中国出張の記録(解放まで)

前回からかなり間が空いてしまったが書ききる。。
隔離までも初めて尽くしで戸惑いしかなかったが、そこからの10日間も盛りだくさんだった。

隔離開始

ホテル到着後は疲れ切って寝てしまったので次の日から様々な手続きを行なっていく必要があった。
まずは検温のアプリに登録し、朝の対応を登録する。夕方にも検温と登録が義務付けられており、登録できていない場合は部屋に電話がかかってくる。一度忘れていた時は部屋に電話がかかり、その場で申告となった。
次に健康コードの登録。これは入国までのコードとは異なり、隔離後に国内を移動するために必要となるものである。wechat、Alipayどちらともで登録しておき、もしもどちらかが使えなくなった時にも安全が確保できるようにした。この時現地の電話番号が必要となるため事前にSIMカードの購入が必要。これは知らないと大変なことになるので色々情報を入手してくれていた会社の方には感謝。

ちなみにPCR検査もほぼ毎日ある。全身防護服の人が部屋を周り、喉の手間をあたりを綿棒で擦って検体を採取する方式だった。慣れるまでは少しきつかった。まあ帰国までほぼ毎日することになるので途中からは作業になっていた。この結果は前述の健康コードに紐付くようになっており、これで陰性を証明することで国内の移動や各地への立ち入りが可能となる

それ以外の時間は基本的にテレワークとなる。日本との時差は1時間なので、特に支障もなく日本とやりとりを行うことができた。ただ、ホテルの備え付けのLANではネット接続ができなかった。ポケットWi-Fiを終始使用することになった。
ディスプレイもないので仕事は非常にし辛かったが、なんとかやって行くしかなかった。加えて初日は移動の疲れで睡魔が襲ってきていた。大きな仕事はできないものの、できることをやっていった。隔離なのでやることもないし。。

ご飯について

隔離生活では、1日3食ご飯が支給される。もちろん有料で、初日にホテル代と一緒に支払いを行う。メニューはホテルのロビーに張り出されていたが、メニュー通りに来ない時もあったような気がする。
朝は洋食みたいなメニューか、大量のお粥に肉まん、煮卵のような朝からボリューミーな攻撃を仕掛けてくる。当然食べきれないので半分ほど食べるのが常だった。

昼食、夕食はご飯とスープ、おかずの弁当のセットとなっていた。スープはあまり口には合わなかったので、帰って味噌汁を飲んだ時に感動したのを覚えている。おかずは煮た白菜などの野菜ゾーン、高菜ゾーン、お肉ゾーン、魚ゾーンに分かれており、中国っぽい味付けのおかずだった。幸い私は食べられたものの、口に合わない人は日本から持っていったお茶漬けのもとやカップ麺で耐え凌ぐしかなくなるらしい。とはいえ私も1週間あたりで一度飽きてしまい、お茶漬けに頼る日もあった。隔離中に体調を崩すと怖かったため、エネルギー源と思って義務感で食べていたところもあったかもしれない。とはいえとにかく食はなんとかなったのでよかった。

3食は上記のようなメニューで、とにかく量が多い。絶対に飢えさせないという強い意思を感じた。これが数時間刻みで支給され、部屋から出ることもないので当然お腹は空かない。と言うことで早い段階で完食は諦めた。でも何も食べられず、ひもじく耐えると言うことにはならなくてよかったと思う。精神的にキツかったので、空腹が満たせないともっと辛い隔離生活になっていたと思う。

トラブルについて

隔離中には何個かのトラブルにも見舞われた。もっとも焦ったのはAlipayが凍結されたことだった。会社で借りたスマホが古く、Alipayを入れるためには中国版のアプリストアしか選択肢がなかった。これがまずかったようで、現地版の認証が必要となり、それができず凍結となった。解除にはサポートへ連絡するしかなく、また本人確認も必要なためかなり手こずった。現地メンバーの力をかなり借り、足掛け4日で解除、登録することができた。これがないと現地移動もままならなかったため、登録完了した時は本当に安心した。本当に感謝。凍結解除までの日は生きた心地がしなかった。

また、健康コードの登録も少し手間取った。本当は初日に色々な登録を済まさなければいけなかったところ、わからずにできていなかったため、2日目のPCR検査時に係の人にスマホを見せるように言われ、代わりに登録をしてもらった。日本人ということもわかっているので、翻訳を見せながら会話した。この辺りは相手も慣れているようだった。

休日

隔離期間中はなんと3連休が2回もあるタイミングであり、その日は仕事もないので本当にやることがなかった。ただ、ずっと仕事もきつかったので逆によかったかもしれない。外に出ることはできないので、本を読むか、ダウンロードしていたビデオを見る、あ、YouTubeを見るか、寝るか、、何も考えずにぼーっとしている時もあった。海沿いのホテルだったのでベランダに出て景色を眺めている時もあった。景色が良かったのは本当に幸運であった。都市部は窓からの眺めもないところの可能性もあったので精神的にかなり助けられた。早寝早起きの生活になっていた。あまり特筆することがないな。以上。

隔離完了

ここまで書いたようなことで生活が進み、10日後晴れて解放となった。ホテルからのチェックアウト時は隔離の証明書をもらい、入り口にいる警備員に見せることで解放された。その後は本当にフリーで動けるので、最初は困惑した。解放後は現地メンバーと合流し出張先に移動、ホテルにチェックイン後、昼食を食べた。気を遣ってくれたのか、現地の日本食を食べられる店に連れていってくれた。そこでは牛丼を食べたが、本当に美味しかった。日本の牛丼とは少し違ったが、味噌汁もあり解放されたことを実感した。滞在中もトラブルに見舞われたがここでは割愛。

まとめ

恐らく二度と経験することはないであろう隔離生活について残しておきたく、かなり間が開いたが記録した。滞在中は大変なことが多かったが、過ぎてみれば良い経験、と思うようにしている。もうしたくはないが、あまりできない経験ができたのかなと思っている。

渡航時から隔離まで、日本語を喋られる人に何度か助けてもらった。不安な中状況を伝えてくれたのは本当にありがたく、もう会えることはないが感謝している。ああいうことをしてもらうと、自分もどこかでこまっている人は助けようと思うようになるし、それが海外から来た人なら尚更だ。周りでは自分のわからない言葉が飛び交い、わからない言葉で話しかけられる。不安が続くだろう。もしそんな人を見かけたら声をかけてみようと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?