「あいつはものを知らない」の「もの」とは何か: 言語gackt的考察

考えをまとめておきます。誰かが既に論じているかもしれず、余裕があったら調べたいが…。きっかけはdlitさんのツイート。

ここでは形態論の話として例が出されていますが、「もの知り」に対応して、「ものを知っている人」、「ものを知らない人」のような表現もできるので、形態論で特殊なことが起こっているわけではなく、複合語の作り方自体はふつうで(「絵描き」や「薬売り」と同じようなNV複合語)、ふしぎなのは「ものを知らない」などの表現自体だと、とりあえず考えていいかと思います。

「ものを知らない」の「もの」

さて、一見無意味っぽい、「ものを知らない」の「もの」が何をしているか、ということなので、これを省略すると何が起こるかを考えてみます。

(1) a. あいつはものを知らない。

(1) b. あいつは知らない。

ここで (1b) の「あいつは知らない。」は、「あいつはものを知らない。」という意味では使えず、ふつうは、先行文脈があって「先生の連絡先_i、誰か知っている人いないかなあ」「あいつは ∅_i 知らない。」のように、すでに文脈で出ている特定のものを指す照応の解釈になると思います。

つまり、日本語では項を省略すると、ゼロ代名詞解釈になり、先行文脈にその指示対象を探しに行ってしまうそこで、それを抑制するために埋めているのが「もの」だと思われるわけです

「もの」の仲間

「彼は字が読めない」は、これの類例だと思います。英語では目的語なしで、He can't read で良いのですが、日本語では目的語なしで「彼は読めない」だと、文脈からわかる特定の文字/文章が読めない、という意味になってしまうので、「字が」が必要です(英語で目的語を省略すると定解釈になるか不定解釈になるかも簡単でなく、He can't read. は、「文脈からわかる特定の文字/文章が読めない」という意味ではなく、識字者でない、という意味になりますが、I don't know. は「ものを知らない」という意味ではなく、文脈からわかる特定の事柄について知らないという意味であり、定の解釈になったりするわけで、語彙項目によって(?)ふるまいが違うという話だったと思うのですが、英語には深入りしないことにします)。

ひょっとすると、「空気が読めない」とか、そういうのと区別する役割もあるのでは? というのもありますが。ここで「読む」の「字義通りの解釈」以外のことは考えなくていいかどうかは、ちょっと保留です。一応、デフォルトでは、「もの」以外の「知らない」ものが考えにくいのと同様に、「字」以外の「読む」ものは考えにくい、ということにしておきます。あと、「彼は読めない」だと、「彼」が「読む」の目的語という解釈もできてしまうので、その曖昧性解消だという議論もできるのかもしれないですが、それもちょっと置いておきます。

他の候補としては「歌を歌う」の「歌」とか、「ごはんを食べる」の「ごはん」とか(おやつ等ではない、という意味も出ますが…。これも英語なら目的語なしで eat だけでいけるやつ)、「服を着る」の「服」とか、があるでしょうか?

それから、「人の親」のような表現の場合、項を取っているのが名詞ですが、やはり同じことが起きているように思います。「親」だけだと、文脈から特定できるその人の親、という解釈になってしまうので、その読みを抑制するための「人の」ということです。

「都市封鎖」は?

最初の dlit さんのツイートにあった lockdown(都市封鎖)についても考えてみます。この「都市封鎖」の「都市」は何のために必要か。また、「都市」がないやつと対比してみます。

(2) a. 中国政府が武漢を封鎖した。

(2) b. 中国政府が武漢を都市封鎖した。

この場合、「都市封鎖」はどっちにしてもヲ格を取っているし、従って「封鎖する」のヲ格を「都市」が埋めて自動詞になっている、というようなことではないようです(「Xの値を上げる」→「Xを値上げする」のように、NV複合語のNが不飽和名詞で、その項が複合語ではヲ格となって出てくる、というパターンもありますが、「都市封鎖」はそれとも違いそうです)。この場合、単に「封鎖」だけだと漠然としているので、もう少し具体的にその下位タイプを指定している、くらいの感じでしょうか?

ただ、検索していると、「都市封鎖」がヲ格を明確に取っている感じのは少なくて、以下の (3a) のようなものが多いかもしれません。

(3) a. ニューヨーク市長は、ブルックリンなど一部地域で再び都市封鎖を行う方針を明らかにした。

この場合、(3b) のように「都市」を省略すると「封鎖」のところで「え、何を?」となる感じがあります。

(3) b. ?ニューヨーク市長は、ブルックリンなど一部地域で再び封鎖を行う方針を明らかにした。

そうすると、この場合、「封鎖」だけでは他動詞的で、「都市」でヲ格を埋めることによって自動詞的な地位を獲得しているという点で、「ものを知らない」タイプに近いことになるのかもしれません。このへんは、もう少し考察が必要かもです。

テクニカルに思うこと

これ (1b) がそういう解釈になるというのは決まっているものとしたうえで (1a) は (1b) の解釈を回避するための技、という議論の持っていき方をしてるんですけどあんまり正統派なやり方じゃないような気もする。まあ、こういったやり方も、有効な範囲では有効なんじゃないでしょうか…(トートロジー)。

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