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5 掛けると掛かる

友釣りの場合、積極的に思い通りに野鮎を掛けると、偶然まぐれで掛かる、更にその中間、どっちかなと言う掛りがあるように思います。掛けた喜びに差はないのですが、ただ、その喜びの種類(?)に差があるように思うのです。

川岸を移動しながら流れを眺め立ち止まり、野鮎の付いていそうなポイントを見定め、手早く竿を伸ばし仕掛けをセット、もどかし気にオトリに鼻環を通し放す。
狙ったポイントのどの石とどの石のどの辺りに野鮎が付いているのかを読み、どの流れの筋を泳がせポイントに向かわせるのか。イメージ通りにオトリを誘導、狙ったポイントに近づく、竿先を微妙にシャクリ下手の石から縫うように上らせ、石周りで少し止め追いを待つ。無ければさらに上手に向かわせ、そして読み通りに野鮎が追い、掛かる。本日第一号、今日一日の幸せを予感させる、気持ちの良い掛り。
今掛けたポイントを確認、掛かり鮎をオトリに替え、更に次のポイントを狙う。間違いなく掛けた野鮎がオトリ。さすが名人! と錯覚させる喜びでもあります。こんな掛りばかりなら、一日数匹でも大満足です。

ただそんな筋書き通りの掛りばかりではありません。オトリを放す、ススッと流れに潜り込む、直ぐそこでキラリ、エエッ! もう掛ったの。対岸寄りのポイント狙い、どう届かせようかとイメージを組み立て、オトリを放した途端のラッキーな掛かり。あまりにも呆気ない、しかし、文句無しに嬉しい。

掛かるのだが、腹掛かり、頭掛かり、オトリ交換が上手くいかず同じオトリを使い続ける。読みが外れたのか、それともすでに誰かが先に掛けてしまったのか、まったく追い無し。更にオトリを酷使、狙ったポイント目前でダウン寸前、さあどうする。緩やかだが深さのある流心。オトリの動きに全神経を集中、鼻先を刺激せずスーッスッと動きをアシスト、何とか駆け上がりに届かせ、其処でギラッと来る。まぐれでは無い、神経戦での勝利。これは間違いなく掛けただろう。ホッと救われた喜び。

まだ一匹も掛けていない。騙し騙し使ってきた養殖オトリ遂にダウン。そこで、先に酷使され、引き船に戻され少しは回復した筈のもう一匹のオトリ、二度目に挑ませる。頼む、願いを込めて放す。とても瀬に潜り込む力は無い。一気に瀬を滑らせ、対岸寄りの緩い流れに届かせ沈め、慎重にオトリを引く。なんとか石周りを泳いでいるが、疲れで体色の薄くなったオトリ、いかにも操られていますよという感じ、野鮎はすでに見破っているのだろう。ピリッとも追いが無い。それでも辛抱強くオトリを引く。この娘に騙される間抜け鮎は居るのだろうか? 元気なオトリなら石周りでチョンと止めるのだが、このオトリ、止めれば間違いなく小石を抱えて休みそう。とにかく慎重に上手の石に引き上げる。横にならぬよう、鼻先を引かぬよう、息を詰め追いを待つ。

寝るオトリ

このオトリに全てを託す。掛からなければ、今日の友釣りはジエンド。ソロリソロリと引く透明な流れの中、オトリの後ろ、慌てふためく掛かり鮎が目に入る。野次鮎が変色オトリをからかいに来て、偶然掛け針に絡まったのか、慌てふためく姿がそれを語っています。
これを外すわけにはいかない、慎重に寄せ取り込む。意外や良型鮎の口掛かり。これはまぐれ掛りには違いない。しかし、この後私は確実に蘇る。

友釣りとは、こんなにも神経を使う釣りだったのか、今更ながらに思う。
真夏の炎天下、川の流れに浸かりボーッと竿立てる姿、道行く人から見れば涼しくゆったりと気持ちよさそう。しかし、友釣り師達、頭の中、其々のコンピューター、オーバーヒートしそうなくらいフル回転? それが野鮎を掛ける喜びにつながる。だが、脳内コンピューター、フル回転、空回り、ハイ次! これはこれでまた楽しい。結局、友釣り、何が起こっても楽しいことばかり。




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