竜の爪あと その2

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 竜を探す探索隊が結成される以前から、正騎士ベオナードは魔導士アドニスとはそれとなく面識はあった。
 いや、面識があったというのは正確ではなかったかもしれない。こちらはともかく向こうがベオナードを知っていたかどうかは少し怪しかったかもしれない。
 アドニス・アンバーソンは魔道士の塔に籍を置く正式な魔導士であることには間違いがなかったが、その当時は王国軍に出向し、王都にある気象観測研究所に勤務する身の上だった。
 魔導士として、例えば気象を操作するような芸当も範疇の一つではあろうが、研究所で行われていたのは純粋に観測と気象予測であった。だがそれらは王国においては王立の天文府の管轄にあり、日々の観測業務は王国軍に所属する軍属の観測官の仕事だった。常であれば塔から派遣された魔道士は名目上は補佐官として、実質は経験の本当に浅い若い魔導士が研修生のような立場で働く部署であったから、アドニスのような経歴の魔導士がその職につく事は異例であり、はっきりと言ってしまえば閑職、左遷のたぐいであろうと人々は噂した。
 原因が、彼女が師事していた魔導士オルガノフにあるというのはそれとなく周囲も察している事であった。宮廷に……とくに王太子のお気に入りとして重用されていたオルガノフが、魔導士の塔の重鎮の魔法使いたちから煙たがられていたのは塔の外の者たちにとっても周知の事実だったのだ。
 そんな露骨な左遷めいた人事もそうであったし、元は名家の子女であるらしいという当人の経歴も相まって、アドニスの存在は何かと人の噂を呼んだから、ベオナードの耳にもそのような話は伝え聞こえていたのだった。
 そんなある日、ベオナードは軍総監のヘンドリクス卿に直々に呼び出されることとなった。
 執務室に足を踏み入れてみると、そこに近衛師団の騎士ルーファスとともに、魔導士アドニス・アンバーソンの姿もあった。
 太々しい態度で直立不動のままみじろぎもしない近衛騎士と、いかにも居心地悪そうにそわそわとする魔法使いの顔ぶれは、どこか見慣れない光景であった。
 そして、執務室の大きな書机には、好々爺としたヘンドリクス卿の姿があった。
「それでヘンドリクス卿。お話というのは?」
「そなたも噂話に聞き及んでいるかと思う。近頃噂に名高い黒竜についてだ。……さきに魔導士オルガノフの指揮の元現地へと調査団が送られたが、その消息がついに途絶えてしまった」
「なんと」
 そのように口走ったあとで、ベオナードは、やっぱり、という二の句をこぼしそうになるのをどうにか飲み込んだ。調査団の行方についてはあちこちで噂になっており、最悪の結末を声高に予測する声も少なくはなかったのだ。
 そんなベオナードをじろりと見やって、ヘンドリクス卿は続ける。
「一方で、辺境域からは謎の生き物の目撃情報が、ついには具体的に村を襲われたという被害報告として何件も報じられるようになって来ておる。この上はあらたに探索隊を派遣し、村々を襲う怪異の正体を見極め、併せて先の調査団がどこへ行ったのかも調べてくる必要があると私は考える」
「では、自分が呼び出されたのは」
「うむ。正騎士ベオナード、そなたに探索部隊の指揮を任せようと思う」
 そこまで話を聞けば、この部屋にいる顔ぶれについても得心が行った。この面々がそのまま、今の話にあった探索隊の構成員たちである、という次第のようだった。
「何か不服があるのかね?」
「いいえ。何せ正騎士の肩書を戴いている以上はよほどのことが無ければご下命をお断りする道理はありえないでしょうね。……で、このご両名は?」
 分かり切ったことではあるがベオナードがそう質問すると、ヘンドリクス卿が何か説明する代わりに、気難しげな表情の近衛騎士がうっそりとベオナードの方を振り仰いで、口を開いた。
「お互い顔と名前ぐらいはそれとなく見知っておろうが、あらためて自己紹介しておく。私は近衛騎士のルーファス。黒竜出現については、近衛師団の方でも憂慮すべき出来事としてずっとその動向を気にかけていた由。探索行そのものを近衛師団から派遣してはどうかという話をヘンドリクス卿ともさせていただいていたのだが、結局そちらの部隊に我らからも手勢を出して同道するという方向で話がまとまった。私と近衛兵が数名、探索隊に加わる」
 よろしく頼む、とルーファスが形ばかりの挨拶を述べたが、それが歓迎すべき話なのかどうかはベオナードの立場からは何とも言えなかった。
 無言で騎士ルーファスとヘンドリクス卿の顔を見比べていると、その脇にいたアドニスが居心地悪そうに咳払いした。一介の魔導士であればヘンドリクス卿を前にもう少し萎縮した素振りを見せそうなものだが、そうはならないのはやはり貴族の家柄という育ちゆえか。それでも職務上、この席の顔ぶれの中で自由に発言していい立場なのかどうかは判断がつきかねたようで、彼女が自ら自己紹介をする代わりに、ヘンドリクス卿が助け舟を出すように横から言及した。
「魔導士アドニスはそなたも面識があろう。オルガノフともあろう者が行方を断つような事態だ。魔導士の同行があればこれほど心強いことはない。幸いにして彼女は王国軍に出向中であり、本人に意向を確認したところ同行を快諾してもらえたので、ぜひとも力をあわせて先の調査団の行方を突き止めてもらいたい」
 快諾、とはいうが居合わせたアドニスは終始渋面だった。単なる気後れか、それともこれから向かうべき任務に実際はあまり乗り気ではないが彼女の立場からはそうは言えないということか。ともかく、アドニスはそれ以上余計なことは言わずに無言のままぺこりと頭を下げただけだった。
 それを見て、ベオナードが問う。
「事と次第は了解いたしました。ではオルガノフ殿ら先の調査団の面々が誰かしら見つかれば保護するとして、竜が本当にいた場合、これと遭遇したときは一体どうすれば?」
「倒す自信のあるものはいるかね。我こそは竜と相対して、一撃で倒せるというものは?」
「……」
 ヘンドリクス卿の何かを推し量るような物言いに、居合わせた三名はお互い無言のままにちらちらと視線を交し合い、お互いの返答を推し量るのだった。そんな中率先して口を開いたのは、近衛騎士のルーファスだった。
「私は大いに興味がありますな。そもそも竜とやらを見たこともないので迂闊なことは申し上げられませんが、そのような脅威から人々を守るために、我らはこの剣を預かっているのですから」
 その口上には、ふむ、と短く相槌を打っただけのヘンドリクス卿であった。そなたはどのように思うか、とおもむろに水を向けられて、ベオナードは渋面を作らざるを得なかった。
「ご安心下さい、竜など物の数ではありません……と言いたいところですが、それはさすがに。近衛騎士殿のように恐れ知らずというわけにはさすがにいきませんな。俺はまだまだ未熟者ゆえ、どうにか出来るなどとそれこそ迂闊に安請け合い出来るわけもない」
「顔に似合わず慎重な男だな、ベオナード卿よ」
 ヘンドリクス卿は声を上げて笑う。ひとしきり笑った後で、ふいに真顔に立ち戻り、三名に告げる。
「任務はあくまでも先の調査団の捜索だ。可能な限り、余計な戦いは避けるのだ」
「はっ!」
「何が起きるとも言えたものではない。誰かが臆病とそしろうとも知ったことではない。おのが身を大事とし、誰かしらかが必ず生還して、辺境域で何が起こっているのかをわしにあますところなく報告するのだ。わかったな?」
 話が決まってしまえばあとは早かった。そのようなやり取りののち、その日のうちに慌ただしく出立の準備が整えられ、翌朝には探索隊は西へ向けて旅立っていった。
 ベオナードも近衛騎士も所属こそ異なるが結局は軍人であるから、たとえばこれがどこか他国の無法な兵隊どもに国境を侵犯されたとかいう話であればその日のうちにでも出撃しなければならず、朝まで待ってというのはまだ余裕のある話だったが、アドニスにしてみたら昨日の今日でもあり慌ただしい事この上なかった。
 そもそも王国では、正式に軍人として王国軍なり近衛師団なりに籍を置く魔道士は一人もいない。魔道士が軍隊に組み入れられれば、その魔導の技で際限のない虐殺が行われたり、あるいは魔道を扱うものが野心を持って権力を手にしようとしたりといった事が無いとは言えない。
 そのような事があってはならない、という考えから、魔道士とはすなわち学徒であり、学問の府として魔道士や魔道の在り方を律するのが魔道士の塔という組織のそもそもの由来である。軍に出向していたとはいえ、そんなアドニスに兵士の真似はやはり少々酷ではあった。
 それでもぶつぶつ文句を言いながらでも遅れもとらずへそを曲げて座り込む事もなく、行軍に粛々と付いて来てくれるだけでも立派なものだ、とベオナードなどは思うのだった。むろん兵士ではないアドニスが同行するのは織り込んでの余裕を持った旅程ではあったし、一刻を争うというよりは現地で何があってもいいように各員の士気や英気は充分に保っておく必要はあった。
 そんなこんなで王都を出立して十日ほどで、一行は竜が出没するという報告のあった、辺境域の村にたどり着いた。怪異から人々を守る救い主の出現にせいぜい盛大に歓迎されるのでは、ともくろむ向きも無いではなかったが、実際には一行を出迎えた村人たちは一様に不安そうな表情を見せるばかりだった。
「助けが来たというのに、なぜ連中は浮かない顔なのだ?」
 ルーファスの不機嫌そうな問いに、旅に疲れたアドニスがぞんざいに答える。
「前にも同じような助けが来て、それが戻って来なかったからでしょう……?」
 あてずっぽうだったが、結局のところそれが正解でもあった。別に彼ら探索隊が疎んじられているということではなく、それだけ村人たちは竜によって不安な日々を過ごしていたという事であり、探索隊と自身の村の行く末についてどうしても悲観視せざるを得ないのが彼らの心情だったのだ。
 農地開墾のために近年新しく入植者が増えてはいたが、元々この渇いたやせた土地に細々と人が暮らしていた村落であった。周囲はと言えば、どこまでも砂漠といってよいくらいの荒れ地の続く平野であった。
 そのほど近くに、打ち捨てられた城塞がある。かつてはこのあたりが国境地帯で、侵攻してくる蛮族を食い止めるための砦があったのだという。だがそれも百何十年も前の話、砂塵に没したまま遺棄されて久しかった。
 何でも、村人の話では竜はその城塞をねぐらにしているのだという。
 とはいえ、にわかには信じがたい話はあった。近衛騎士ルーファスは訝しむように、村人に対し声を荒げた。
「本当に竜なのか。何かの見間違いではないのか」
 詰問されて怯える村人を庇うように、ベオナードが答える。
「何を見間違えたにせよ、その廃墟に何かしら危険な生き物がいるのは確かなようだ。行って確かめてみようじゃないか」
 村人の話では、竜は夜に来るという。廃墟までは徒歩で小一時間ほどという話だったから、今すぐ向かえば丁度夕刻にさしかかろうという頃合いだった。
 だがこの村までの行軍で兵士たちにも疲労はあったし、日が落ちてから勝手の分からぬ土地で竜のような怪異と相対するのは出来れば避けたいところであった。
 であれば、夜のうちは村に野営して守りを固めた方が得策とベオナードは判断した。それを悠長に構えていると受け止めたのか近衛騎士ルーファスは少し苛立っているようだったが、あくまでも部隊の責任者はベオナードであるから、決定には諾々と従うまでだった。
 先の調査団についても村人の話を聞いてみたが、やはり二月ほど前にこの村にやってきて、同じように竜の消息を尋ね、しばらくは廃墟と村とを往復していたが、ある日を境に誰も戻っては来なくなってしまったという。その後も何度か竜の姿は村からも目撃されており、村人も彼らの安否を案じているという次第のようだった。
 だがその晩のうちに竜が村に来ることは無かった。翌朝、早朝の薄闇のうちに一行は廃墟を目指し出立した。
 日がどれほども高くならないうちに、突き刺さるような砂漠の日差しが照りつけてきた。軍装に身を固めた兵士達には過酷な旅程だった。
 やがて、話に聞いた廃墟が視界に入ってくる。堅牢な城壁が広がるその雄壮な外観は、辺境の薄ら寂しい物見やぐらのようなものを想像していた一行を圧倒はしたが、竜の根城という前触れからすれば、べつだん変わったところの無い単なる廃墟のように見えた。
 一行はただ粛々と、城壁へと近づいて行くのだった。
「竜はどこに潜んでいるのであろう」
「ルーファス卿、焦る気持ちは分からぬでもないが、まずは先の調査団の行方を探索するのが先だ。これだけ広い廃墟なら、竜を警戒してどこかに隠れているのかも知れぬ」
「村人の話では廃墟から戻らぬようになってから一月あまりになるというではないか」
「それであっても、だ」
 石の門を潜り、部隊は城壁の内側に進入していく。砂塵に半ば埋もれるかのように、石造りの建屋がいくつも立ち並ぶ目抜き通りが、真っ直ぐに伸びている。その先に、いかにも堅固な佇まいの城塞本体が、威風堂々とそびえ立っているのが見えた。
 見渡した限りに人の気配はどこにも無かった。
「それで、どこから手をつけるのだ?」
 ルーファスの言葉に、困った様子で思案顔になるベオナードだった。部下たちの誰かしらに意見はないものかと振り仰いだが、応えたのは疲れた顔の魔道士アドニスだった。
「やはり、まずはあの城塞に行ってみた方がいいのではないかしら」
 彼女はまっすぐに正面を指し示した。そこに、ひときわ背の高い建物がそびえたっていた。
 見れば城塞は石造りの二階建て、だがさらにその上に三層ほどの高さの尖塔が築かれていた。見張りの台として使われていたのであろうか。
「あそこに登ればこのあたりの様子も見渡せるし、私達がそこに登っているのが見えたら、生存者の方で私達を見つけて出てきてくれるかも知れないし」
「生存者に見つけられればいいが、竜に見つかるかもしれないぞ」
「そう……仮にこの廃墟のどこかを竜が根城にしているとしたら、あの廃墟がそうなのではないかと私は思うのだけど。竜は空を飛んで村を襲いに来るという話だから、そういった翼のある生き物は、やはり高さのある場所で翼を休めるものではないかと思うし」
「根城に乗り込んでいくのか……?」
「今その場所にいるのであればここからでもすでに見えているはず。いないのならば、行って見てくるのであれば今のうちという事になるわね」
 アドニスとルーファスのそんなやり取りを踏まえ、ベオナードは決心した。
「では、あの塔まで行ってみよう」
 取り敢えずは城塞のすぐ足元まで部隊を進め、ベオナード他数名が実際の城塞の建屋の中へと足を踏み入れる。何がいるのかは分からないから警戒は必要だったが、廃墟の街に人の気配がまるでなかったように、その城塞にも結局は生きて動く物の姿は見つからなかった。
 石積みの二階建ての建屋に、さらに物見台のような塔の部分があり、その一番上階が壁が崩れ去って野ざらしになっているのが分かった。そんな塔の上まで兵士達がくまなく見て回ったが、竜も人間も、どちらかの姿も見出す事は出来なかった。
「アドニス殿。ここが竜の根城というが、本当にそうなのか……?」
 苛立たしげにそう問いただすルーファスの言い分も分からなくはない。家畜の小屋とまではいかぬまでも、獣の住処であれば何かしら寝床のようなものがあったり臭いが籠っていたりしそうなものだ。竜をそのような畜生と同列視するのもどうかと思うが、確かに他と比べても何かありありとした痕跡があるようにも見えなかった。
 問われたアドニスも、推論を語ってはみるが自信はなさげであった。
「村人の話ではこの廃城が根城だというけど、彼らだって竜の同行をつぶさに観察しているというわけでもないのでしょう。単にこちらの方から飛来するから、私達の質問にそう答えたまでの事ではないかしら。実際のねぐらは他にあって、ここでは単に翼を休めているだけかもしれないし」
「では真に竜の根城というのはどこにあるのだ!?」
 声を荒げる近衛騎士を、ベオナードが諭すように制した。
「よせ。他にねぐらがあったとしてアドニスに責任のある話ではない。ここが危険ではないと分かったならそれでいい」
 やや強い口調でそう諌められて、ルーファスは渋々といった様子で引き下がった。
 ともあれ、まずは生存者の捜索であった。その物見台からであれば街の様子が一望出来たので、ベオナードの配下の兵士が区割りを簡単に絵図面に書き起こし、その絵図面に沿って区画ごとに探索していくこととなった。
 いったんは城塞の建屋から離れ、待機していた他の兵士たちと合流し、物見台の上で引いた絵図面のひと区画ごとに、誰かがいた痕跡でもありはしないものかと訪ね歩く。
 だが、生存者はおろか誰かの亡骸だとか、置き去りにされた荷物だとか、そういうたぐいのものすら何も見つからなかった。
 やがて日は傾き、彼方の空が朱の色に染まり始める。復路を思えばそろそろ撤収を考える必要があった。収穫なく引き返す事にルーファスは不満げだったが、そもそも近衛騎士達は部隊に同行はしていてもベオナードらの指揮下に完全に入って探索にまで参加していたわけでは無かったから、文句を言われても困ってしまう。実際、何もしないのに文句ばかりは厳しい口調のルーファスを、アドニスは疎ましく思っているように見受けられた。彼女は彼女で名家の子女という生まれゆえか、近衛騎士を前にしても物怖じする事がなく、それも両者の関係を悪くしていた。
 ともあれ、ようやく現地にたどり着いたのだから、初日から仲違いをしても仕方がない。両人をどのように諫めたものかと正騎士が思案をめぐらせていた、ちょうどその時だった。次の瞬間起きた出来事に、その場の一同は凍りついてしまった。
 彼方から、地面を震わすようないかにも恐ろしげな咆哮が響き渡った。
 一同が足を止めた次の瞬間、彼らの頭上を黒い影が横切っていく。
 誰しもが未だかつて見たこともないはずのその姿は、しかし同時に、見るや否や誰しもが立ちどころに何物であるかを理解するのだった。
「竜だ!」
「本当にいたのだ……!」
 そう――それは紛れもなく、竜の姿だった。
 兵士達が恐れおののきながら呆然と見上げる中、一足先に我に返ったベオナードが慌てて指示を下す。
「見つかってしまうぞ! 壁に身を寄せ、姿を潜めるのだ!」
 上空から見れば、確かに地上にうごめく人影など容易に見つけられてしまうのかも知れなかった。このように部隊が密集しているところを襲撃されたらひとたまりもなかっただろう。
 幸い、竜は彼らを気に留める風もなく颯爽と一行の頭上を通り過ぎ、町の中心部にそびえ立つ、あの石造りの城塞の物見台の上に降り立った。
「……驚いた。まさか本当にあのようなものがいようとは」
 ルーファスは忌々しげに、吐き捨てるように言った。
「正騎士ベオナードよ。貴公はどう考える。確かにあの禍々しき姿を目の当たりにして、あれが無害で安全な生き物であろうとは私にも到底思えぬ。だが危険を避けて今退くとして、このままこの廃墟に連日通い詰めて、竜の居ぬ間を選んではこそこそと成果も出ない探索を続けるつもりか?」
「……あんたの言い分も分からなくは無いが、ではどうする?」
「皆の命を危険に晒そうとは言わん。貴公が臆病風に吹かれるのであれば、近衛だけであの城塞に近づいてみよう」
 そう言って一歩踏み出したルーファスの肩を、ベオナードは慌てて掴んで引き留めた。
「ヘンドリクス卿からは生きて帰れと念押しされている! 仮に、竜を見て恐れをなして逃げ帰った、という結末でもお叱りを受ける事はないと俺は考える」
 だから早まったことは考えるな……そう告げる彼の言葉にも、近衛騎士は耳を貸す風ではなかった。
「そちらはそれでいいかも知れんが、近衛はそういうわけには行かぬ。貴公自身とてそれで納得というわけでもあるまい?」
 あの城塞で、竜が来るよりも先にそこに犠牲になった人々の亡骸なり何なりを真っ先に見つけられていれば、この探索行はそれで終わりだったのかもしれない。生きて帰れと厳命された手前もあり、先の調査団の探索を優先し、廃墟のどこかに生き延びた者たちが隠れ潜んでいないかどうかを捜し歩いてきた。だがやはり、この探索行の核心はあの竜にあるのではなかったか。
「正騎士ベオナード。逃げ帰るにしても、せめてオルガノフの消息ぐらいはどうにか掴まねば、格好がつかぬのではないか?」
 両名のやりとりを横で聞いていたアドニスが深くため息をつく。
「相手は竜なのよ? あなた達の体面やら何やらに付き合わされて危ない目にあうなんて、たまったものではないわ」
「では、どうする?」
 ルーファスの問いに、重い沈黙が流れた。ベオナードが渋面のまま反駁しないとみると、近衛騎士はアドニスに向き直る。
「オルガノフにもう一度会いたくはないのか。行方を知っているのは、やはりあの竜ではないのか」
「それは……」
 アドニスはそれきり口をつぐんでしまった。
 噂は色々に言う。近衛騎士の耳にもそれは届いていたかも知れず、中には両名の間柄を揶揄するような下世話な雑音も少なからずあったことはベオナードも聞き及んでいた。ルーファスの念頭に何があったのかは知らぬし、アドニスの胸に何が去来していたのかも正直本人にしか分からぬ話ではあっただろう。
 あとから思えば魔導士か正騎士、どちらかがルーファスの言い分を論破するか、鼻で笑うかしていればよかったのかも知れない。ともあれ、一行は結局のところ竜が待つ城塞へと向かっていく事になるのだった。

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