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内省人間日記。
今週も、お疲れ様です。
何年生きても生きるのって変わらず大変なので、おもしろいです。
疲れすぎやろ、って思って笑えます。
そんな今週は、自分の中で新しい練習を始めることにしました。
わたしは昔から空気を読む、些細なことに気がつく(ついてしまう)子供でした。
同じくらい自己中心的でわがままなところも持ち合わせてます。
この空気を読む、ということに付随したものか否かは分かりませんが、
人と距離感を縮める(心的な)、相手に心を開いてもらう、そういうことが割と難しくなくできる方だと思います。
昔から自分の長所として挙げられるものの中によくありました。
この感覚は自分に染みついたものです。何も考えずに動くなら、恐らくずっと気を回してしまいますし、相手と何気ない会話ができるくらいに距離を詰めようと小さなことから努めます。
染みついているから。誰かと仲良くなるため、自分が居心地がいいような関係を築くために動いているのは楽です。疲れるけど、楽なんです。
同僚が同じ空間に居るけど、喋りたくないとき、そういう時に黙っている方がむしろ自分にとってはストレスになります。
誰かと同じ空間に居て、沈黙が流れるのは、ある種の恐怖です。
慣れてないからです。慣れてないのでものすごく居心地が悪いです。
1人にしてくれよ、と思います。わたしも思います。
一回話しかけると、その後も続けないと、と考えてしまうし、最初から最後まで静かなのも息が詰まる。
とても面倒くさい、複雑構造だなあと思います。
そう、それで最近練習し始めたのが、愛想が良くない自分に罪悪感を持たない。です。
自分は長い間、周りの空気を明るくする、だとか協調性があって話しやすい、だとか、そういうところが自分の(社会で生きていく上での)良いところだと思ってきました。
仕事が他の人より特別できるわけではないけど、場の雰囲気を和ませる力はある。
だから自分には価値はある。ここにいて役に立っている。そんな感覚。
しかしそれは、どの場所でも必ず通用するわけではないですし、何より自分はそうやって振る舞うことで疲れている。
自分は頑張っているのに、だとか、そういうことを言い始めるのは時間の問題です。
周りの空気を明るくできる自分も、完全に1人になりたい自分もどっちも同居している。
前者はすごく働き者だから、わたしは後者である自分ももっと大切にしたい、と思ったのです。
この間、早速実践してみました。
やることはやる。ただ、もっと良い子でいないといけない、みたいな部分を敢えて押さえつけてみる。頑張りすぎないで、そこに居る。
休憩中も、同僚の人たちが何人か同じ部屋にいましたが、そこでも頑張りすぎない。話しかけてくれることもあるので、その時に少しお話しするくらい。
その日バイトを終えて、帰り道、とても疲れてました。
話しかけてもらった時、もっと話を膨らませるべきだったんじゃないか。自分からも質問するべきだったんじゃないか。
先輩にもいつもみたいに笑顔で対応しなかった。みんな疲れてるんだから、自分は笑顔でいないといけないんじゃないか。
そんな(おかしな)罪悪感がありました。
自分は、いつだってどこでだって、人と対する時に明るい良い人でいないと罪悪感を感じるみたいだ。とやっと気がつきました。
文字にすると尚更、少しずつ練習して自分をもっと楽にしてあげたい。
そんな今週でした。
この練習を日々続けていくつもりですし、こういう練習には揺らぎなどは付きものなので、またこれについても記録していきたいと思っています。
ではでは。また来週。
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