魔人バラクロア その2

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「勝手なものだよな。元々は生け贄として寄越すつもりだったのに」
 魔人が村に姿をみせてからこちら、リテルと魔人は例の水面の上に像を写す水鏡の術をつかって、それとなく村がどういう様子なのかを観察していたのでした。魔人がそう漏らしたように、元々生け贄まで送っておきながら、今更蜂の巣をつついたように慌てふためくというのは、身勝手とそしられても仕方のない事だったのかもしれません。リテルとしては同じ村の住人として多少弁解めいたことも言いたくもありましたが、魔人の洞穴に居候の身の上ということもありますので、魔人の所見に特別異論を挟むこともなく、大人しく黙っていました。今現在の境遇やら待遇におおっぴらに不平不満をぶちまけることもなく、魔人がどこからか拾ってきた固くてまずい木の実をもそもそとかじりながら、魔人のやる事を黙ってみていたのです。
 その彼が「勝手」とそしったように、村人達のその後の反応は確かに多少は見苦しかったかもしれません。バラクロアが実在することに恐れをなした一部の村人がいよいよ村を捨てて逃げ出したりもしましたが、それよりも魔人が一番厚かましく感じたのは、バラクロア討伐のため、王国軍の駐留部隊がある最寄りの街へと、救援を求めたことでした。リテルは、おそらくはそんな話はまともにとりあっては貰えないだろうと思っていましたが、魔人は兵士が来るか来ないか、という些細なことなど意にも介さず、来るなら来い、兵隊など追い返してやる、と強気に息巻くばかりでした。
 その肝心の陳情の結果ですが……これが常日頃であれば、リテルの予想通り門前払いを食わされていたかも知れませんが、間が良かったのか悪かったのか、丁度街には王都から視察に訪れていた、ホーヴェン王子殿下が居合わせたのです。
「火の山の魔人、とな」
 話を聞くなり、彼は身を大きく乗り出してきました。
 王子、とは言いますが歳の頃はもはや三十も半ば、ご婦人方の羨望の眼差しを集める秀麗な美男の貴公子というわけではなく、王位継承権もそんなに高位ではない、うだつの上がらない四男坊に過ぎませんでした。せめて華々しく軍功のひとつでも上げたいところですが、あいにく御歳七十にしてますます健勝たる父王の治世は平穏そのもの、近隣諸国との関係も極めて良好で、ささやかな国境紛争すら起こる気配もありません。
 そんな御仁ですから、民の平穏な暮らしを乱す魔物、と聞いて俄然興味を示さずにはいられないのでした。
 本来であれば門前払いを食っていてもおかしくはなかった村の者は、わざわざ王子殿下の御前にじかに引き出され、事の子細を端から端まで、すっかり語って聞かせる事となったのです……勿論、年端も行かぬ娘を生け贄に遣わした、という事を直接的にいうわけにはいきませんので、その辺りをぼやかすのにしどろもどろになってしまいましたが。
「私はあまり感心しませんな」
 そう露骨に難色を示したのは、この街の駐留部隊を預かるフォンテ大尉でした。本来はそういった各地の部隊を巡察する旅の途上にあった王子ですが、地元の一介の大尉にまでこのようにぞんざいな態度をとられてしまう辺り、この王子なる人物の人望のほどを物語っていたのでしょうが、それはそれ。
「山火事か何かを見間違えたのではありませんかな。そのような世迷い言を真に受けて兵を動かしたとあっては、失礼ながら王子殿下は天下の笑い者にされてしまいましょうぞ。事は御身の体面に関わる問題なれば、今一度熟考された方がよろしかろうかと思いますが」
「元より気に留めるような、大層な体面なんぞこの俺にあるものかよ」
 当のホーヴェン王子はというと、気にした風でもなく快活に笑いながら答えたのでした。
「いずれにしても、その村人どもが困り果てているのは確かなのであろう。山火事けっこう、ならば消し止めてやればよいではないか。感謝されることはあっても、石を投げられるような事にはなるまいて」
 何より、面白そうではないか……と最後にもらした本音を聞けば、それ以上の慰留は困難でした。そもそも、元より大尉自身も職務上必要と感じたので事務的に忠告したまでで、王子が結果的にどういう失態を見せようが、彼自身はまったく気に留めるでもなかったのですが。……まあ、いざ兵を送るとなれば、自分も行かなくてはなりませんし、付き合わされる部隊の兵士達も気の毒ではあるな、とちらりと思わなくもないのですが、彼らだってそれが仕事なのですから仕方がありません。
 ともあれ、ホーヴェン王子自らの号令によって、フォンテ大尉率いる王国軍の一個中隊は、一路リテルの村へと――魔人の棲む火の山へと向かうこととなったのです。


 ところで、そんなさなかに当のリテルと魔人の最大の関心事といえば、全然別のところにありました。
「お腹すいた……」
 洞穴の広間の片隅にちょこんと座り込んだまま、リテルは思わずそんな風に呟いてしまいました。口に出してしまってから、しまった、と風に顔を赤らめるのでした。
 ここのところ、彼女の食べるものと言えば、魔人がどこからか拾ってきた、見慣れない木の実ぐらいしかありませんでした。山のふもとのどこかに果樹なり何なりが豊かに実っていたりするようであれば、そもそもリテルの村だってそこまでひもじい思いをすることもありません。そんなわずかばかりの不味そうな木の実も、魔人がわざわざリテルのために遠くまで出向いて探してくれているに違いありませんでしたが、人間のようにものを食べるという習慣や必要がそもそも存在しない魔人に、彼女の口に合うものをもっとよく探せと迫るのも、図々しい話だと言えたでしょう。
 魔人にしても、いつまでもリテルをここに置いてはおけないので、いい加減どこか人の多い遠くの街にでも彼女を連れて行った方がいいのでは、と思いもするのですが、そうやって一人見知らぬ地に放り出すのも無責任な話ですし、リテルも村であんな騒ぎになってしまったとは言え、遠くこの地を離れゆく気も更々無いようで、当面彼女がここに身を寄せているのを、魔人としてはやむを得ず容認するより他にないのでありました。
 とは言え……それならそれで、やはり彼女の分の糧食は、どうにかして確保する必要がありました。
 それこそ、遠くの街で買い求める、というのもひとつの手でしたが、リテルもそんなお金を持っているわけでもありませんでしたし、魔人は魔人でお金を渡して商品を受け取る、というような人間の世界の細かい作法にはまるで疎く、何にせよ二人とも話になりません。
 いっそリテルを村に送り返すのが一番なのでは……とも思うのですが、話を円満に解決するとなると、魔人の存在をどうにかして人々に納得してもらわないといけません。ところが事態は逆に、今のところ軍隊が出てくるなど、魔人がいればこその騒動になっているわけで……それはそれで、色々厄介な成り行きになりそうな気配がするのでした。
 そうこうしているうちに、ホーヴェン王子の命を受けた王国軍の一個中隊が、第一陣としてついに村にたどり着いたのでした。
 あとから一足遅れて合流するホーヴェン王子に代わってここまで部隊を率いてきたフォンテ大尉は、貧しい村の様子を一瞥し、さらには火の山と呼ばれながらもただの丸坊主の岩山に過ぎない、問題の山を遠目に見やって、やはり来るべきではなかったとひそかにため息をついたのでした。
 到着したころにはすでに日も暮れかかっていたので、大尉は部隊の兵士達に野営の準備を急がせ、村の者達には明日の夜明けを待って山へと探索へ向かう旨を告げ、ひとまずは一息入れることにしました。
 村人達はバラクロアの出現にすっかり怯えきっておりましたし、元より貧しい村の事ですから、兵士達を歓待することさえありませんでした。兵士達の方にもそれを期待するような空気もなく、ただ淡々と天幕を設営し、炊き出しをして腹ごしらえをして明日に備えて英気を養うのでした。
 そんな光景を……リテルははるか彼方の魔人の洞穴から、例の水鏡の術を通じてじっと観察していたのでした。兵士達が煮炊きするさまを思いがけず食い入るように見入ってしまって、慌てて首を振りました。それを物欲しげに見やるためにわざわざ水鏡を覗き込んだわけではなく、たまたま村の様子を窺おうとしただけだったのですが、そういうリテルの素振りを見ていた魔人が、横でぽつりと洩らしたのでした。
「そうか。人間の食い物なら、あいつらが沢山持ってきているんじゃないか」
 なるほど、と感心する魔人でしたが、リテルにはそれが何を意味するのか、瞬時には察知することが出来ませんでした。それは一体どういう意味なのかと問いただすいとまもなく、気がつくとリテルは魔人に連れられ、またしても村に舞い戻ってきていたのでした。
「えっ……ちょ、ちょっと……!」
「シッ、静かにした方がいい」
 今回は、自宅の戸口に置き去りにされたときとは違って、少年の姿をした魔人がすぐ傍らにいました。その魔人に制止され、リテルは思わず声を上げそうになった口を塞ぎました。
 みれば、彼女たちは兵士らが野営している天幕のすぐ間近にいました。部隊が物資を積んできた荷車の巨大な車輪の陰に、丁度隠れ潜むような位置に立っていたのです。
「よし、おれが見張っていてやるからな」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
 唐突にそんなことを言われても、リテルは戸惑うばかりでした。
「そもそも、バラクロア様はご存じないかも知れないけど、人の物を盗むのは、良くないことなのよ?」
「そうなのか?」
 魔人は悪びれもせずそう言ったかと思うと、今しがた自分が見張りを務めると言ったばかりにもかかわらず、リテルの制止も聞かずに勝手に荷車の積み荷に手を伸ばし、無造作に被せられたぼろ布をまくり上げたのでした。
 見ればいくつか積まれた木箱のひとつが開封されていて、そこに子供の手なら一抱えもあるような大きさの堅焼きパンが詰め込まれていました。保存性を優先して固く焼かれたパンですが、得体の知れない木の実をぼそぼそとかじるよりはよっぽどご馳走には違いありません。
「これは食い物じゃないのか? そうなんだろう?」
「そ、それは……まあ、食べ物にはちがいないけど……」
 リテルが問われるがままに答えると、魔人は彼女の戸惑いなどお構いなしに、積み荷のパンを次々と無造作に投げ渡してくるのでした。空腹を抱える彼女には充分すぎるごちそうでしたが、それでも何だか悲しい気持ちになってくるのは、やはり人様の持ち物に勝手に手を付けているという後ろめたさから来るものでしょうか。悪いことをしてはいけないよ、という父母の教えが今更のようにぐるぐると脳裏を駆けめぐります。
「……ちょ、ちょっと待って。こんなに沢山、いっぺんに持てない」
 リテルが思い悩んでいる間にも魔人はおかまいなしにパンを彼女に押しつけてくるものですから、気がつけば両手からあふれ出すくらいの量を一人で持たされていたのでした。ところが、荷台によじ上っていたはずの魔人の姿はいつの間にかかき消えていて、その代わりに彼女が振り返った向こう側に、王国軍の兵士の一人が立っていました。
「こら! 貴様、何をやっているかッ!」
 怒鳴られたリテルは慌てて、反射的に走り出してしまいましたが、間が悪いことに向かった先に丁度その怒鳴った兵士が立ちはだかっていて、彼女はそのままその場にへたり込んでしまいました。
 あんまりと言えば、あんまりな成り行きではありませんか。気の進まない盗人の片棒を担がされていたと思ったら、彼女をそこに連れてきた当人は一人でさっさといなくなってしまったのです。
 リテルがおろおろとしたまま何も出来ずにいると、他の兵士達も声を聞き付けて、一人また一人とその場に集まってくるのでした。リテルはパンを抱えたまま、ただうろたえる事しか出来ませんでした。
 まあ魔人にしても、薄情にも置き去りにしたつもりはまるでなくて、単に人の気配がしたので思わず姿を消してしまったところ、リテルに同じ芸当が出来ないということをすっかり失念していたというだけの事だったのですが。
(リテル、逃げろ!)
 耳元でそんな魔人の声がして、リテルは思わず、どこへ、と声に出してしまうところでした。そもそもどうやって、と思った瞬間、不意にリテルの目の前で……厳密にはリテルに詰め寄っていた兵士達の前で、突然大きな火柱が吹き上がったのです。
 兵士達は多いに慌てましたが、もちろんリテルにはそれが誰の仕業かはすぐに分かりましたので、言われたとおり暗がりに向かって闇雲に走り出したのでした。抱えたパンの大半は放り出して――それでも一斤だけはしっかりと小脇に抱えたまま、兵士達の間をうまくすり抜けていくのでした。兵士達も炎に右往左往しているばかりではなく、逃げた少女を一応は捕らえようとしますが、火柱が立て続けに吹き上がって、行く手を阻まれてしまうのでした。
 あちこちであがった火柱はそのうちひとつに寄り集まっていったかと思うと、いつぞやの晩に村人達の前に現れたように、禍々しい悪鬼のような形相を、兵士達の前に見せたのでした。
「うわああああっ!」
 そんな恐ろしげな形相が、より火勢を増しながら自分たちに向かってくるのをみて、兵士達はいよいよ確信したのです。この地に魔人が出没したという話は、本当の話だったのだと――。
 一方、逃げおおせたリテルは、少しばかりやり過ぎではないか、と思いつつも静かにその場を離れていくのでした。まさか山まで歩いて戻らなくても、適当なところで魔人が連れ戻してくれることでしょう。
 その魔人はと言えば、あわてふためく兵士達を思う存分に脅かしつけて回っていたのでした。彼自身も少しやり過ぎではないかと思ったのは、調子に乗っているうちに部隊の糧食を積んだ荷馬車に火が燃え移ってしまい、思いがけず火事を引き起こしてしまった事でしょうか。
 右往左往する兵士達とは裏腹に、手早い動きを見せたのが村の人たちでした。さすがに王国軍の糧食をこのどさくさにまぎれて黙って盗み取ろうというような大胆な愚か者こそいませんでしたが、兵士達が炊き出しをして食事にありついているのを羨ましく思っていたのは確かなので、貴重な糧食がごうごうと燃えているさまをみて、いても立ってもいられなくなってしまったのでした。もちろん、村の中での火事というだけでも一大事ではあるのですが。
「砂だ! 砂をかけるんだ!」
 まるで常日頃からそれだけを一心不乱に訓練でもしてきたかのように、村人達の動きはそれはもうてきぱきとしたものでした。火はあっという間に消し止められ、積み荷のかなりの分が延焼を免れたのでした。……ただし、その大半が消火のために被せた砂にまみれてしまったのでしたが。
 ですが、王国軍の兵士たちにしてみれば、そんなことにかまけている場合ではありませんでした。いよいよ姿を現した魔人バラクロアが、方々に火を放って――実際には姿を見せたのはほんの少しの間の事でしたし、派手に燃え落ちたのもくだんの荷車一つだけだったのでしたが、何もないところに突然炎が吹き上がるという怪異を目の当たりにすれば、さしもの兵隊たちも慌てふためかない方が難しかったでしょう。
 そのバラクロアはと言えば、兵士たちをさんざん驚かせたかと思うと、そのまま夜闇にうっすらと山陰の見える方角に向かって、はっきりとした光跡を残しつつさっと飛び去ってしまいました。
 その山が、魔人が封じられたとかいうかの火の山であるとすれば、それはいよいよ持ってバラクロアの実在を人々に深く印象づけたのでありました。果たしてそんな魔人を今すぐにでも追跡するか否か、兵士たちはその場で見苦しく紛糾を始めたのです。
 ……そんな一連の様子を、リテルは高い場所からじっと眺めていたのでした。
「……? あれ?」
 ふと気がつくと、彼女は村のどこかの民家の屋根の上に身を潜めて、兵士たちの様子を窺っていたのです。自分ではそんな場所によじ登った記憶もありませんでしたし、一体いつからそこにいたのかも分かりませんでした。
 ふと隣を見ると、今しがた火の山へと飛び去っていったはずの魔人が、少年の姿で同じように息を潜めて下の様子を見守っていたのでした。
「さっき、山の方に飛んでいったんじゃなかったの……?」
「飛んでいったけど、また戻ってきたんだよ。悪いか?」
 悪いか、と開き直られはしましたがべつだん魔人も気を害したという風でもありませんでしたので、リテルもそれ以上、自分を置き去りにした件について非難する気にもなれませんでした。自分が姿を現したり消したりというだけではなく、リテルの身までもあちらこちらと好き勝手に移動できるくらいですから、何をしたといって今更いちいち驚いているものでもないのかも知れませんでした。
 やがて、王国軍の兵士達はどういう結論を得たものか――あるいはそういう命令が下ったのか、やがて整然と隊列を組むと、一路火の山を目指して行軍を開始したのでした。何も夜中に慌てて追いかけなくても魔人は逃げはしないのですが、一方的にかき回されて黙っているわけにもいかない、という事なのでしょうか。
 その一方であとに残された村人達はというと、荷車の火を消し止めたあとの燃え残りをしばし恨めしげに、遠巻きに眺めていたかと思うと、誰からとなく砂地に埋もれた、半ば炭になった食糧を拾い始めたのでした。そのようなものを持ち帰ったところで満足に人の食べるものでは無いのかも知れませんでしたが、そうまでしなければならないほど、村は困窮していたのです。
「ね、魔人様」
 そんなあわれな人々の姿を遠巻きに見つめながら、リテルはふと呟いたのでした。
「兵隊さん達が食糧を皆に配ってくれれば、村の人たちは助かるのにね」
「そんな気前のいい連中には見えなかったけどなぁ。お前をどやしつけたときの連中の態度を見ただろう?」
「じゃあせめて、軍隊が村にいる間ならば、あれっぽっちのおこぼれだったらあるかも知れないのよね……」
 そんな風にまるで独り言のように呟いたリテルの表情は、まるで何か面白いいたずらでも思いついたみたいに、妙にいきいきとしていたのでした。

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