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K.Matsumoto
2018年12月16日 23:23
後嵯峨上皇の没後、持明院統と大覚寺統が天皇・治天の君をめぐって争うようになりました。後宇多上皇は、後醍醐天皇を即位させるため東寺に矢野荘を寄進します。東寺は矢野荘の経営にあたった結果、東寺百合文書のなかに矢野荘の記録が残ることになりました。