難しいな、人間という生き物は。

ソシャゲをサクサクプレイしながらすっかり推しキャラに貢ぐ人間と化している怠惰の権化、真北理奈である。さて、今日もダラダラと悪意に満ちた何かを残すことにする。

最近Twitterにも創作活動にも嫌気が差していて、ソーシャルゲームに熱を上げている。

元々創作をし始めた理由は『ラングリッサー』というシミュレーションロールプレイングゲームのようなアニメチックな絵が描きたい、人間同士のぶつかり合いによって描かれる世界観を自身の創作で表したい、ドラゴンクエストのような広大な世界観を描いて自分もそこに行ってみたい。魔法のじゅうたんでふわふわ飛べたらいいし、マーメイドハープで深海に潜り人魚と戯れたい、カルベローナという魔法都市で光がふわふわ浮かぶ街に住んでみたい、ペガサスに乗って空を飛びたい……想像力に果てはなく、私は幻想世界が昔から大好きな人間だった。

ドラゴンクエスト、ファイナルファンタジー、ファイアーエムブレム、スーパーマリオシリーズ、スーパードンキーコングシリーズ、星のカービィ、ロマンシングサガ、ライブアライブ、テイルズオブシリーズから、ラングリッサーとかまでジャンル問わずゲームには手を出した。

漫画、アニメは美少女戦士セーラームーンは全盛期だし宇宙戦艦ヤマト、機動戦士ガンダム、未来少年コナン、ベルサイユのばら、はいからさんが通る、コレクターユイ、コードギアス、青の祓魔師、NARUTO、キャプテン翼、キューティーハニー、おジャ魔女どれみ、デジモンシリーズ……アニメとゲームと少女漫画が好きな典型的なオタクだった。子供の頃はうさぎちゃんに憧れ、タキシード仮面と結婚するなんて言う夢みたいな事を呟くやつだった。

母も読書やアニメを嗜み、キャンディキャンディとベルサイユのばらとガラスの仮面とセーラームーンとかが好きな少女漫画人間である。好きなアニメは金田一耕助が好きだから金田一少年という横溝正史愛は徹底しており、アガサ・クリスティやモーリス・ルブラン、コナン・ドイルなんかも読んでいたし映画やミュージカルには積極的に私を連れていくなんて言う、幻想世界に賛同するこれまた少女みたいな人だった。

Twitterに嫌気が差したのは、人の気持ちが本当に想像できなくて、気が向いたから言ってみた、というような目を疑う発言が目に付くからだ。

私の母は勉強や成績にはうるさくなかった。高校なんて出たら勝利だしFランでいいから学歴は最低でも専門学校は出ていなさい、お金にこまるからという、学校の勉強にはどうでもいいと言ったような人間だった。何せ先生よりも年上である事が多いため、先生がたじろいていたような気がする。とにかく母は強かった。母は強かったので集団生活が必須である小学校、中学校ではとにかく問題児だったしいじめられていた。

とにかく教育という教育には反発を示し、好きなことを好きなようにして、良くも悪くも目立つようなタイプだった。高校なんてやる気がなかったせいか治安最悪で非行行為と隣り合わせみたいな高校だったが、別に私は非行行為なんて気にせずお絵描きしまくってお話書きまくってたしどうでもよかった。ただ、援助交際はやめなよな、とは思うけど。

Twitterを見ていて思うけど、可愛い人が痴漢とかで嫌な思いをしたし、女の子はこういう気遣いをされるのが嬉しい、みたいな話をするだけで『いや、違うよ』みたいなリプが連なってるのをよく見る。議論をして封じ込めようとする。ただ嫌な気持ちを発信しただけなのに。

逆に『旦那の愚痴』についても『文句はダメだよ』とか、封じ込めようとする。溢れ出る負の感情を、直接封じ込めようとする。

ブロックと言って、Twitterユーザーの呟きが見れなくなる機能やミュート機能があるのに。

生きていたら怒りとか悲しみとか苦しみとかたくさんあるのに表に出さないようにして、だからしんどくなるのよ。拠り所を作らずに前ばかり見るから走れなくなって手遅れになるのよ、と、私は思う。

何事も正面からぶつかって剣や槍で直接攻撃する、というのが真面目で評価される、というなら私はそんな評価要らない。

魔法を使いたいし砲台も使いたいし弓や飛行機も使いたいし。大きな鳥に乗りたいし空を飛びたい。迂回もしたいし旋回もしたいし寄り道もしたい。創作活動では素材はバンバン使いまくるし人の力は依頼で何とかするし素敵な本の装丁は幅広くあるからお金を貯めてのワンポイント箔押し、キラキラした紙に印刷、写真やテクスチャなんかが散りばめられた小説、ケースに仕舞われた本、自分だけのオリジナルソング、アクセサリー、私は様々な創作に囲まれて生きていきたいしなんなら今すぐにでも空を飛びたい。ちやほやされたいしでも縛られたくない。ワガママなまま育って、ままならない世の中に生きているけど空を飛ぶ事を諦めたくはない。

でもそれは、私だけの夢だ。空が怖いという人がいてもいい、文字で勝負すべきという信念があってもいい、粛々と創作を生み出すべきという思いで生きてもいい。人は誰でも何かになれる。

あなたにとってはただ気が向いて話しかけて、たまたま目に映る私を見て声を掛けただけかもしれないけれど。

動悸なんてどうでもいい。

手を差し伸べてくれた、その事実だけで私は嬉しいのだ。だけど、私は空を飛びたいし海を渡りたいしあれが欲しいこれが欲しいと言う我儘な人間だ。

私を撃ち落とさないで。私を連れていかないで。私を暴かないで。

だけど、手は差し伸べられたい。なんなら温もりは欲しいし構って欲しいし褒められたい。

真面目という枠が全てだと思わないでくれないか。

嫌気が差してつい叫んでしまった。いや、誰かに封じ込められても傷ついても、私を変えることはできないけど。