私がトランスジェンダー研究を始めたきっかけ 貞升 彩(月刊スポーツメディスン247号、連載 スポーツにおけるLGBTQ+、トランスジェンダーアスリートに関連した倫理的課題 第1回)
貞升 彩
整形外科医師・医学博士、スポーツ倫理・インテグリティ修士、日本スポーツ協会公認スポーツドクター、千葉大学大学院医学研究院整形外科学客員准教授
本連載は、加筆修正のうえ、書籍化される予定です。ここでは月刊スポーツメディスンでの掲載時の内容をお届けいたします。
連載目次
https://note.com/asano_masashi/n/n9fe1bc399ce6
はじめに
今月号からLGBTQ+、中でもとくにトランスジェンダーアスリートに焦点を当てて、スポーツにおける倫理的課題は何かということを私の経験を交えて連載する。最初に連載の依頼をいただいたとき、正直とても驚いた。なぜなら本誌に抱く私の印象はスポーツ医学の中でも王道の整形外科領域を中心にスポーツ診療に関わるテーマを扱っていて、私が行ってきたトランスジェンダー研究は一見そぐわないように思えたからだ。一方で、ここ数年社会におけるトランスジェンダー含めたLGBTQ+の人々への関心が増えたのは実感している。メディアでこのテーマが取り上げられることも増え、私の研究も徐々に学会などで取り上げていただく機会が増えた。このように本誌に取り上げてもらうのも時代の流れによるものとも思う。
さて、まずは読者の皆様もすでにご存知の方が多いと思うが、用語の説明を行う。性自認や性的指向の多様性を表すLGBTQ+ 1),2)、かつてはLGBTと使用されることが多かったのが、多様な性のあり方がLGBTでは包括しきれないということで昨今はより長いLGBTQ+などが好まれて使用されるようになっている。関連するジェンダー関連用語を日本で主に使用される用語と、それに該当する英語圏で使用される用語を並べて表記したので参考にしてほしい 1)(表1)。本誌で使用するのはLGBTQ+とし、そして日本で広く使われる用語の使用に統一させていただく。
表1 ジェンダー関連用語、日本と英語圏での違い
なぜ整形外科医がジェンダーに関する研究を始めたのか?
私は整形外科医である。この研究を行っていると、なぜこのようなテーマで研究を始めたのですかと聞かれることが多い。私がスポーツにおけるトランスジェンダー研究をはじめたきっかけを紹介したい。ただし、このテーマは人々の多様な性のあり方を論じるものであり、内密性は高く維持するべきであり、アウティング(ある人の性自認や性的指向を他者に本人の許可なく暴露すること) 3)はもってのほかである。本連載ではよく精神科領域の症例報告で使用する手法を用い、個人の特定につながる情報は外し、必要に応じて修正や加飾しつつ、本質的な重要な部分は読者の皆様に伝わる形を保持して個別の事例を紹介させていただく。
生まれは東京都の府中市、サッカーやフットサルが割と盛んな地域で兄弟や友人などサッカー好きに囲まれていた私は、幼少期よりサッカー観戦が大好きであり、週末は父親に連れられてスタジアムに観戦に行くのが習慣だった。それがきっかけで、サッカー選手の治療ができる医師になりたいとスポーツ医学を志し、出身大学である岐阜大学を卒業した後、千葉大学病院での初期研修を経て、サッカー医学で高名な千葉大学整形外科に2012年に入局した。ちょうどその前年、なでしこジャパンがW杯で優勝し女子サッカーが盛り上がり始めたところだった。千葉県でも女子サッカーへの医学的支援を強化する流れとなり、入局早々私は千葉県国体女子サッカーチームのドクターを任されることになった。とは言え、初期研修を終えたばかりの新人がすぐに現場でうまく順応できるわけがない。同じチームに所属するトレーナーの方とケガの対応を一緒に行い、経験豊富な先輩のドクターに、たとえばアンチドーピングの指導方法などを教えられ、それを現場で実践した。チームスタッフに支えられ、時に選手に助けられ活動していた。サッカードクターには、日本サッカー協会が主催するサッカードクターセミナーという講習会が年2回開催され、脳振盪、循環器疾患、女性アスリートの三徴など現場で必要な知識を身につけることができる。そして、日本スポーツ協会(旧・日本体育協会)の講習会も同様な学びを得ることができる。何より、病院で経験する診断や治療が整形外科医としての知識や経験をあげてくれた。わからないことがあれば勉強し、時に周りの人に教えてもらい助けてもらう、それで多くのことが解決できた。
しかし2013年以降、千葉県内での活動にとどまらず、日本サッカー協会から与えられた育成年代やユニバーシアード代表のドクター業務を務めるようになり、ジェンダーに関する課題に気づくようになった。つまりはレズビアンの選手がいたり、トランスジェンダーと自認する選手がいたりということに気付いた。遠征では長期間、他者とともに共同生活を行う。それに伴い、トイレ、宿泊先の部屋 4)、入浴、人間関係、月経との向き合い方、性別適合治療 5)(囲み記事)と競技との両立に関する課題があることを認識した。だが、そのようなジェンダー課題はサッカードクターセミナーでも、先輩のドクターからも教わったことはなかった。ジェンダーに関する課題や問題がチーム内で明るみになると、チームスタッフは口を閉ざし、見なかったことにするような雰囲気もあった。タブー視されていて、誰も口にしないので周りのスタッフも選手も実際どう思っているのかわからず、困惑することがあった。
以下に実際に私自身が経験した事例、相談された事例を供覧する。
事例1 月経とどう向き合うべきか、または月経を受け入れられない選手
アスリートの医学サポートをする場合、だいたいが帯同の初日などに各アスリートの病歴、アレルギー歴、外傷歴、今抱えている障害の状態などを調査し把握する。女性アスリートの場合、これに加えて、初経はいつか、過度なスポーツ活動によって月経不順が起きていないか、月経痛の強さなど月経がパフォーマンスに悪影響を及ぼしているかなどを確認する。そして、初経が遅れていたり、無月経の状態が長く続いていたりする場合はアスリートには婦人科受診を提案することが多い。
女子チームに所属する、ある選手は、現在無月経であることを認め、「それが自分の身体にとってよくないことであるということも、婦人科に行く必要性も理解している。ただ、月経という現象と向き合い、婦人科に受診し、自分の性別を女性と認識させられるのがつらく嫌である」と打ち明けた。また別の選手は、「月経がないことは自分の親も知っているし、あなたはそれでいいと理解してくれている。月経はぜったいに受け入れられない。考えるのはいや。婦人科受診は拒否する」とある国際大会に向けて準備された、選手団のための婦人科受診を拒否、精神的に不穏、パニック状態となるほどの事態になった。
事例2 自分のチーム内にトランスジェンダーの選手が所属しているサッカー監督からの相談
監督は元男子サッカー選手。指導する大学女子チームは強豪チームであり、地方出身の選手も多く受け入れ、親元を離れてチームに所属している選手が多い。その分、選手とのコミュニケーションを大切にしている監督である。チームの中心選手はトランスジェンダーであることをカムアウト(=カミングアウト)しており、大学に通いながらサッカーを行い、そして治療費を稼ぐためアルバイトも必死に行ってきた。ある日、その選手は性別適合治療に必要なお金が貯まったので、サッカー部を引退し大学を退学をする決断をし、その旨を監督に伝えた。その選手がトランスジェンダーであることは地元にいる両親は受け入れておらず、両親との関係性は不良だった。大学進学を経済的に支援したのは選手の両親であり、監督は両親に説明するように説得したが選手はこれを拒否した。監督は「本人の性自認に基づく判断が優先される。いくら家族でもその選手の決断を選手の同意なしで無断で伝えることはできない」と、両親に伝えることはせず、選手の意思を尊重し退部と退学を了承した。その後、選手はアメリカに渡り望み通り治療を受けに行った。しかし、そのことが家族に伝わってしまい、家族の怒りの矛先はその監督に向かった。「あなたが監督をしているチームに入部したからこのようなこと(性別を変えることや性別適合治療を受けること)につながった」という苦情をチーム側に申し入れた。監督は精神的にストレスを抱えていると私に打ち明けた。
事例3 女子代表チーム帯同中のドクターからの相談
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