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人の生死を占う事が禁忌だとされる理由〜老いに片足を突っ込んだ占い師からの伝言 byALLIE

7月8日に日本社会に激震をもたらすような大きな事件が発生しました。

それに伴い、YouTubeのカードリーディング動画、スピ系動画を配信されている方で人の生死や死後の事を占っている動画が出てくるようになりました。ここ1、2年ほど、新コロの事で余計に世情に対する人々の不安が高まっているからなのか、これまでも直球で人の生死や死後の事までもを占って発表している動画や記事が増えてきているように感じていたのですが、この度の7月8日発生の事件のような社会に大きな影響を及ぼすような出来事があると、雨後の筍のように倍増している印象を受けます。
個人的には、それまで感じていた危惧が、大きな事件事故が起こるその度にさらに強まっている傾向にあるなという感想を持っています。

占術家の皆様方、SNSやブログ等のネット上で御占断や御神託を公開されませんよう…あなた様のそういう行為が、結果的に占術という職業を貶めている他なりません。自分の心の内の揺らぎが占断に出てしまうこととなると、もし顧客(フォロワー、リスナー、視聴者、等)を多く抱えているとなると、その影響はあまり良くない方向へ拡大されてしまうと思うのです。
それを見た大衆の心が乱され流される、ひいてはそれが情勢不安を掻き立てる扇動となりやすいということ。

はっきり言うと、そんな事を、自分の欲にかまけて得意げに披露するという行為自体、社会的道義の中においては常識や倫理観を疑われる事であると思うのです。そしてそれは、マナーというよりモラル、ご自身の人間性の問題です。

もっと強めに直球で申し上げると、人の生死に関わる事を占うことは禁忌だということです。

私は、先達者から幾度となく、人の生死を占うという事はやってはならぬ事だと戒めの言葉をいただいてきました。
それは何故か?それは、「占い」ではなく「呪い」なのです。占断や神託に呪いと脅迫めいたものが含まれる割合が多くなる、そうなるとそれは武器というより凶器となるのです。

危険を予知し、あらゆる悪い事から身を守る為の予防を張る、その為に占いがあるというのであればそれは単なる言い訳に過ぎません。自分の行為を冷静に俯瞰してそう言うのではなく、単に賞賛や金銭等の結局自分の為だけのものを得ることを目的とした欲に駆られる自分を正当化している、というだけの事なのです。
それより何よりも、他人の人生をその欲を満たす為に好き勝手に弄ぶ権利は、誰にも等しく、一切無いのです。

そういう負の事案で、それについて深掘りする為に占いで覗き見たい、占って裏の世界を暴きたい、占いで当てた事をネットでシェアしたい…
そういう邪な好奇心は、ご自分の心の内に留めておくだけで、よろしいんじゃないでしょうか。人としてのプライドがあるならば尚更です。

私はネットで、いろいろなSNSや動画配信サイトを暇を見つけては見ています。自分の占いと照らし合わせて確認したり、現在の占いの動向がどういう風なのかを見たりしています。
私自身は主に西洋占星術をやっているので、同じ西洋占星術のみならず他の占術に関してあまりどうこう言えるような立場には無いことは、重々承知しております。

私はもう35年もの間、占術を学んできています。まだまだ至らない点が沢山有りますし、的中の精度を高め日々精進するのみだと銘じつつホロスコープと向き合っています。
その月日の中で培って得てきた学びの中で、これだけは絶対に占わない、占ってはいけないという「境界」があります。
それは、人の生死や死後の事は絶対に占ってはいけない、禁忌だという事。これは占術の大家の先生方でもわりと守られている方は多いです。私もそれは言われたりそう書かれた文を目にしたりしたその都度で、自分を戒め守り続けていました。
しかし、インターネットというツールが生まれ発展してきて、その「タガ」は見事なくらいに外れてしまったように感じています。誰もが自分の言葉を発信する時代、禁忌に触れる行為はもう既に「必要」もしくは「必要悪」であるということになったのかも知れません。

そういう研究をされててそれを公に発表されている事については、特に非難するつもりはございませんし、そういうのを望む多くの人の期待に応えている方がいるのは「仕事」でやっているのでしょうから、労働の一環だとするならばそれは仕方のない事なのかもしれませんが、それが普遍的に認められてしまい本流となってしまった時に、占術や運命学が往々にして誹謗の的にならないことを祈るばかりです。

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