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96 浅葱斑(アサギマダラ)

その年の鮎シーズンが終了した10月中旬、腑抜けのように縁側でボーッとしていると、目の前を一羽の蝶がフワーッフワーッと優雅に飛んで行きます。まるで私に来訪の挨拶を告げに来たように。
アッ、アサギマダラだ、今年もやって来てくれたのだ。嫁さんが何時の年に植えたのか、庭に茂っているフジバカマ、ユックリ上下に飛んで行きボソッボソッとついている花弁にぶら下がる。旅の疲れを癒しているのだろうか。しばらく休んだのち別の花弁に飛び移りまた蜜を吸っている。この蝶は台湾辺りまで南下するらしい。かなりな長旅、十分な体力を蓄えたいのだろう。驚かさないように縁側から眺める

あさぎまだら

この蝶が初めて庭にやって来たのは、偶然にも五年前の母の葬儀の日。葬儀の合間の少しの時、縁側で気疲れを癒していると、フジバカマの周りをフワーッ、フワーッと舞っている蝶がいました。アーッ、あれは紛れもなくアサギマダラ、何という偶然なのだ。

あさぎまだら2

私が高校生、弟が中学生、その頃弟は蝶々採集に熱中していました。春に山岳部で登った比良山脈、弟と二人で夏休みにその中の峰の一つ蓬莱山に登りました。弟は長い継竿状の柄のついた補蝶網を持ち、頂上に棲息していると聞いたアサギマダラを狙っていました。

時間を掛けて登り、遮る木々の無いクマザサの群生する頂上、その中に咲く名も知らぬ花、アサギマダラはそれにぶら下がっていました。      弟は柄を伸ばしソーッと網を近づけ横に払います。しかし、捉えられません。間一髪難を逃れたアサギマダラ、フワーリフワーリと高く高く舞い上がり、薄い霞のような雲の中に消えてしまいました。弟はアサギマダラを見つけては、何度も同じ補蝶動作を繰り返しますが、同じ結果でした。結局その日、腰の三角缶には別の種類の蝶が数匹収まっただけでした。

それから何十年か経ち、弟は亡くなりました。そして弟の死から十数年後の十月中旬、今日母の葬儀。その蝶を見た瞬間、あ! 弟が来たと思いました。弟があの時必死に追い掛けた蝶、薄い霞の様な雲の中に幻の様に消えた蝶、その蝶が母の葬儀の日に庭に来てくれた。弟が母を迎えに来てくれたのだ、そう思ったのです。

それから毎年この時期、それもほとんど同じ日に、一羽のアサギマダラが庭にやって来て、他の花には目もくれずフジバカマの蜜だけを吸って、半日か一日過ごしいつの間にか何処かへ行ってしまいます。あまりにもアッサリといなくなるので、蜘蛛の巣に絡まっているのかと心配になり探して見ますが、絡まっていたことはありません。やはり長旅の途中の一休みに来るのでしょう。

ヒョットしたら寂しがり屋の弟、少年時代、私の行くところ何処にでも「尻りつき饅頭、田舎の乞食」と囃されながらも付いて来た弟、私を迎えに来ているのだろうか。いやいや俺はまだ行きません。俺はお前の様に濃密な鮎シーズンを過ごしたことがありません。まだまだ鮎釣りに未練があり、来シーズンも竿を出したいから。まあ、いずれ行くでしょうが、その時は頼む。













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