魔人バラクロア その7

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 やがてリテルは村に戻りました。
 気がつけば王国を揺るがす大騒動の、まさに渦中にあったリテルです。魔人のこと、バラクロアのこと、火の山での一連の顛末……場合によっては事の責任を問われ、あれやこれやと厳しい追及を受けても仕方のないところでしたが、不思議と誰かに何かを問われる事もありませんでしたし、そういったしかるべき席に呼び出されるという事もありませんでした。一つには、あのルッソが全てを自分に一任するように、と事後処理の一切を引き受けることで、そういった追及から彼女を守ってくれたというのもありますし、また一つには、あれだけ魔人を悪しざまに罵っていたホーヴェン王子が、何故か彼女が火の山に居合わせた事について意外なことに何も言及しなかったというのもありました。もっともそのせいもあって、肝心の王子はと言えば火の山に兵を送ったことで魔王復活のきっかけをつくり、あわや王国存亡の危機、という事態を招いてしまった張本人として、相当な非難に晒されることとなったりもして、それはそれで気の毒ではありました。
 そんな調子で国中から悪者扱いされたかに思えたホーヴェン王子ですが、結局彼がリテルの村の窮状を訴えたことで、ようやく本格的に救援の手が差し伸べられる事となりました。その窮状も元をただせば杜撰きわまりない当てずっぽうな開拓計画に原因があったわけで、王子がその担当部署を告発したことで、同じように貧窮にあえいでいた辺境の開拓地帯の村々にも同じように救済が行き渡ることとなったのです。そういった事もあって、辺境域に限っては意外と王子の人望も上向きになった事に関しては、当人も少しは満足したのかも知れませんでした。
 なので、リテルが村に帰り着いた頃にはすでに救援が行き届いたあととあって、村人達の間にもようやく笑顔らしきものが戻ってきたりもしていたのでした。魔物の軍勢が通過していったことで、そもそも村人達の安否も心配ではあったのですが、幸いにして皆無事で、リテルはほっと胸を撫で下ろしたのでした。それよりリテルの方こそそもそもは火の山につれられていったきり生死不明、多分に絶望的と見なされていたわけですから、実際に我が子と顔を合わせたときの両親の歓喜たるや、なかなか言葉では言い表せないくらいのものでした。
 もちろん、そもそもの発端は村人らが生け贄を差しだそうと思いついた事にあったわけですが、リテルはリテルで、あの火の山で今から思えば相当な好き勝手を、王国軍の兵隊たち相手に繰り広げていたのも事実なので、その辺りの差し引きも勘案して、彼女も敢えて誰かを責めたりということはしないでおこう、と思ったのです。
 それよりも……リテルがやはり一番気にかけていたのは、結局あの魔人がその後どうなったのか、という事でした。
 リテルが戻ってきてすぐは村中大わらわでしたし、元々見込みのなかった開拓地にこれ以上留まらなくてもよい、という主旨の通達が王宮から正式に出ていたので、村人らはそれぞれに、これから先の身の振り方を論じ合うなどしばしあれこれと慌ただしくしておりました。そんな諸々のほとぼりが多少冷めるのを見計らって、リテルは一人、あの火の山の洞穴へとこっそり足を運んでみたのでした。
 考えてみれば、あの洞穴についてはもはや勝手知ったる我が家のごとく充分に見知っていましたが、そこへ向かってこうやって自分の足で山を登っていくのは、これが二度目でした。
 当然……と言っていいのか分かりませんが、リテルの行方を炎が阻んだりということもなく、坂道にすっかり息が切れてしまった他は何の邪魔が入るでもなく無事洞穴の入り口までたどり着くことが出来ました。
「魔人さま……?」
 声をかけても、暗がりのずっと奥へと密やかにこだましていくばかりで、返事どころかただただ静寂ばかりがそこにはあるのでした。
 入り口から覗き込めば、洞穴の奥は昼なお暗く、リテルは何かしら灯りのたぐいを持ってくるべきだったと少し後悔しました。
 それでも中に足を踏み入れるべきか否か、しばしその場で迷っていると、ふいに背後から足音が響いてきたのです。ふり返ってみると、そこにいたのはあの賢者ルッソでした。
「……賢者さま!? どうしてここに?」
「やはり、気になってな。様子を見に来たのだ」
 ルッソはそう言いながらさっと手をかざし、その手にたいまつがわりの燐光を浮かび上がらせると、そのまま洞穴の奥へと進んでいきました。リテルも、置いて行かれてはまずいと慌ててあとに続きます。
 あれだけ毛嫌いしていたルッソの通過を許すとなれば、やはり魔人はそこにはいないという事になるのでしょうか。入り口の緩い下り傾斜を、リテルは足を滑らせないようにおそるおそる続いていきました。
 その斜面を下りて、ルッソは岩の広間に足を踏み入れました。手元の燐光を向こう側へ軽く放り投げると、それは丁度広間の中央の天井部分に留まって、室内全体を明るく照らし出すのでした。
 リテルにはとても見慣れた光景でした。それと同時に、ずいぶんと久方ぶりにみる光景でもありました。
「あ……水が。水が無くなっている」
 見れば、広間の中央にあった水たまり――魔人が遠く離れた場所の像を映し出すことで、兵士達の様子を見張るなどするのに使っていた、あの水たまりがすっかり空っぽになっていたのでした。地熱のせいで干上がった、とはちょっと考えにくいですが、ともあれその場は水が空になってからずいぶん時間が経っているのか、岩肌も底の辺りも、すっかり乾いてしまっているのでした。
 ルッソもそこが怪しいとみたのか、そばに屈み込んで水たまりだった場所の底を見下ろしました。空っぽになってあらためて見やれば底は意外と深みがあって、長身のルッソでも下におりて少し身を屈めれば、簡単に身を隠せそうなほどでした。
 そして二人がそこで見つけたのは、側壁にあいた大きな横穴の存在でした。
 その横穴は、いったん底に下りて身を屈めたまま進入すれば、そのまままっすぐに進んでいけるようになっていて、ルッソが実際にその場に下りたって奥を照らし出してみると、そこからさらにどこか別の場所に通じているように思われました。
「……リテル。この広間は安全だが、ここから奥は少し嫌な気配がする。私は奥へ行って、様子を見てくる」
 それが、言外に付いてくるなと言っているのだという事はリテルにも分かりました。
「私、ここで待っていてもいいですか……?」
「長くかかるやも知れぬ。待つのは勝手だが……一人で先に村に帰るのがよかろう」
 ルッソはそういうと、天井の灯りはそのままにして、もう一つ別に燐光を手にしたまま横穴の奥へと消えていきました。
 一人その場に残されたリテルは、待っている間にそわそわと洞穴の他の場所を見て回りました。ホーヴェン王子を捉えていた辺りなど、くまなく探して回りましたが、やはり魔人の姿はどこにもありませんでした。
 やがて小一時間ほど経ったでしょうか。天井の燐光が随分小さくなって、そろそろ引き返すべきかリテルが思案し始めた頃、ルッソがようやく戻ってきました。奥で何か見たのか見なかったのか、賢者は憮然とした表情でした。
「賢者さま……?」
 リテルが恐る恐る問いかけてみると、ルッソはいかにも何か言いたいことがあるのだ、というような態度で実際に口を開きかけましたが、何か言いかけたまま、そのまま結局は口をつぐんでしまいました。
「……村へ戻ろう」
 一体奥で何があったのか、結局ルッソの口から詳細が語られる事はありませんでしたが、彼の態度からいって、何かあるにはあったのだ、ということだけは確かなようでした。
 やがて幾日かののち、王都から届けられた通達に、リテルはおおいにびっくりさせられました。
 それはなんと、「魔王バラクロア追討令」という、ホーヴェン王子の名前で出された命令でした。
 曰く、賢者ルッソの調査により、かの魔王バラクロアは元々の住処である火の山に戻り、その地に潜伏していることが判明した、とのこと。
 曰く、王都にいったん攻め上った時の戦いで深い傷を負い余力もない今こそ、とどめを刺す絶好の機会であり、それがためにバラクロアは、山の洞穴の守りを固めてその奥に隠れ潜んでいるのだ……というのです。この追討命令は王国中に広く伝えられ、軍籍や軍歴の有無にこだわらず、腕自慢の武芸者などにも広く協力を求め、実際に討伐を果たした者には莫大な恩賞を与える、というのが大まかな主旨でした。
 王都での怪異は王国中に広く知れ渡っておりましたから、もしこれを成し遂げることが出来れば、かつての初代の賢者ルッソのように、王国の歴史に名前を残すことも充分に有りうることとして、相当な話題になったものでした。
 一方で、そもそもホーヴェン王子の進軍が魔王復活のきっかけであったことから、このような追討命令自体もまた軽挙妄動のたぐいではないかとして議論を呼ぶ向きもありましたし、王国軍や賢者ルッソが直接討伐に動かないのはどうしてなのか、という批判もありました。後者の声に対しては、当面弱り切った魔王が山から出てくる気配もなく、緊急を要するものではないということ、当然王国軍でも討伐隊の派遣は検討しているということ、それにルッソ自身も意欲はあると表明しつつも、魔王復活時に未然に再封印するのに失敗し、王都への進軍を許してしまった責任を感じているとして、当面は静観を構えるつもりだ、という意向を匂わせるに留めたのでした。……そもそもが、王宮やフレデリック王太子の名前ではなく、あくまでホーヴェン王子の名前で出された命令ということで、王宮としては魔王討伐はそこまで火急の急務とは考えていない、という意図が見て取れるわけですが。
 そのような命令に果たして応える者がいるのかどうか。リテルも村人たちも懐疑的ではありましたが……その通達から一週間ほどが過ぎたある日、村を訪れる見慣れない旅人の一団があったのでした。
「火の山というのは、あの向こう側の山の事かね?」
 見れば、それはいかにも屈強な偉丈夫の四人連れでした。その手には、一体どれほど巨大な獲物を狩ろうというのか、長大な斬馬刀やら重そうな戦斧やら、思い思いの武具を身に帯びておりました。
 宿はないのか、と問われましたがそのようなものは当然無いので、その一行は村長が自分の家に泊める事となりました。到着したその晩は村に一泊し、翌朝彼らは意気揚々と山へ向かっていき、夕刻には這々の体で逃げ戻ってきたのでした。
 一体何があったのか、と心配げな村人らに向かって、男達は口々に、おのが身にふりかかった災難をまくし立てるのでした。洞穴の奥に広がる入り組んだ迷路のような狭苦しい通路、王都に攻め上ってきたあの魔物の軍勢がそんな迷宮の中を徘徊し、極めつけは地面のそこかしこから、彼らの行く手をたち塞ぐかのように吹き出してくる地獄のような業火……彼らは自慢の武器をすべてその場に放り出し、命からがらこの村まで逃げ帰ってきたのでした。
 最初の一組目である彼らはそれで諦めてすごすごと帰っていきましたが、次にやってきた地方領主だという年配の騎士とその部下達という一団は、三日間村に滞在し三度洞穴に挑み、最後には部下達が、給金は要らぬからもう二度と洞穴に行くのは御免だ、と声を大にして訴えたので、騎士はそれに根負けしてやはりがっくりと肩を落として去っていったのでした。
 そんな者達が、次から次に村にやってくるのです。最初は厚意で村人それぞれの自宅に泊めていたのですが、中には礼金を置いていくような律儀者もいたりして、そのうち宿賃をとるようになっていくのでした。
 そうなってくると、今度は賞金目当ての武芸者以外の者もやってくるようになります。最初は行商人だという男がふらりと村を訪れ、しばし露店を商っておりましたが、村人よりもバラクロア退治の者達が重宝がって色々買い求めたりしているうちにあっという間に売り物が無くなってしまって、これはまずいとばかりに行商人は慌てて仲間を村に呼び寄せたのでした。
 そうこうしているうちに、そんな商人の何人かは村に居着くようになり、村人達も本格的に自宅を宿屋や食堂や下宿に改修したり……バラクロア退治に挑む者達も、中には村に住み着いてしまう者もおりましたし、そんな風にひっきりなしに出入りする彼ら目当てに、新しく鍛冶屋やら何やらが商売を開いたりと、あれよあれよのうちに村から街と呼ぶにふさわしい様相に変わっていったのでした。
 リテルの両親も新しく食堂を始め、彼女も両親の仕事を手伝ううちにすっかり看板娘のようなものになってしまいました。国中の腕自慢が集まる冒険者の街として、火の山のふもとにあるそこは次第に王国中に名を知られるようになっていったのです。
 気がつけば、ひもじさに震えていた頃からは想像もつかないような、目まぐるしくも忙しい、それでいて賑やかな毎日でした。そんな中でリテルがいつも思うのは、あのあと一度も姿を見せずじまいの例の魔人の事でした。無事でいるならば、その気になればいつだってリテルに会いに来られるはずなのに、何故そうしてくれないのかと、もどかしくもあり、寂しくもあったのでした。
 けれど今日も火の山から逃げ帰ってきた冒険者達の、やれ今日はこんな酷い目にあっただの、こんな肝を冷やす思いをしただのという愚痴とも自慢話ともつかぬ与太話を聞かされるにつれ、魔人は魔人であの洞穴で今もなお変わらずに元気でいるのだ、と知って、リテルは何だかほっとしたような気持ちになるのでした。
 そして彼女は、あの洞穴で過ごした日々を時折懐かしく思ったりもしながら、今日も冒険者達が意気揚々と火の山に向かっていくのを見送りつつ、彼らの無事の生還を祈るとともに、「魔人バラクロア」の活躍を内心ひそかに願ったりするのでした。
 今日も一日、がんばってね、と。

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