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年の瀬に。
年末、にわかに2組の方が我が家にセラピーを受けに来てくださる。
今年から少しずつ宣伝や声かけをしてセラピー活動を再開したが、場所を間借りして出張でさせてもらっていたので、自宅にクライアントを招く機会は無く、セラピーで使っていた部屋はすぐに使える状態でなく、、大急ぎで部屋を片付けた。
当たり前だが、掃除をするのはとても気持ちが良い。こんな「快」をしばらく忘れていたように思った。
ひと組、親子で施術を受けてくださった方が、施術を喜んでくださって、また来てくださる話をして帰られた。
来年、掃除する機会ももらった気分で、とても嬉しい。毎回焦って掃除しなくて良いように、日々継続できるかなぁ。したいなぁと思う。
改めて、来年以降、個人的なところで大切にしたいこと。
・セラピスト活動
・環境改善活動
・踊り
・身体感覚を磨く(武術的な動作)
・古事記の素読
ところで。
五つめは、突飛に思われるから、あまり人に言わない方が無難なのかなぁと思っていたけど、個人事業の伴走をしてくださっている方との年末のミーティングで、
「三つ、古事記を読むと良い理由を挙げられれば人に勧められますよ。」
とのアドバイスをいただき、年の最後に理由を考えてみた。
(自分は、「これは良い!」と思うと、つい人に勧めたくなる悪癖がある故に。。)
素読について、素敵な文章があったと思いだし、再度検索するとヒットした。
以下である。
ーーー先生は、この「すがた」ということもよく言い、とにかく、意味を取ろう、意味をわからせようとばかりしていると、「すがた」が見えなくなる、「すがた」を見ないのでは「わかった」ことにならないのが古典だーーー
ーーー歌は、まさに「わからぬ」ものなのです。歌は、意味のわかる言葉ではない。感じられる言葉の姿、形なのです。言葉には、意味もあるが、姿、形というものもある、ということをよく心に留めて下さい。言葉の姿と言っても、眼に見える活字の恰好ではない、諸君の心に直かに映ずる姿です。ーーー
素読すると良いひとつめの理由は、「言葉の姿をみることができる」ということかもしれない。では、わたしが言葉のすがたかたちを観ることができているのかと言うと、現時点では謎である。。
そして、そもそも、なぜ古事記の素読を始めたのかといえば、長年、お世話になっている医師の勧めというのがある。端的に言えば、「精神と身体に良い」から。
素読と言うよりは、「音読」が心身に良い影響を及ぼすということは、エビデンスがあるようだ。これが、ふたつめの理由になりそう。
ーーー1日10~15分の音読で記憶力20%UP
黙読するだけでも、脳の広範囲が働いていることがわかりますが、これが音読になると、働く範囲がさらに広く、強く活性化することがわかっています。
中でも特に強く反応するのが、「頭の良し悪しを握るカギ」である前頭前野です。
脳全体の血流が高まり、活性化した状態にできるのですから、脳の「準備体操」として音読は最適であるといえるでしょう。実際に、1日10~15分の音読を行うと記憶力が20%アップするという研究もあります。
小さなお子さんが自分で文字を読めるようになると、声に出して絵本を読んでいる姿をよく目にしますね。実は、あれが非常によい前頭前野のトレーニングになっているのです。ーーー
三つ目は、、、。
少々言語化が難しいので、丁度よい機会と思い、まとめてみる。
キーワードになるのは「やまとことば」になるかと。
自分が踊りを踊ることライフワークに組み込むきっかけになったアーティストの方が、元々文学を学んでおられ、再三参加していたその方のワークショップの際に、「やまとことば」の素晴らしさについて教えてくださった。
やまとことばは、世界的にも稀有なものであること。
ひ、ふ、み、よ、い、む、な、や、こ、と
この一音一音に複数の意味があると。
例えば「ひ」は「日」「火」「霊」
「ち」は「地」「血」「乳」「風」など。
【つち(土・地)】大地・地上をいう。【地】は【天】に対していうことが多い。【ち】は【靈(ち)】の意。【つ】はあるいは【處(と)】の母音交替形であろう。【つち】は土一般をさすのではなく、その地中にひそむ霊的なものをよぶ名であった。
— 白川静 (@sizukashirakawa) December 26, 2023
とは言え、自身で深くやまとことばについて学びはしなかった。とてもとても感化されやすい自分は、感覚的に「すげー」となった。
一音一音に意味があるのであれば、その羅列である古事記ってすげーじゃんと。1300年の時を経て伝わる日本の神話ですもの。
成人してもずっと、自分のマイナスな感情が不本意に発動し、自身に信頼がおけなかった。情が育っていない劣等感も強かった。
、、、古事記を素読することで、ひょっとしたら、そんな自分が何か変わるかもしれないと思った。
なぜそのように思ったのかと言えば、戦後、憂国論を著した数学者の岡潔さんの日本人の情緒についての考察に影響を受けたのかと思う。
ーーー日本人は情緒の世界に住んでいるから、四季それぞれ良い。晴れた日、曇った日、雨の日、風の日、みなとりどりに趣きがあって良い。こんなふうで全て良いとする。ーーー
「そもそも日本人が備えてきた情緒はモノコトを対立させないのであれば、、現代の教育により、対立させて一方のみを良いとする感覚で生きてきた自分を、古事記と言う日本神話をインストールすることで、日本人的に変容できるかもしれない?」
と、そんな風に考えたのだった。
このところ、かつてより少しだけ「自己実現」の感覚が薄れている気がする。繋がりの中の一部分である自分という感覚。
もちろん、生来、我執が人の何倍も強いわたしのことだから、この小さな変化で、人並みになれているとも思わないのだが、、、この感覚は、自分をとても楽にしてくれている。
時間軸や生活の繋がりの中で、自分の為すことを為せばよい。今することをすればよい。
そんな風に感じられる時は、とても気楽な瞬間である。
はてさて古事記の素読の効用や如何に。
これを読んで、「古事記の素読してみよっかな」
なんて思う人が居たりするのだろうか。。。
(ひとつめの理由、体感できてないし笑)
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