君に哲学はいらない

自分の理解できない本を読もうとすると眠くなる。若い頃、読みかけては睡魔に襲われた本がハイデッガーの『存在と時間』、書いてあることがまったく理解できないのである。

理解できない本には二種類あって、一つは、執筆動機はわかるが内容が理解できない本。航空機を設計するための技術書は、私の学力では理解できないけれども著者の意図はわかる。もう一つは、この本は何のために書かれたのかと不思議に思う本である。『存在と時間』は後者の典型であった。

それから三十年が過ぎたある日、哲学の教授と話す機会があったので「先生、ハイデッガーは何故あんな本を書いたのですか」と質問してみた。

教授は言う「私はハイデッガーの専門家なのだ。君の疑問に答えてあげよう。世の中には、現実(リアル)に漠然とした不安(ポエム)を抱く人がいる。リアルとポエムを直感的に繋ぐ人を詩人、論理的に繋ぐ人を哲学者という。君は現実を肯定してしまい、不安を抱かないから詩も哲学も必要ないのだ」

高校の倫理にはハイデッガーが出てくるので授業のために『ネコでもわかる哲学』を読む。「人間は自分の死だけは他人に代わってもらうことができない。だから、死が自己の存在を証明する」と書いてあるらしい。これだけのことを言うために、あの難解な本を書いたのか。

この話をすると、家内は「あんたが面白くない人間だと思ってきた理由がわかった」と言う。女子生徒は「先生が理解できないという『存在と時間』を読んでみる」と言う。今、彼女は大学で微生物を研究しているらしい。

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