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あれから10年、いま思うことは

ー2011年3月11日(金)14:46
当時わたしは中学1年生、体育館で卒業式の練習をしていた。



ギーコ ギーコ ギーコ…
なにか、聞いたことのない音がする。疑問に思いながら耳を澄ませていると、

「落ち着いてください。多分地震だと思います。」

司会をやっていた先生がマイクの前で言った。
電気が落ちてくるかもしれないから端に寄ってくださいと言われ、ざわつく生徒、一気に大きくなる揺れ、姿勢を低くして、みんなでくっついて、揺れがおさまるのをしばらく待つが、この地震は一向に終わらない。

叫び声をあげて怖がる友達に「大丈夫。先生の声が聞こえなくなるから静かにしよう。」と声をかける学級委員。わたしは叫ぶことも周りを励ますこともできず、ああ、さっきの音は電気の揺れる音だったのか…なんて思っていると、ようやく揺れがおさまった。

体育館から校庭に避難し、先生の話を一通り聞いた後、まだ下校時間ではないが今日は帰ってくださいと言われ、友達と一緒に下校した。

テレビにうつる「死者○○人」の数字がだんだん増えていくのを見るのが怖かった。
夜、1人ではとうてい寝られず、母と一緒に布団を被ったが鳴り止まない緊急地震速報と繰り返す揺れが一晩中怖くて仕方がなかった。



はっきり覚えてるのはこのくらい。当時13歳にしては、割と覚えてる方だと思う。埼玉県の震度は5弱。経験したことのない揺れだった。

たまたま全校生徒と多くの先生が体育館にいたけど、もし普段通り各教室にいたら?きっともっとみんな焦ってたし上の階で余計に怖かったと思う。
たまたま父が午後休で帰宅済みだったけど、もしいつものように東京にいたら?帰宅困難になっていたに違いない。

10年経っても褪せることのない記憶。綺麗事でもなんでもないけど、忘れちゃいけないなって思う。
14:40ごろにテレビをつけて、黙祷して、勝手に泣いた。

別に家族を失ったわけでもないし、直接的な被害があったわけでもない。でも、次はもっと大きな地震がもっと自分の近くで起こるかもしれない。そしてそれは明日かもしれないし、1秒後かもしれない。

いつ死ぬかもわからない世の中で生きていくって、大変だし難しい。大変だし難しいし嫌になることもたくさんあるけど、楽しくて幸せで最高なときもある。

まだわたしは23歳。きっとこれから、今までに味わったことのない喜びや悲しみがまだまだ待ち受けているんだと思う。なるべく良いことだけ起きるようにして、でも起きてしまった嫌なことも糧にして、もっともっと人生豊かに頑張りたい。

いろいろあっても、自分にできるのは前を向いていること。頑張れるときは目いっぱい頑張って、頑張れないときは逃げつつ乗り越える精神で、これからも生きていこうと思う。

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