必要な情報を見極め、伝わる言葉を選ぶ ──金メダルを支えたソフトボール日本代表アナリストに訊く|橘 肇(月刊トレーニング・ジャーナル2022年5月号、連載 実践・スポーツパフォーマンス分析 第5回)


橘 肇
橘図書教材、スポーツパフォーマンス分析アドバイザー

監修/中川 昭
京都先端科学大学特任教授、日本コーチング学会会長

(ご所属、肩書などは連載当時のものです)

昨年の東京オリンピックで、2008年以来の正式競技として復活したソフトボール。金メダルを獲得した日本チームをアナリストとして支えた人物が、今回インタビューを行った大田穂氏である。

連載目次ページ
https://note.com/asano_masashi/n/nb58492f8076d

 以前にこの連載で書いたことがありますが、筆者(橘)は2019年、女子ソフトボールの日本リーグ一部(当時。今年度からはJDリーグ 1))に所属する実業団チームのアナリストを務めました。初めて体験するアナリストの仕事、そして自分がプレーしたことのないソフトボールという競技に戸惑う私を助けてくれたのが、それまでは分析ソフトウェアの販売店の社員とそのユーザーという関係でお付き合いをしてきた、各チームのアナリストの方々でした。

 今回インタビューを行った大田穂氏(順天堂大学スポーツ健康科学部)もその1人です。大田氏は、ソフトボールに関する様々な知識を教えてくださったり、私がうっかり撮影に失敗した試合のビデオを共有してくださったりと、何かと助けていただきました。大田氏はその後、日本代表チームのアナリストとして、昨年の東京オリンピックでの金メダル獲得にも貢献しています。

 まずは日本代表チームのアナリストになるまで、そして実際に行っていた仕事について伺いました。

研究も競技もソフトボールに熱中

 私は競技者になりたいという思いで、ソフトボールをずっと続けていました。筑波大学大学院に進学した際も、選手を続けられるからという理由がありました。そのとき、修士課程で一緒になったのが、元日本代表選手の鈴木由香さんだったのです。私は鈴木さんに「ソフトボール部のコーチをしてください」と熱烈なアプローチをしました。最初のうちは「私は勉強するために大学院に来たんだから」と断られていたんですが、毎日しつこいくらいにお願いして、口説き落としました。その頃の私は、研究でもソフトボールの技能評価をテーマにしていて、研究も競技もどっぷりソフトボールでした。

 そして鈴木さんが修士課程を終えた1年後、ご自分の出身の日立ソフトボール部の監督をすることになり、私にアナリストをやってほしいという相談が急に来たのです。「アナリストって何をすればいいんだろう」と調べている中で、当時フィットネスアポロ社が主催していた「スポーツコード」(パフォーマンス分析ソフトウェア。現在の名称はHudl Sportscode)の講習会を見つけて受講しました。また、研究室の後輩にはバドミントン日本代表のアナリストの平野加奈子さんがいたので、いろいろ話を聞かせてもらいました。

 いざ日立ソフトボール部に入団してみると、アナリストはずっと選手を引退したOGの役割で、スポーツコードを有効活用したくてもどうすればいいかわからないという状況でした。そこで大学院で学んだ知識なども活用して、試行錯誤をしながら数年間取り組みました。

実業団チームから日本代表へ

 実業団チームのときの業務は、まず試合中はビデオの撮影、スピードガンを使った球速の記録、そしてチーム独自の配球表の記録です。試合が終わったら、そのビデオをスポーツコードに取り込んでタグ付けしていきます。そのデータをもとに、直近の数試合を合わせて相手のピッチャーやバッターの傾向を出し、さらに相手のピッチャーが打たれている球種やバッターの凡退しているシーンなどの映像をつくる、ここまでが定型的な「作業」です。




図1 試合中にデータを記録する実業団チーム時代の大田氏

 そこからの仕事としては、作戦に関する具体的な提案を考えていました。データをもとに私が試合を見て感じた主観を合わせて、「右バッターは相手ピッチャーのこの球種を狙いましょう」「ツーストライクまではこの球種を狙った方がいいと思います」という提案をコーチにして、コーチがその情報を持って監督と話をします。その結果、次の試合に向けた練習方針まで落とし込めていたときが、チーム内での情報活用が一番スムースにいっていました。ただ私に決定権があるわけではなく、映像とデータを提示しながらコーチに私の考えとその理由を伝えて、決めるのはあくまでもコーチです。けれどもそこまでの話ができたのは、そのときの監督が私のことを信頼してくれていたからだと思います。

 そのうちに、「変わった経歴の人がアナリストをしているらしい」ということが日本代表の関係者に知られたらしく、声をかけていただきました。後から聞いた話ですが、多くの方が「大田さんはやる気があって、いろいろなことができる人だ」と、推薦してくださったらしいです。

 2018年6月の日米対抗戦の1週間ぐらい前に呼ばれたのですが、そこに用意されていた機材は、ビデオカメラ3台とスピードガンだけでした。今までどうやってビデオを見ていたのか聞いてみると、ビデオカメラの小さな液晶を使って1人ずつ交代で見たり、宿舎のホテルのテレビにビデオカメラをつないで見たりしていたそうです。そこで「オリンピックを見据えているのなら、専用の機材を導入してください」と要望しました。当初は3人体制でしたので、その年の8月の世界選手権までにスポーツコードの入ったパソコンを3台、急いで用意してもらいました。

NTTの「球質測定」サポート

 日本代表では、NTTとJISS(国立スポーツ科学センター)のサポートを受けることができました。JISSには日米対抗などの試合でボールの軌道のデータを出してもらい、NTTには「球質測定」をしてもらいました 2)。

 この「球質測定」というのは、最近野球でもよく言われるようになった、ピッチャーの投球の回転数などの情報です。ボールをハイスピードカメラで撮影して、その映像から回転方向(回転軸の向き)と回転速度を算出し、それに球速を合わせて計算することで、ボールの変化量を推定できます。さらに、それを最初はVRで再現しようとしたのですが、選手から、やはり実際に打たないとわからないという要望があり、実際に再現したボールを打てるバッティングマシンも作成しました。


図2 球質測定のための映像を記録するビデオカメラとモニター(画面左端)

 私が博士号を取得しているという経歴のおかげで、これらのデータを一緒に扱えたことは、代表チームにとっても非常にメリットが大きかったのかなと思います。きちっとした数字と映像とを対応させることで、私自身はすっと腑に落ちたところがすごくありました。

 たとえばある国のエースピッチャーの投げる特定の球種について、「日本リーグのピッチャーの誰々と似ているボールだよ」と、みんなが共通理解できる言葉に合わせてあげると、選手にとても伝わりやすいのです。知らないピッチャーに対しては、やはりみんなすごく構えてしまうんですが、このピッチャーと似ているよって言ってあげるだけで、心理的な怖さがなくなったり、イメージが持ちやすくなったりすることにつながりましたね。

 NTTの開発したシステムが市販の球質測定の機材と大きく違うところが、試合中のボールを測定できることです。バックネット裏から1秒間に480コマで撮影できれば、市販のビデオカメラを使ってもデータが取れるのです。日本代表のピッチャーはもちろん、他国の選手も分析して評価していました。外国のピッチャーたちは、試合中に自分の投げたボールのデータを取られているなんてわからなかったでしょう。今もNTTと日本ソフトボール協会とは連携していて、私もオリンピック後に客員研究員になりました。


図3 グアムでの合宿の際の球質測定の様子(左:上野由岐子投手)

新型コロナウイルス感染症拡大の影響

 さまざまな事情でアナリストは私1人だけになり、海外での国際大会や、各大陸のオリンピック予選のデータ収集も私1人で行うことになりました。さすがに1人では無理ですと主張して、2人分の旅費を出してくれることになりました。そこで大学院の後輩で帰国子女の学生にカナダとオランダに帯同してもらい、ひたすら試合のビデオを録画し、配球表をつけて対戦相手のデータを集めました。このまま順調に行けるだろうと思っていた2020年2月、コロナ禍がやってきたのです。全く海外に行けなくなった中、私がとった方法がひたすらインターネットを検索して試合のビデオを見つけ、ダウンロードすることでした。何とかビデオの数を集めることはできたのですが、それぞれ撮影している位置も違いますし、ピッチャーの正面からの映像が欲しいと言われても、どうしても手に入らないこともありました。また外国の中継映像では球速表示がないことが多いので、そこも苦労しました。

 そうした試合の映像を見つけるため、また他国の選手に関する情報収集のため、私はすべての代表選手のSNSをチェックしていました。たとえば、ユニフォームを着て映っている写真がアップされていたら「あ、試合があったんだな」と察知します。そうすると、Facebookのライブ配信で、手持ちのカメラで撮影しながら配信した映像が見つかるなんてことがありました。それから、海外の選手たちは自分がケガをした情報をSNSにすぐ載せてくれます。「どこでこんなケガをしました、でも私は大丈夫です」といったメッセージをSNSにすぐに載せてくれるので、私はそれを見て詳細に記録していました。ただ、そうした発信の裏には「ファンのため」という意識が非常に強かったのだと思います。

 日本チームの場合は、JOCからSNSの使い方のガイドラインのようなものが出されていて、ある程度、代表の選手は発信の仕方を指導されていました。


おおた みのり

準備は開幕までに終わらせる

 オリンピックの期間中は、基本的に選手とは別のホテルに滞在していました。試合の際はベンチに入りますので、他のスタッフと大学院の後輩に試合の映像を録画してもらいました。テレビ放送の映像と、オリンピックチャンネルという有料放送を両方録画し、さらに自チームの試合はセンター方向からの撮影が可能だったので、その3つのビデオを試合が終わったらすぐにクラウドにアップロードして、選手が見られるようにしました。空き時間には、次に対戦するチームの分析を行って各選手のデータシートをつくり、それもクラウドに上げるという作業をひたすら繰り返していました。

ここから先は

5,182字 / 7画像

¥ 150

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?