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面白い人

ジャンプで連載中の『一ノ瀬家の大罪』という漫画を3巻まで買って読んだ。
(以下ネタバレを含む)
これはタコピーの原罪で一世を風靡したタイザン5が描いた漫画で、気になって第1話だけ読んだがその後ずっと読んでいなかった。
今日Twitterでゼブラックの広告を見かけて、そのままポイントで買って3巻まで読んだ。
簡単なあらすじとしては、中学二年生の主人公の男の子が病院で目を覚ますと記憶喪失になっていて、しかもその家族も全員事故にあい記憶喪失だった。というものなのだが、なんとこの後これが全て4年間昏睡状態の主人公が見ていた夢だったという事が判明するのである。

こうなってくると私はつい、ここ六ヶ月ほど昏睡状態の自分の母の事を思い浮かべ、「母もいま何か自分の理想を描いた夢を見続けているんだろうか」と想像してしまう。
母の理想はなんだったんだろう。短大卒業後あえて就職せずバイトのような職についてお金を貯めてアメリカに行った母。そんな母と自分の知ってる母は正直全く結びつかない。たとえば、そんな、母親ではない母が1人の女性として夢を見るとしたらなにを見るのだろうか。夢の中でも私は母の子供だろうか。それとも案外アメリカ人の子供をもっていたりするのだろうか。そんな事を考えたりした。

その延長線上、前に母に言われた事を急に思い出した。
それは私が大学生になって初めてできた彼氏の写真を母に見せた時のことだ。その写真を一瞥した母は、ふうん。と言った後にこう続けた。「鼻のでかい男ってあそこがでかいって言うよね」衝撃だった。母から出る言葉とは思えなかった。当時は困惑したのを今でも覚えている。
しかし、今日それを思い出した私は、風呂場で声を出してゲラゲラ笑っていた。母は面白いなーと久しぶりに思った。
そして、大豆田とわ子の小鳥遊のセリフを思い出した。

「人間は現在だけを生きてるんじゃない。
5歳、10歳、30、40。その時その時を懸命に生きてて、過ぎ去ってしまったものじゃなくて、あなたが笑ってる彼女を見たことがあるなら、今も彼女は笑っているし、
5歳のあなたと5歳の彼女は、今も手を繋いでいて
今からだっていつだって気持ちを伝えることができる。」

小鳥遊さんの言葉をしんじるならば、
あの時の母と私は、今日も笑い合えたわけである。

現実で母と笑い合える日はもしかしたら今後来ないかもしれないが、それでも「私はいつでも母と笑える」と自分を納得させることはきっと大切で、
苦しそうな母をみて、苦しくなるばかりでなく「実はいい夢を見ているかもしれない」と思えた方がいいに決まっている。
他でもない母に「あんたは頭の中がお花畑だ」と言われた私だが、そうであるのが私のいいところだと思うのである。

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