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移り変わる

 今日、眼鏡を取りに行ったときに対応してくれた店員さんがものすごく好みだったと言うと、母は「あんた趣味悪いで」と顔を顰めた。眼鏡屋さんだからか眼鏡が似合っていて、少し恰幅のよいどことなく理系っぽい雰囲気の漂うひとだった。母が言うには不細工、らしいけど顔の造形は正直どうでもよかった。好みではなかったのは確かだけど。でも醜い外見の私がとやかく言うことではないので。そのひとは話し方がとっても穏やかで、目線を合わせるのが苦手な私のことをじろじろ見てこないひとで、とても楽だった。なんとなく、こういうひとと結婚したい、と思った。

 私の弟は障害者手帳を持っている。私自身もそういう因子があって何か足りていないことは自分でもわかっている。だから結婚できないことはわかっているし、自分みたいな人間の遺伝子を遺すこともしたくない。死ぬときは多分、私はひとりだ。そのときは母も父もいない。友人も生きているかわからないし、それまで仲良くしているかどうかもわからない。それが怖くて仕方がない。

 私は恋愛=結婚、と直結してしまう。だから彼氏、とか恋人、とか無理だと思う。私は女子大に通っているので、周りの女の子たちはみんな「彼氏がほしい」と言って外部の大学のサークルに入ろうとしている。入学式の日、某国公立大学からのサークルの勧誘がすごかった。

 わかんないよ、私には。

 いつか別れてしまうものに価値を見い出せない。終わりが見えてしまうから。彼氏はいずれ夫になる、とわかれば話は別だけど。別に男でも女でも構わない。恋人ってそういうもんだし。結婚を前提としないお付き合いはお遊びみたいに思えてきてしまう。そんなの嫌だな。

 同性同士の結婚についての裁判で、「自分は困らないから別にいいんじゃない?」というコメントが多くて悲しくなった。人間同士でそんなべつの生き物みたいに線引きされていることが悲しい。別の存在として認識しないと認められないっていうのはなんて愚かなことなんだろう。みんな薄々気づいているんだろうこの世界が間違っているってことに。

 共学よりも女子大の方が楽かと思っていたけど、そんなこともなかった。話題についていけず、やがてひとりになっていくのは目に見えている。ひとって簡単に変われないよな、と思っていたのに、彼女たちはどんどん姿を変えて、美しくなってゆく。私だけが変われない。私だけが取り残されてゆく。醜いアヒルの子だ。

 文芸部に入ろうと思う。私はオタクで腐女子で夢女子なので、そういう子たちがいっぱいいるといいな、と一縷の望みをかけて。そしてまた、私は自分自身の文字書きとしての能力を信じていきたい。孤独はひとを学問と芸術へと走らせる。

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