的に惹かれないこと。つまり、誰からも「性的な意味で」魅力を感じないということ。ざっくり言うと「この人と性的な行為・交渉をしたい」という風に感じるジェンダーの傾向が存在していない、ということです。
 次に、Aセクシュアルは性的アイデンティティ(sexual identity)です。これは、異性愛の人にはよく理解できないかもしれません。なぜなら、異性愛者の人は、ふつうに生きていて「自分は異性愛者だ!」と強く意識することがないからです。しかし、Aセクシュアルの人はそうではありません。この世の中では、人間は全員が(異)性愛者なのだ、という考え方が支配的で((hetero)sexual-normativity)、そのため「Aセクシュアル」という性的指向を生きている人は、異性愛者とは違って「自分はAセクなのだ」という明確なアイデンティティを持っています。
 Aセクシュアルが「アイデンティティ」であるということのもう1つの意味は、「誰からも性的な魅力を感じない」という自分の経験に対して、ネガティブな価値づけをしない、ということです。例えば、現在ふつうに病院で処方されている統合失調症の薬のなかには、性欲を大きく減退させる副作用を持つものがあります。その副作用の結果として、誰からも性的魅力を感じなくなる人がいます(「性欲」と「性的魅力の経験」は同じものではないですが、関係することもあります)。
 そうした副作用を経験する人の中には、そうした自分の状態=経験をネガティブに価値づける人が当然います。これは悪い副作用で、よくない状態=経験だ、ということです。きっとその人は、その状態=経験が早くなくなってほしい、治ってほしい、と願うでしょう。
 それとは違って、Aセクシュアルの人は「性的魅力を経験しない」という自分の経験=状態を「悪いもの」や「治療されるべきもの」とは考えていません。なぜなら、それがほかならぬ自分であり、そこには「改善すべきもの」など存在していないからです。これが、Aセクシュアルが「アイデンティティ」であるということです。ですから、性的魅力を経験しないすべての人が、自動的に「Aセクシュアル」になるわけではありません。そうした経験=状態を「これでいいのだ/これが自分だ/何もおかしくない」という風に理解することで、初めてその人は「Aセクシュアル」になるのです。(このときにはもちろん、「これは自分だけの経験じゃないんだ」というコミュニティの発見、コミュニティへの帰属意識が大きな影響を及ぼします。だからコミュニティは大事なのです。)
 私たちが語っている「Aセクシュアル」は、「心身のネガティブな状態」とは別のものであり、繰り返すように「性的アイデンティティ」としての性的指向なのです。

3.「ない」ってどんなこと?

 さて、いきなり話は変わりますが、最近どうやら日本語Twitterで「Aセクシュアルは存在しない」というAフォビックな主張をしている人がいたようです。わたしはその事実を羽田さんのnote記事を通して知りましたが、Twitterはアンインストールしているし、詳しく調べるのは精神に悪いので、詳しくは知りません。(ぱっと見た感じ、英語圏でわたしが腐るほど見てきた陳腐なヘイトや無理解を披歴しているだけのようでした)。
 わたしは、Aセクシュアルという性的指向の存在を認めたがらない人間がいることを知っています。人はデフォルトで誰かを(性的に)好きになる生き物に違いない、と信じて疑わない人が世の中にはたくさんいます。
 わたしは、Aセクシュアルという性的指向の存在について、当事者よりも自分の方がよく分かっている、と信じている人間がいることも知っています。マイノリティの経験に耳を傾けることをせず、自分が考えていることは正しいのだ、だから「当事者」の意見など聞くに値しないと思っている、そういう愚かな自信を持つのはマジョリティの基本スタイルです。
 そういった人たちの多くは、ところでAセクシュアルである私たちの「ない」の経験を誤解しているようです。しかし、Aセク当事者たちのあいだでも、この「ない」についてはあまり明確に考えたことがない人が多いのではないでしょうか。そこで、この記事ではそのことについて集中的に考えたいと思います。Aセクシュアルの「A」は、否定の「A」です。しかしその「A(ない)」とは、いったいどのような「ない」なのでしょうか??? 

4.「ない」のバリエーション

 例えばあなたが、「乃木坂46のなかで誰が好き?」と聞かれたとしましょう。この質問に対する正しい答え方は、メンバーのなかで自分が好きな人の名前を挙げることです。ですから、「白石さん」や「西野さん」という風に回答するのが、その質問に対する正しい答え方になります。(今Googleで調べて出てきた名前です)

(1)とはいえ、乃木坂46のことを全然そもそも知らない(わたしのような)人も、いますよね。そうした人にとっては、「誰が好き?」というのは困った質問になってしまいます。その人は、乃木坂46のメンバーをそもそも誰も知らないので、「このなかで誰が好き?」という質問に答えるための前提がそもそも欠けているのです。こういうとき、その質問は「NA」であることになります。NAは Not Applicable の略です。つまり「質問として自分に適用できないよ」「だから回答できないよ」ということです。(例えば、日本人なら「あなたの宗教は?」という質問にNAと応える人は多いのではないでしょうか。ここでNAは「無神論者」や「反宗教」とは違います)

(2)次に、乃木坂46は好きだし、好きなメンバーも何人かいるけれど、「誰が好き?」という風に限定して聞かれたら困ってしまう。まだ誰を「推し」にすべきか迷ってる、という人もいるでしょう。そうした人は「誰が好き?」という質問に対しては沈黙するしかありません。好きなメンバーが決まっていないし、今すぐに決めたくもないので。この(2)の人は、(1)の人と同様に、質問に「無回答」になります。しかしその無回答の意味は、(1)の人とは全然違います。

(3)それとは別に、乃木坂46のことはよく知っているけれど、メンバー全員が嫌いなひと、というのも(普通に考えたらいないと思いますが)存在するかも知れません。そうした人は、さっきの「誰が好き?」の質問に対しては「好きな人はいない/全員が嫌い」と答えることになります。(3)の人も、好きな人がいないという点では(1)や(2)の人と同じですが、先ほどの「無回答」とは違って、「好きな人はいない」という明確な回答がありますね。

(4)最後に、乃木坂46のことをとてもよく知っていて、グループが大好きだけど、グループ全体が好きなので特定のメンバーを好きになることはない、という人もいるでしょう。ある意味でその人は「全員が好き」かもしれませんが、あくまで「グループ全体として好き」なので、メンバーを好きになる、という概念が適さないと考えています。そういうわけで、この(4)の人の回答も「好きな人はいない」になります。これは「無回答」に近いかもしれませんが、(1)(2)(3)のいずれの「ない」とも違った意味での「好きな人はいない」です。

 さて、これまで乃木坂46を例にして、「好きな人はいない」という同じ状態でも、質問の答え方に色んなバリエーションがあることを見てきました。(1)~(4)の人は、「好きなメンバーは??」という質問に対する答えを持っていませんので、「自分には好きなメンバーが存在しない」と全員が考えています。しかしその答えは、「無回答」にせよ「いない」という回答にせよ、それぞれで全然違った意味を持っています。「ない」という状態を答えるのにも、とても多くのバリエーションがあるのです。

5.Aセクシュアルには何が「ない」?

 以上を踏まえて、Aセクシュアルに含まれる「A(ない)」について考えてみましょう。この「A」は、先ほど見たように、性的に惹かれるジェンダーが存在しない、という意味の「ない」です。他者から性的魅力を感じるという経験が存在しない、という「ない」です。でも、ここからが大切です。では、その「存在しない」とは、いったいどのような「ない」でしょうか。
 ここで、乃木坂46のときと同じように、「あなたが性的に好きになる(性的に惹かれる)ジェンダーは何??」という質問を考えてみましょう。
 まず、この質問に対して、異性愛者は「異性ジェンダーだ」と応え、同性愛者は「同性ジェンダーだ」と応えるでしょう。答えがはっきりしていますね。しかし、自分のセクシュアリティに悩んでいる人や、まだ決めかねている人も、中にはいます。そうした人は、「どのジェンダーに性的に惹かれるの?」という質問に、ある意味で答えられないかもしれません。それは、さっきの例でいえば(1)や(2)の人の状態に近いかもしれません(が、厳密なアナロジーはきっと成立しないでしょう)。
 現在のAセクシュアルコミュニティでは、この「惹かれるジェンダーは?」という問いを(1)のように NA(Not Applicable)的に理解する、という人が多いと思います。どのジェンダーに性的に惹かれる?、と聞かれても、そもそも性的に惹かれる(性的魅力を経験する)ということがないので、答えようがないよ、ということです。これは、そもそも乃木坂46を知らないから、「好きなメンバー」を選ぼうにも無理だよ、という(1)の人と似ているかもしれません。Aセクシュアルの人の多くは、「どのジェンダーを性的に好きになる?」という質問に対して、NA的な意味で「無回答」を選んでいる(と思う)のです。そうした「無回答」的な意味で、「誰にも惹かれない」と多くの人は応えているのではないでしょうか。
 もちろん、「どのジェンダーに惹かれる?」という質問が NA で、その質問に対して「無回答」を選ぶとしても、「あなたの性的指向は?」という質問に対しては、はっきりと回答することができます。「わたしはAセクシュアルである」。それが答えです。

6.A is for Anti-Sexual

 しかしわたしは、Aセクシュアルの「A」を、そういったコミュニティの一般的な考えとは違った仕方で理解してみたい、と考えるようになりました。「誰が好き?」という質問に対して「ごめんね、乃木坂46を知らないんだ」とか「アイドルに興味がないんだ」とか、そういった意味での「無回答」的な「ない」ではなく、もっと積極的な主張として、Aセクシュアルの「A = ない」の可能性を探ってみたいと、思うようになりました。
 この記事の最初に、Aセクシュアルとは「性的アイデンティティ」である、と書きました。すべての人が(異)性愛者であると当然のように考えられている世界で、Aセクシュアルを自認するというのは、明確なアイデンティティの獲得なしにはあり得ません。ですから、Aセクシュアルである私たちは、だらだら普通にこの世界で生きていくことができて、世界に満ちる(異)性愛規範に疑問をもつことなく生きていける(異)性愛者たちとは、決定的に違った人生を歩んでいます。
 私たちは「Aセクシュアル」というラベルを選択しました。それは、単に「どれにしようかな」という自由な選択ではなく、自分の人生の経験を踏まえたうえでの、ある種の必然的な(避けようもない)選択であることが多いです。
 しかし、「わたしはAセクシュアルだ」という答えを導くまでのプロセスで私たちに問われたのは、「あなたの性的指向は?」という、中立的な質問ではありませんでした。私たちは、「あなたの性的指向は?」という質問に対して「Aセクシュアルです」と答えたのではありません。私たちは「あなたは(異)性愛者だよね?」という社会の押し付け・決めつけに抗って、「いや違う。わたしは性愛者ではない」と宣言したのです。
 社会が問うているのは、「どの性的指向なの?」という問いではありません。私たちに浴びせかけられるのは「あなたは性愛者に違いない」という、圧倒的な決めつけ、押し付け、強制です。社会には、強制性愛(compulsory sexuality)が満ちています。そんな社会の中で、私たちは自分の経験を握りしめて「No」 と答えたのです。わたしは、性愛者ではない
 その「No」は、答えが決まっていない「No」ではありません。質問が適用できない「No」でもありません。その「No」は、「わたしは性愛の存在を前提とし、それに価値をおく社会の常識を拒否する」という「No」です。「Aセクシュアル」と名乗ること、それをアイデンティティとすることは、単に自分に名前をつけることではありません。それは、性愛者として強制的に私たちを扱おうとする世界に対して「その押し付けをやめろ」という拒否・拒絶の声を上げることです。誰も性的に好きにならない人間なんて存在するはずがない、セックスは人間の本能だ、などと信じている社会の常識に対して「違う。ここに私がいる」と宣言することです。
 ですから、Aセクシュアルに含まれる「A(ない)」は、単に自分の経験を説明するための「ない」ではありません。それは、強制性愛に満ちた世の中に対する拒否・拒絶・絶縁宣言であり、性愛規範(sexual normativity)を染み渡らせた社会に対する、明確な宣戦布告です。「ここに私がいる」。
 その「ない」は、何よりも重量感のある社会への応答です。「あなたは異性愛者(だよね?)」と押しつけがましく説得してくる社会に対して私たちが突き付けた答えが、「Aセクシュアル」という「ない」です。それは、世の中を支配する性愛至上主義(sexual supremacy)を否定するという、明確な抗議の「ない」です。
 この「A(ない)」には、ですから沢山の思いと決意が込められているはずです。それは、空っぽの「ない」ではありません。NAの「ない」でもありません。人間はみな性愛者であるという社会の常識が虚構に過ぎないこと、そして単に誤っているだけでなく有害であること、そのことを証明する実例として名乗りを上げるための、何よりも重たい「ない」が「Aセクシュアル」の「A」です。
 だから、わたしは言いたい。Aセクシュアルの「A」は Anti-Sexual の「A」である、と。それは、ただの「ない」ではない。その「A」には、私たちが味わってきた抑圧、不可視化されてきた苦しみ、性の前提のせいで巻き込まれた人間関係の悩み、性愛規範のせいで被ってきた自尊心の低下、そういったあらゆるものが詰め込まれている。それを全部詰め込んで、私たちは性愛至上主義的な社会に対して一つの答えを叩きつける。私たちは、Aセクシュアルである。わたしが、Aセクシュアルとしてここに存在する。わたしたちの「A」は、その抗議・対抗・敵対(Anti)を示す「A」なのです。

7.Aセクシュアルは存在するか?

 Aセクシュアルという性的指向を、認めようとしない人がいます。Aセクシュアルという性的指向は、証明しようがない、と言っている人がいます。とても愚かな人たちだと思います。
 残念ながら、私たちは存在しています。しかも、私たちはただ存在しているのではなく。私たちは、すべての人間を性愛者として扱おうとする、性愛中心的な社会に「No」を突き付けています。ですから、私たちの存在を認めようとしない人たちがいることなんて、私たちは百も承知です。なぜなら、私たちはそんな人たちに敵対・対抗(Anti)することを、自分たちのアイデンティティとしたのですから。ですから、「Aセクシュアルは存在しない」という声が聞かれるたびに、私たちは無限に増殖し続けるでしょう。「ここに私がいる」。それは、ただの存在の宣言ではありません。それは、「お前の言っていることは間違っている」という、抗議・対抗(Anti) の思いを込めた「A」の宣言です。

 私たちの「A」は、ただの「ない」ではない。Aセクシュアルとしての存在の重みが、その「A」には込められている。その存在を賭けて、私たちは宣言する。私たちが、ここにいる。We are here.  A, is for Anti-Sexual。


途中で紹介させていただいた羽田さんのnoteです。Aセクシュアルとしてのアイデンティティが書き留められたとても素晴らしい記事なので、ぜひ読んでください。


ありがとうございます。もう1日頑張って生きれそう。
中の人はAセクシュアル でAジェンダー。虹色には輝かない、真っ暗闇のなかから呪いの言葉を吐きます。Aセクシュアリティに関わることについて書きますが、今はUSのラディカルフェミニズム運動を調べています。性愛規範と性別二元論を、わたしは絶対に許さない。(※更新終了しました)