ネットでの創作活動が今年で10年目になるらしいよ

ノートを使い始めて長らく放置していたので今日から徒然でも語りつつ話してみたい。

私は生まれた時から空想が大好きな人間でごっこ遊びに精を出すような人間だった。

ただ、人形をグルグルにしばったり括りつけたり服をひん剥いたりなんか変な方向に振り切った遊びをしていたので怖かったと母が言っている。そしてそんな感じのやべー要素は創作物に活かされている。

よければ読んで欲しいが流血とか暴力とか当たり前にあるし長いので注意されたし。

緋の剣士に捧ぐ交響曲 第二番 https://ncode.syosetu.com/n9581eb/

ツイートでは通称「第二番R」で語っている。

さて、ネット歴と創作歴が10年目になった。しかし、満足したというか最高のものを書いているかと言われたら「まだまだ改善したいし未熟」と思っている。自分は好きだがうまいかと言われたらそうでも無いと思うし、いいねはあまり多くない。だが別にいいねやRTにはこだわっていない。気にしたことも無いし、いいねがなくても気にならない。

10年やって学んだことはTwitterのいいねやRT、フォロワー数など全く当てにならないという事実である。

RTやいいねは奮わないが直接参加するイベントでは頒布数が予想を上回り毎回再版しなければ間に合わないからだ。全くもって有難いことである。

一番初めに書いた「あなたはクリエイターになりたいか?」のnoteでも言ったように、経験や実績こそが全てである。イラストレーターになりたい、依頼が欲しいという人間はツイートでもよく見掛ける。相場なる話もよく見る。

私は同人誌に使う表紙絵やロゴをよく頼むが、依頼する基準は以下である。

・双方の事情を汲み取ったお金の話ができるか

・実績が公開されているか

・何円で引き受けたか

・データ作成の知識があるか

こんな感じである。とりわけ実績は気になるし、だいたいどのくらいで依頼をしてくれるのかはちゃんと知っておきたい。そのためにも私が依頼した表紙絵は全て実績公開を許可している。お金の話も大事である。

大前提として生きていくにはお金がいるし衣食住にはお金がいる。当然のことながらこちらの依頼を請け負ってくれるイラストレーターさんに支払えるお金は限られる。

お金の話ができない人間を信用する事は出来ないのだ。10年もやっていれば、人と何かをする時、大概大なり小なりのトラブルは避けられない。何度も言うが他人とは根本的には分かり合えない。

だが、お金というのは万国共通である。お金の管理がしっかり出来て相手にも自分の生活費などを話したりする、そういったお金の話をする人間は少なくとも信用には値する。私が関わってみて「ん?」と思った人はお金の価値がわからない人間か相手のお金の事情がわからないか、だ。

はっきり言って16歳くらいになったら1人でATMで振込する、というくらいは理解して出来るようになってほしい。まだまだ世間では18歳で社会人になる人のほうが多いのだから。

Twitterではお金のトラブルを耳にすることが多いが、私の場合、価値観の違いで衝突するくらいはあっても不思議なくらい日常でお金のトラブルに見舞われたことがない。

私は13歳から親に銀行振込を教えてもらい、14歳には自分の口座を作って持っていた。お年玉は母と一緒に銀行の講座に振り込んだ。高校受験前の受験票のお金は自分で下ろし、手続きした。

専門学校に行く時も奨学金制度を使ったが手続きは母の立会の元、自分で行った。この時は引き出しと預け入れはもう理解していた。

小学校で一人で買い物に行っていた。8歳から一人で留守番もしていた。母子家庭で親戚の援助も貰えなかった私達は母が父親並に働いて生活費を稼ぐしかなかった。子ども手当母子家庭手当が唯一の救いだった。小さい頃から母は私に「何もしてやれないよ。自分で生きていくんだよ」と言った。

その甲斐あって不思議なくらいお金のトラブルには見舞われなかった。それどころかお金の話をしたことでとても救われたことの方が多い。お金の使い方、価値を自分なりに確立していたからかもしれない。

楽しみには迷いなく投資し、必要な物を買う時は長持ちするものを選び、ちゃんとしたものを買う。通販に伴う個人情報のやり取りにも抵抗はなかった。

そもそも住所は、何かをしよう、参加しようとすれば必ず提供するものになるのだから教えることに抵抗があるなんて言っている人間もよく分からない。ちゃんと調べるなり聞くなりすれば案外安全である。それに世の中には写真のちょっとした背景だけで居場所を特定してしまう者もいる。危険ばかり気にしてもしょうがない。それよりも使い方をしっかり学んだ方が使いこなせると思う。

嫌われることにビクビクし、ヘコヘコしている人間は格好の餌食である。私は気にはするがとりわけ嫌われたくない、とは思わないしやりたい事をやり抜いて、立ち向かう時には立ち向かって生きていこうと思ってきた。逃げる時には逃げてきたがやるしかないと思ったら剣を抜いて振り上げて生きてきた。

こうして10年が経った。なんかよくわからないけどたくさんの人に私は支えられていた。無論私を嫌う人間も沢山いるだろうがそんなこと気にしたことない。それよりも私が好きだと思う人を私は愛したい。愛されるかどうかは別として私がまず愛さねば意味が無い。相手が返してくれるかどうかはわからないしそれはまあ運命が決めるだろう。

私はあまり自分の意見や相手に対する不満を直接伝えることは無い。根本的に親でさえ他人、ならばTwitterのフォロワーは全て他人であるという考え方をしているためだ。分かり合えない。

Twitterではその代わり書きなぐる。だけど直ぐに消す。Twitterに書くなよ、直接言えよ、というが一々直接言ってどうするのだろうと思う。相手は変わらない。ならば自分が引いて尊重すればだいたい丸く収まるしだいたい相手は相手で私に気は使って話しているのだからお互い様である。いつでも感情を抑えていたら壊れてしまう。人間、そのように出来ているのだ。

だが、どうしても許せない事がある。引けないことが。親しくなればなるほど大抵は引くがどうしても許せない事ができる。Twitterで私が荒れているのは、どうしても、何度悩んでも、私が悪いと思って呑み込んでも、それでも許せない事を言われた為である。私が辛い時に支えてくれて、苦しい時に一緒にいてくれて、本当に尊敬して感謝もしていたので、だからこそどうしても、どのように考えても許せなかった。許すだけの強さが持てなかった。多分相手は察したのか離れた。でも私はもう二度と関わりたくないし元に戻る気にはなれない。この話、もう1ヶ月前なのに全て鮮明に覚えている。時間で解決するだろうか。少なくとも1ヶ月経っても怒りで泣いてしまうこともあるから多分二度と戻らないし少なくとも私からは何か言う気は無い。だが時間が経てば変わるかもしれない。その時のことは神が決めるし今は感情に身を任せている。

何かをなそうとしたら壁にはぶつかる。それを壊すか割るか、回避するかは全てあなたの自由である。ただ、私自身は逃げられないなら叩き割る方が生き延びやすいと思っている。逃げる時は全力疾走である。半端が一番良くない。

私は過去は語るが私の過去は笑い飛ばして欲しい。私自身、本当に話したくない過去は誰にも言っていない。母も知らない。墓まで持っていくつもりだ。私一人で苦しみながら生きていけば良いのだ。

なんかそんな感じで生きてきたら創作活動歴が10年になった。でもまだまだだと思う。上手くなりたいもっと最高のものを作りたいまだまだやりたいと思う。

生きなくちゃ、生きなくちゃ、命が泣いてしまう。

私はそのように思いながら今日も何とか不器用に、泥にまみれて生きている。