好きなように生きるという意味

割と最近見かける『好きなように、好きなことだけして、自由に生きていく』『言いたいことが言える夜の中』というどこかのリクルートの宣伝みたいなことをよく見かけるTwitter界隈から顔を出してみた。おはよう。

実は、その『自由に生きていくこと』『好きなように生きること』の難しさ、不条理さを、とりわけ日本人は知らない、と私は思う。

何度も言うように、私は自由に生きてきた。同人活動に思うようにお金を掛けて、お洒落にはそれなりに関心を持ち、どうでもいい人間にはノーメイクで会いにいくけど仲良くさせて頂いた方の前では朝5時から起きてメイクするみたいな生活もしてきた。一人で旅行、ドライブなんかもしてきた。

そこには数え切れないほど失ってきたがゆえの苦労と、好きなように生きるがゆえの絶望があった。

同人活動にはとにかくお金がかかるけど、まず時間の捻出からスタートする。お金を稼ぐには仕事をするしかない。虚弱体質にとって仕事と趣味の両立は非常に厳しかった。

もちろん奨学金から車のローン、維持費、税金も全部自己負担である程度のお金は母に納めていた。それでも炊事家事まで手が回らない。母の手料理は美味しいけど、母も正社員、私も正社員、立場としては対等なため働き出したら負担も平等だった。

ここで節約できるのは仕事にかかる労力であった。趣味にはお金がかかるので炊事家事の労力削減は難しかった。体力を消耗せず節約するには自炊が一番だからである。仕事を如何に効率よく済ませスタートダッシュを決められるかを考えなければならなかった。

しかし、そう、甘くはない。仕事を効率よく済ませて帰る行為は別の負担が増えるしとりわけ社会人一年目の人間に効率よくこなすことは土台無理な話であった。新卒で入った仕事を捨て、たった何ヶ月かの差であるだけで中途採用扱いされた私に対する要求の高さは予想を遥かに越えていた。

叩き上げに一々教育などしない。入ったその日から自分で動くしかなく、よく迷走していた。積み重なる要求に耐えかねた身体は当然傷み、しばらく働けなくなった。

軍隊みたいな教育でも、組織の在り方や理念を知る機会の得られる新卒という待遇がどれほど恵まれていたかを、私は痛感した。仕事をしながら組織の在り方や理念を知るのは無理だ。専門学校卒業という看板も輪にかけて周りからの期待と羨望の眼差しが全て鎖になってしまった。

しかし、叩き上げで一年半も走り切った私はいつの間にかしぶとい人間になった。周りからの要求などどこ吹く風で風当たりが強かろうが休みたい時に休む。しかし、それ以外は組織人として貢献することに集中し、ひたすら頑張った。

優しさというものの考え方を変えた。新卒だった頃は『こんなにしてあげたのに』みたいなことを他人にぶつけていたようなきがしたが、それは精神が傷むことを知った。それ以降から今では『私の為に、私が好きでやっている』という意識に変えた。

誰かの相談に乗るのも私の趣味、誰かに手を差し伸べるのも私の趣味、誰かの力になりたいというのも私が勝手にやっている。全て過去の私が少しでも救われるために、私という人間を他者に投影させながらやっているだけだ。別に他人がどのような人生を送ろうが私には関係のない話だ。悲惨な人生を語るのも勝手だが、私には私の人生がある。だから、私は勝手に私の人生を語るだけだ。

確かに周りには理解されなかった人生かもしれないが別にその事を恨んだわけでも不幸なわけでもない。今更創作活動だけに全てを費やせない人生であることはよく分かっている。

正義感と正しさだけで生きてはいけないことも分かっている。正義感と、正しさと、優しさを振りかざす限り、まあ、自己肯定感など身につかないだろうね。

多分私が人に恵まれたのは愛だけはたくさん貰えて、それを無邪気に受け取ってきたからだ。今までそんなに拗れた人に出会ったことがない。ここ二年、拗れた人と出会ったけど、多分ここ二年間の話である。悪い人がいることに驚いた。ネットですら悪い人に出会ったことがないからだ。ネットですら無邪気に好きを追及している楽しそうな人にしか出会ったことがない。

有難いことにジャンルに関係なく作品を見て貰えるようになり、そろそろレジンも再開する。名刺も作ったのでそろそろ委託店に向かいたい。元気かな。

好きなように生きる、自由に生きる、それには絶え間ない努力が必要だ。まず、良い評価がつかないしとりわけ日本はまだまだ村社会なのではみ出し者に対する風当たりは強い。それに対して剣を向けるか、傷ついても素知らぬ振りするのか、くらいしか好きなように生きるのは現状難しい。何かを作るというクリエイターとかでも悪しき村社会は残っているし、あと40年くらいは変わらないだろう。

政治家の私的な言動すら監視し批判する日本の村社会で、はみ出し者として生きるなら相応の覚悟が必要だ。少なくとも周りを気にしながらツイートする人間には好きなように生きることは無理だ。無難に組織や村社会に則って生きる方がいい。

何かを得るなら何かを失うという法則があるみたいでとりわけ日本は失ったら生きるのが辛い、くらいには自由に生きていくための環境は整っていない。まず親戚を失ったらお金に困る。友達がいなければまず繋がりは絶たれる。まず勉強しなければ仕事にはありつけない。逆に勉強すれば有利になる、というくらい学歴でカーストがつけられ、今後の人生が決まる。

新卒待遇を失ったら社会の在り方も知らないまま中途採用として即戦力を求められてしまう。それにどれだけ向き合えるか。どれだけ抗えるか。私はそんな風に乗り切ってきた。決して順風満帆な人生ではなかった。光が差すのに5年も掛かってしまった。それでも、私は好きなように生きることを諦められなかった。往生際の悪い人間ゆえに。卑しい人間ゆえに縛られたくないと思い、下積みを積んできた。

組織人として貢献しながら常に移り変わる時代の流れと、その激変に何度も疲れた、と思ったが、それでも私は生きるのだ。私が生きたいように、私が私らしくある為に生きていく。誰かが傷つくのかもしれないが今更私がそんな事を気にしても仕方ないのだ。好きなように生きると決めた日から、特に母には辛い思いをさせてしまっているのだから。まあ、母は豪胆だし仕事以外では割合適当だし私以上に好きなように生きているから簡単にくたばることはなさそうだけども。