『戦略的思考とは何か』

歴史や国際情勢を紐解き、国家戦略(防衛戦略にとどまらず外交面も含めた戦略)をどのように考えていればよいか、解説した本です。

私が読んだ本は改版前で、初版が1983年。本書内でも、アングロ・サクソンVSソ連を念頭において検討されていて、時代の流れを感じます。
 ですが、応用して考えてみると、現在の中国の台頭や、あるいはリアルタイムで起こっている新型コロナの感染拡大に対して、国家としてどのように戦略を立てて対応するのか、色々と考えさせられます。

1.日本人の国民性

日本人というのは、過去の経緯ででき上がっているものを工夫して改善していく点ではおそらく世界一と言えるくらいの能力を発揮するのですが、肌で感じないとなかなか理解しない国民なので、何もないところに論理的な整合性のある構築物をつくり上げるということになると、はたと当惑してしまうことがあるそうです。

おそらくは島国という恵まれた環境に育った日本民族の、世界にも稀な経験の乏しさ、そこからくる初心さが、外部の情報に対する無関心と大きな意味での戦略的思考の欠如を生んできたといえましょう。

日本は侵略や占領などの、真の国難を受けた経験が乏しいため、外部の情報をしっかりと収集して、その事実に基づいて、戦略を立てて対応する、ということが苦手ということです。情報軽視もここに表れているでしょう。

2.真のデモクラシー(民主主義)とは

指導者層だけは戦略がよくわかって、それ以外は敵も味方も欺せるというような武田信玄のような時代ならともかく、デモクラシーの社会では、皆が戦略的白痴になるか、誰でもが戦略を知っているかのどちらかの選択しかないわけですから、後者しかないでしょう。

デモクラシーの社会では、議論を充分に尽くしたうえで、一つ一つ多数決で決めていったことがいちばんよいのですから、平和時で、皆が時間をかけて考える余裕のあるときに一つ一つ決めておいた方が、いざという場合、極端に走ることをあらかじめ制し、デモクラシーの復元力を確保しておくためにも必要なことと思います。

戦時中は自由の一部を犠牲にしても、戦後はもとの体制に戻れる復元力をもっているという自信をどうつけるかが問題です。

ここでデモクラシーの復元力というキーワードが出てきました。要するに有事において、何らかの私権の制限は仕方ありません。しかしながら、平時に戻った時には、速やかにデモクラシーをもとに戻すことが重要です。
 日本では民主主義がちゃんと維持できるか、再び戦前のようになってしまうのではないかという恐怖感から、デモクラシーを少しでも失うことに否定的です。しかし逆説的ですが、そのような否定的な態度を取ればとるほど、いざというときに大幅にデモクラシーを失うことになりかねません。それよりも、元に戻すことができる仕組みを構築しておくことこそが、デモクラシーを維持するためには重要だろうと考えます。

国民のコンセンサスを得るのに最も必要なことは、「お金はこれだけしか使わないから安心して下さい」ということでもなく、また反対に「あれも足りない、これも足りない」と言って、国民に「いったいどこまでつきあったらよいのか」という感じを抱かせることでもなく、日本の安全にどういうかたちで危機が訪れる可能性があるかを具体的に提示し、それに対してどういう防衛力整備をすれば米国と協力して日本を守れるかを、納得のいくように説明して、「こうすれば最低限の安全は守れるから、ここまで協力してほしい」と言って国民の理解を求めることなのでしょう。つまりは、日本の防衛戦略の大要を国民に知らせ、国民に議論してもらい、国民が納得したうえで防衛力整備を進めるということでしょう。

デモクラシーの中で、どのように意思決定をしていくのか。政府の考えに沿って、可能な限り政策を実現していくのか。それは政府がしっかりとした戦略を示して、議論してもらう必要があるということでしょう。
 議論を尽くしていれば、例え賛成ではなくても、納得は得られる可能性が高くなります。これは国家だけでなく、例えば企業や組織内で、コンセンサスを得た決定をするためには非常に重要なプロセスであると考えます。

3.政府の「お経」の問題点

政府が何らかの方針を立てる際に、その前提となる世間の情勢が示されることが一般的です。これがしっかりとした情報収集と分析に基づいた、客観的な内容であればよいのですが、どうしても方針に合うかたちでの都合の良い情勢が述べられることが多いのです。これを本書では「お経」として批判しています。

そういう前置き―役所用語では「お経」と言います―が、一度採択されると独り歩きして、その後の情勢判断や戦略まで拘束します。

「過ちを改むるに憚ること勿れ」というのが情勢判断の極意です。情勢判断で信頼できるのは、何度か情勢判断を誤った経験があって、「一寸先は闇」という政治現象の真理を知っている人の判断です。何でも、「俺の言ったとおりだ」などと言っている人の判断は危くて使えません。まして、まちがった判断を言葉のつじつま合せでごまかすなどというのは、もはや情勢判断ではありません。しかし、「お経」をすぐに固定化してしまう日本の習慣では、過ちを認めると「開き直り」のそしりを受け、咎める方も追及せざるをえない構造になっていて、情勢判断の客観性がどんどん失われてしまいます。

将来を拘束する文章となると、手続きを重ねる必要があり、情勢判断というものは手続きを重ねるほど内容が形式化し、かつ、硬直化します。 手続きを重ねれば、それを起案した機構のせまいセクショナリズムの利益が全部反映されるか、少なくとも損なわれないように書かねばならず、それだけで客観性が失われるうえに、いったん決めたものを手直しすることが困難になります。とくに日本では各省間の相議制度があるので、優秀な官僚が、各省の利益を損なわないように上手につくった判断というものは、その後いかに情勢が変っても各省が合意し直さないと書き直せないことになります。そういう判断ならしない方がむしろ無害です。(中略) また、政府の判断として固める習慣がつくと、今度はまちがいをおそれて、明快な判断を避けるようになります。もっとひどい場合は、先のことは言わないようになります。

新型コロナの政府の対応においても、正にこの問題点が露呈していると感じました。政府が何らかの情勢判断に基づいて決定した政策を変更しようと思っても(例えばGotoの中断や、外国人の入国制限など)、その情勢判断が独り歩きして、それに整合した形でしか対応できなくなります。
 本来であれば、情勢は刻一刻と変わるものであり、都度情勢判断が変ってきて然るものですが、それを許容しない社会になってしまっています。
 そしていよいよ情勢判断や戦略を示すことなく、明快な判断も避けるようになってしまいます(この2週間が勝負です。(その先のことはまだ考えず、)この2週間に全力を尽くしますというような対応)。

4.所感

本書は、人事や経営に直接関係するものではありませんが、日本や日本人の弱点をしっかりととらえて、どのように戦略を構築するのか、という意味において、役立つ内容でした。

また、上記では割愛しましたが、国際情勢を自分なりに判断するのに、非常に役立つ考え方がまとめられていましたので、一社会人としても読む価値がある本だと思いました。


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