伊勢鈴蘭は物語の中でたたずむ -写真集「Layla」を読んで-
「Layla」を読んだ。
そう、私は写真集「Layla」を見ていくうちに物語として読み、ページをめくり、一冊の物語として本を閉じた。
伊勢鈴蘭は物語の主人公として写真集の中に在った。正確に言えば、最終的に主人公となり写真集を物語にしてしまった。
そう感じた経緯を綴ろうと思う。
◆発売決定
伊勢鈴蘭が写真集を出す。「写真集」を。
その報を聞いた時、正直喜びよりも複雑な感情を抱いた。
とても喜ばしく、本人も嬉しそうにしていたのに大変申し訳ない。
頭の片隅をよぎり張り付いてしまったのは、ハロプロ写真集に内包される事象について。すなわち「水着」があるということ。
そして確か同時に表紙の写真も公開された。その写真を見た時の率直な感想は「解釈違い」=「not for me」だった。
私の推しは竹内朱莉さんだけれども、れいらも好きだ。竹内さんを通して彼女を知り、いつしか彼女自身が放つ魅力にも目を奪われている。
れらぴ系と言われているけれど、私が彼女に抱く印象はエレガントでストイックな演者。板の上に立つと何とも言えない雰囲気と佇まいで何者かになっている。
軽く腕を上げただけで、細い指先を伸ばしただけで、つま先からそっと降りるように歩くだけで、そこに音楽が流れ風が吹くような、まるで舞台を見ている感覚にさせてくれる女の子。それがれいら。そんなの大好きに決まってんじゃん。
そんな大好きな女の子が写真集を出す。衣装をあんなに美しく着こなし、服のドレープや皺までも踊り奏でるような子が、もしかしたら肌を晒すことに?
◆購入を決意
まず公開された写真集の表紙が好みじゃなかった。
大切で大好きな子をどんな扱いしてくれてるん? ん?? ん??
って感情が渦巻いた。(完全に輩)
妄想たくましいので表紙を見ただけで、あれこれ想像しては勝手に胸を痛めていた。れいらがどのように写っているのか。彼女はどのようにカメラの前に立っていたのか。ステージ上の、あの高潔な彼女は俗に消費されていないのだろうか。
あれこれと口を出したくなった。余計なことまで発展して何かを語りそうになった。けれどまだ表紙しか見ていない。
プロモーションでその後もいくつか特典写真やオフショット写真が公開される。その度に「かわいい」「…」「惜しい」と一喜一憂する。
納得させてほしかった。彼女の美しさを写していてほしい。そう感じさせてほしかった。
そうして、オフショットの中の一枚に目を奪われた。ステージ上の彼女に惹かれるように。
「もしかしたら大丈夫かもしれない」
これは、れいらだ。れいらとして写っている。
だとしたら見届けたい。
見届けた上で色々言おう。そう決めて「Layla」を購入した。
特典写真は悩みに悩んで制服にしました。制服は良しとして構図は not for me だけど、まぁ私はターゲットじゃないだろうから好みじゃないのは当然でしょうな。
◆3ヶ月の熟成
張り切って購入し、発売日翌日ぐらいに届いたけれどすぐ写真集を開くことはできなかった。我ながら面倒くさいと思うけれど「それなりの準備を整え
、覚悟を決めてから見なければ」と構えていた。
彼女がストイックに体型管理をしてまでのぞんだ写真集を、簡単に開いてしまっていいのか。否!!
特に水着に対して丸腰で対面することは許せないと己に課していた。簡単に消費するなよ? それができるのか?
何より己が信用できなかった。果たして大好きな子に対して品のない視線を向けずにいられるか?
何回も自問自答を繰り返し、覚悟を決めて開いた。
そしていきなりダメージを喰らって、まだ覚悟ができていなかったと悟った。俺は弱い……
制服には癒やされた。思えばここで既に物語は始まっていた。けれど、ここで一旦本を閉じた。そうして3ヶ月寝かせることになった。
◆FREE STUDIO事変
写真集の置き場所は気を遣う。家族の目につく場所には置いておけない。色々考えた挙句、リビングの片隅に立てておいた。意識して見なければ目につかない場所。けれど、私はいつもその背表紙を目に入れていた。そこにあるのに開けない。まだ覚悟できていない。そうしているうちに、ひなフェスが終わり、単独春ツアーが始まり、JAPAN JAMの青空と熱さが夢のように過ぎた。
きっかけは竹内さんと一緒にゲストで出た「FREE STUDIO」だった。「愛・魔性」の赤衣装のれいらはアシメントリーになびくスカートを美しく着こなしていた。
清塚さんのピアノに合わせた即興ダンスで空気が変わる。こういう時に照れが混じらず演じられるのがれいらの強みであり魅力。脚、とにかく脚の所作が美しい。
この衣装はれいらの脚を見せるための衣装。それを本人も理解し、自分を魅せる道具として使いこなす。
即興ダンスのクオリティーと画面映えなど、テレビ的にもオイシイと判断されたのだろう。後半に再びダンスのターンが来る。リズムを合わせるのが難しそうだったが無難にまとめ、抱擁するたけれら。これできれいにオチたと思われたが、れいらには再度開脚ダンスのリクエストがあった。
それまでも踊る度にチラチラと見えていた。
赤いスカートの中は黒のショートパンツで「それは何の役目が?」と問うたら負けの黒ベルトが太ももに。愛・魔性MVでは気づいていなかったほぼ初見のそのベルトが、開脚ダンスのスタンバイのためにしゃがんでポーズを決めた時にあらわになった。
そのたたずまいが衝撃だった。
スカートの脇のスリットが開き、美しい脚に巻き付く黒ベルトがあらわになる。
けれどそこに恥じらいや照れはなく、太ももの黒ベルトをあくまで衣装の装飾として見せていた。
これは衣装です。私は今から踊ります。それを見てください。
踊りと音楽に対して真摯に向き合い、ひたすらエレガントに在る。つけいる隙を見せない。下卑た視線を跳ね返す、清く正しく美しいたたずまい。
あぁ、やっぱりれいらが好きだ。
そうして、写真集を購入するきっかけとなった写真を思い出した。あのれいらも、このれいらと同じだった。だからきっと大丈夫で、私はそれを見届けたい!
◆写真集セラピー
ちょうどその時にフォロワーさんと「Layla」をまだ完読していないという話になり、Twitterのスペースで一緒に写真集を見ながらお付き合いしますよ、と言っていただけた。
先に乗り越えた方に見守られ、共感し、背を押され、時に感想を語り合い、自分とは違う視点や見解を伺ったりと、とても有意義な時間を過ごせた。おかげでくじけず最後まで見ることができたのだと思う。
ほぼ私のノンストップトークでしたが(苦笑)
この写真集セラピーのおかげで「写真集を読む」という感覚になった。
その節は大変お世話になりました!!! コメントも嬉しかったです。深く御礼申し上げます。
◆解釈違い
撮影の順番はわからないけれど、水着は「白」→「黄色」→「黒」なのだろうなと推察した。まんま写真集のページの流れですが。
「白」は素を撮りたいのだろう。すっぴんという意味ではなく「素」
恥じらいや照れなどの「隙」が色気に繋がる。隙のない人はつけいることができず素も見えないから、エロや萌えを感じないのよね。
序盤のページでは彼女の「素」の部分が少し見えていたように思う。恐らく制作側もそういう意図なんだろう。水着で肌をさらし、ナチュラルメイクにとどめ、普段こだわっている前髪も作らず額を出すことで、彼女を守る鎧は取り除かれていた。
その緊張と揺らぎからあらわになる剥きだしの柔らかな「素」
それを切り取るのならば、どうか慎重に繊細に大切に扱ってほしい。その想いは今後も変わらないし、何度でも言葉にする。
「黄色」も若干の解釈違いページがあり。前半部分は寒そう。それも演出かもしれませんが。
「黒」は、後半で語ります。
◆余白で持ち直す
なんやかんや言うとりますが、「白」も「黄色」も好きなカットはあります。
▼「白」は数枚めくった左側のページで下半分が完全に白の余白の一枚。
砂浜の波打ち際でしゃがんでいるカット。
このページが現れた時に、なんというか息ができた。そうして、それまでは緊張して息を詰めていたんだなと気付く。
横長のカットを見開きにせず1ページに収めるため、下半分を完全余白にするレイアウトになったと思われる。この余白がすごく良かった。
一旦思考をリセットできる。フルコースのお口直しのソルベ。
構図も好き。海と砂浜。景色の中にれいらがいる。
さざ波の音、髪をなびかせる風、足の指が埋まる砂の柔らかさ。
れいら以外の余白が、彼女をより浮き立たせる。
私は「物語を紡ぎたい」のだなと自覚した。(オタクあるある妄想爆発)
ブロマイドではなく、情景の中にいる好きな子を欲している。
そして、れいらはそれがとても似合う子だと思う。
このページから5ページ目(右側)の立っているアップの写真も好き。
身体に砂がついて、脚の砂を払う仕草のカット。
れいら自身は右側に寄せた構図。ウエストのくびれと長く細くまろやかな脚のライン。そして左側に余白。
この辺りから、スペースで「余白」「余白」と連呼し始めることになる(笑)
▼「黄色」は、後半の3ページが好き。
笑顔が見慣れたものになってきた。前半は寒かったのかも。
最後の見開きはブラボーです。左ページが丸っと光景の余白。
これよ、これ。
背景はぼやけていてもいいの。奥行がある。平面ではなく、広がり続く景色の中に彼女がいる。
曇天で少し肌寒そう。右上にちらちらと写っているのは小雨? 雨のプールってそれはそれで楽しかった。そんな自分の思い出や五感を刺激する写真。こういうのが好き。
余白、大事。うん。
◆物語を紡ぐ
余白が好きなことに気づいてからのセーラー服のターンは、それはもう素晴らしい余白祭りで。(余白祭りとは)
まぁ、オフショットのこれをご覧くださいな。
ねぇちょっとこれ素晴らしくない??
まさに光景の中にいる。
花咲く季節のあたたかな空気、南国の色鮮やかな花々と楚々とした制服のれいら。クラシカルなセーラー服に黒ソックス&ローファー。伝統ある女子高ですな。(はい妄想爆発)
スクールバックの遠心力、控えめに広がるスカートの裾、少し跳ねるような足取り。どんだけ物語が生まれますか?
これを特典写真にしてほしかった!!(要望)(クソデカボイス)
これが欲しかったー---っ!!
れいらは構図の端に置いても映えるのよ。全身で物語を奏でられるから!!
▼セーラー服のベストショットは最後の見開き右側ページ。
それまでかわいい笑顔のカットが続いていて、見ているこちらもニコニコしながらページをめくったらきなりこの表情。上半分が木々の余白。
太陽の下で笑っていた子が、木陰へ入った途端に何か言いたげに見つめてくる。けれど何も言ってくれない。ただ見つめられて立ちすくむだけ…。
はい、物語紡ぎました!!なんて素晴らしいのかよ…
ちなみにこのページが「Layla」マイベストショットです。
麦わら帽子のターンは「れらぴ系」なので安心して見れた。
安心というか、あぁ、知っているれいらだなって。
いきなりまもる君と手を繋いで「やってんな!」なのも良い。
こちらはオフショット。このスタイリング、全部かわいい!!好き!!
脚ながっっ!! 細っっ!!
麦わら帽子のターンは全身写真が何枚かあるので、美しい脚を堪能できます。
▼麦わら帽子の好きなカットは見開きかな。
見開きはどちらか片方のページが丸っと余白になることが多くて好き。
見つめる視線の先が遠くだと想像させる余白。
最後の2ページの右側も好き。えぇ、もうおわかりですね?
横長カットを1ページに収めるため、下半分が完全白の余白です(笑)
でもこれって実に罪深いカット。
この衣装、背中がぱっくり割れてたのね。結んだリボンの奥に見える素肌。あのぉ…背中になにもないように見えますが……?
この辺りで、れいらの手首から手の甲、指の細さと所作の美しさについてフォロワーさんと語っていた。
建具に添わせる手の表情が美しいですよね~!!などなど。
れいらは手や指の表現がとても豊かで美しい。(脚も)(それな)
私は指の綺麗な人に昔から弱い。
高校生の頃、こっそり遠くから眺める好きな子が何人かいて、その中に指の綺麗な子が二人いた。男子と女子それぞれ一人ずつ。
その当時の光景ごと思い出す。
電車のbox席で向かいの席に座っていたこと。授業中、指を組んで先生の話を聞くクセ。
れいらはその時の子達のような存在。だから光景ごと自分の脳裏に閉じ込めたいのかもしれない。
え?これ全部のターンのベストショットを語った方がいい??
OK、サクッと、いきます。(多分求められてない)(だが語る)
部屋着のターンはそりゃもうかわいい。
「かわいい!!」「かわいい!!」とフォロワーさんとずっと言っていた。
もこもこ部屋着は狙ってるとわかってても、かわいさに射抜かれる。
アイドル写真集あるあるな歯磨きれらもかわいい。「寝起きっぽい少しぼんやりした視線がとても良き」とフォロワーさんと語りました。
この ↓ オフショットも好き。よくぞ全身を入れてくれた!!
この長さを1ページに収めようとすると当然余白は多くなります。ふふ
しかし、足の甲の薄いこと……。足先までのラインが美しくて見惚れますね
やわらかな光と影。これもポストカードにしてくれ。
テニスウェアは、全然テニスできなさそうでかわいい。
ペットボトルの水?を飲むカットがあるのですが、それはすでにブログで姉ぴ撮影でやってましたね。さすがです。
◆衣装を纏う
音楽学校受験を考えて準備していたぐらい(恐らくそうですよね?)、ずっと宝塚が好きで憧れていた彼女は、特にステージ上で「演じる」ということを強く意識しているように感じる。(そしてその演じる感覚は映画的ではなく舞台的。これを語ると脱線するので、また別の機会があれば)
写真集の最初のページの頃では少し緊張が見えていたのが、ページをめくるにつれて緊張がほぐれ、場に慣れ、そして適応し始めているように感じた。
衣装が変わるたびに「何者」かになっていく。恐ろしいのは「普段の素」も感じさせながらということ。「れらぴ系」と「何者か」をいったりきたり。
すっかり安心してページをめくっていたら、唐突に「黒」のターンになった。
顔つきが違う。
まずそう感じた。
水着だけれども、黒いシフォンの羽織があるから? まだ肌に触れるものがある安心感によって、表情に揺らぎや隙が感じられないのかもしれない。
けれど、海へと続く砂交じりの道を歩くその姿は完全に舞台の主人公のようで。
海へ入り、羽織を脱いで水着になっても印象は変わらなかった。
メイクも少しだけ濃くなっている。それがスイッチだったのかもしれない。
もしかしたら、「白」や「黄色」も彼女が演じていたのでは。そう思わせるぐらいの堂々たる姿。
あぁ、彼女はこの水着を衣装として纏っているんだな。
FREE STUDIOの時と同じ。
水着を着こなし、己の表現ツールとして使っている。
ストイックに準備されてきた身体は美しく、ある程度指定はされているだろうがポーズも表情も物語のワンシーンのよう。
邪な視線など入り込む隙などない。
「これが私」「私を見ろ」
全身でそう主張している。
普段は竹内さんのイタズラから死守しているほどの命の前髪は今回も封じられ、「白」「黄色」と同様、額もあらわになっている。けれどそれはもう些細なこと、己の表現には関係ないと言わんばかり。
存在感で圧倒してくる。
あれだけ余白、余白と言うてた私を黙らせる、アップやセンターの構図。その迫力というか、伝わってくる情報量の多さと圧よ。
どこぞの化粧品ブランドの日焼け止め商品のポスターですか?
岩場ではなく(笑)、砂浜に横たわる見開きはブラボー!!
少し引いた構図。
淡い光りを滲ませる海と空、それらを分ける遠くの水平線、波のうねり、白い砂浜の上へしなやかで伸びやかな身体を横たえ、ふわりと笑う。大いなる美しい自然の光景を、ただの背景にしてしまう。ステージ上と同じ。演者、伊勢鈴蘭として在った。
そうだった。公開されていたオフショットで既にわかっていたんだった。
↑のInstagramの2枚目。
この写真を見て購入を決めた。このような撮られ方で、このように在るのならば「大丈夫かもしれない」と。
その予感は当たっていた。
◆エピローグ
南国の風景に似合うビビッドな色彩の浴衣。低い位置のまとめ髪にかんざしがとてもかわいく、凛とした美しさもある。
▼浴衣のベストショット
おうちの縁側で、かごバッグを膝の上にのせて座っている写真。
こういうの見たことある。
駅に貼ってある観光系ポスター。美しい風景に注ぐ陽の光や木々を揺らす風を感じさせてくれる。けれど、それだけでは物語にはならない。登場人物がいなければ、もしくはその気配があってこそ物語となる。
誰かが迎えに来るのを待っているのかな。
バッグの持ち手に添えられた両手の指がかしこまって緊張しているように見える。待ち合わせの相手はソワソワさせる人?(妄想大爆走中)
余白、ここに極まる。(大袈裟)
やはり、余白が好き。(結局はこれ)
浴衣のターンは全て素晴らしい。風景とのバランスも良き。
和装も似合うのね。姿勢が良いからね。
ただ、せっかく綺麗に着付けた浴衣のまま畳に寝転がらせるのは、う~ん……
って、フォロワーさんに話したら「お祭りなどへ行って帰ってきて、あ~疲れた~ってゴロンとしているのでは?」とナイスフォローをいただいた。
なるほど!! だったら、日が傾く時刻のような照明にしたり、歩き疲れて足が痛い的な描写があれば完璧だったなぁ。妄想する上で(笑)
旅館の浴衣のような寝間着みたいなものならわかるけれど、皺のないパリッとした美しい浴衣を着て髪飾りもつけたまま寝転がるって、れいらはそういうことするかなぁ…と引っかかってしまった。
初見ではそこまで見なかったけれど、まとめ髪がきっちりしていないのも良き。耳の前に一筆描いたような数本の髪があるのがたまらなくいい。
こんな数本の髪なんてサッとまとめ髪の中へ入れたり、耳にかけてなじませ無くすのなんて簡単。けれどあえての後れ毛。
これは隙。完璧なまとめ髪にせず少し崩れたような後れ毛が視線を呼び込む。かしこまった着物よりは緩くなる浴衣の襟元と相まって、それらが色気を感じさせる。
この場合の隙は自覚ありの作為なので見ていて許せる。無理やり暴きにいっていない。
そして、この一筋の髪の流れにも物語がある。
とても良いスタイリング。好き。
最後の裏表紙の裏っていうの? ラストのカットも大好き。
(大好きだからここにDVDを挟まないで欲しかった!)(ちゃんと見開きで見せろください!!)
表紙裏の「白」から、ここまできたのね、って感慨深くなる。
真正面カメラ目線の「白」からスタートして、ラストは今にも振り向き視線が絡まってしまいそうな、物語を紡ぐ主人公としてたたずむ「浴衣」
この変貌。驚愕。
ある意味、ファースト写真集だからこそ見れた流れ。その流れがそのまま物語的でもあって、結果、写真集を「読む」という感覚になった。
見て良かった。購入を決断して良かった。
伊勢鈴蘭を好きで良かった。そして今後もきっと魅了され続けるに違いない。そう確信した写真集「Layla」だった。
伊勢鈴蘭ファースト写真集「Layla」絶賛発売中です!!
1冊を見終えてから改めてこの表紙を見ると、抱く感情が変わっていることに驚く。あんなに「これは知らない子」だと感じて距離を置いていたのに、今となっては「とてもよく知るかわいい女の子」として見ている。
一度ストーリーを知ってしまった小説は安心して読めるのと同じ。
私はこの子を好きになるとわかっているから。
この表紙の女の子を知ってください。
そして、この子のことを知りたければ、ぜひ読んでみてください。
伊勢鈴蘭は、物語の中でたたずんでいる
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