4. コーチに哲学は必要か(月刊トレーニング・ジャーナル2020年11月号 特集/コーチングとは何か)


佐良土 茂樹・日本体育大学総合スポーツ科学研究センター特別研究員

現在、コーチを育成するコーチデベロッパーのためのアカデミー(日本体育大学コーチデベロッパーアカデミー)の業務を行う佐良土氏。古代ギリシャ哲学を専門領域とする研究者でもある。コーチングにおける哲学とは何かについてお聞きした。

哲学とは

──哲学とはどのようなものでしょうか。

佐良土:多くの方が「哲学」という言葉を聞いて思い浮かべることには、2つあると思います。1つは、学問的な領域での哲学で、もう1つは実践的な場における哲学になります。前者の学問的な哲学は、私はギリシャ哲学を専門領域としていることもあり、ものごとの根本を問うというのが基本的な姿勢であると思います。よく出てくる例だと幸福とは何か、勇気とは何か、時間とは何か、という問いになります。普段我々が接しているものの、その意味がわからないことを問うのが学問的な哲学となります。

 もう1つの、実践の哲学は、たとえば「経営哲学」「人生の哲学」などの形で使われます。ここでは、実践においてどのように行動すべきかの指針になるものを指していると考えられます。最近ではコーチング哲学という言葉も目にします。

──コーチにとっての哲学、コーチング哲学というのは、あったほうがよいものでしょうか。なくてもかまわない、とも考えられますか。

佐良土:コーチにとって、コーチング哲学はあってもなくてもよい、というものではなく、あったほうがよいものと私は考えます。よりよい実践をするために、また言っていることとやっていることが乖離してしまうことを避けるために、自分の中に芯を持っておくことが必要になると思います。そのような指針が「コーチング哲学」となります。ただし、どのような哲学でも持てばよいというわけではなく、「よい」コーチング哲学であれば、持つべきでしょうが、「悪い」コーチング哲学であれば、よりよいものへと変えていく洗練していく必要があります。この場合の「悪い」には色々な意味があって、法律や社会のルールに反しているということから、人間としての道徳やモラルに反しているということまで多岐に渡ります。あるいは、コーチング哲学の内部で自己矛盾を起こしてしまっているものなども、結局、行動の首尾一貫性を奪うものになってしまいます。

 そして、そのコーチング哲学はなんとなく自分の中に持っておくよりは、言葉にしておくほうがよいでしょう。コーチングというのは一人ではできません。必ず相手がいますので、自分がどのような信念を持ってコーチングをしているのかを相手に伝えることが重要となります。自分がそのコーチング哲学に反した行動をしてしまった場合に、プレーヤーやほかのコーチに言ってもらえるということもあります。一緒に活動していくうえでやりやすくなると思います。

 コーチング哲学について、もう少し噛み砕いていくと、3つくらいあるのではないかと考えています。

 1つ目は、なぜコーチングをするのかということです。コーチングをするにあたっての目的です。この世界にはコーチのほかにも多くの職業があるなかで、なぜコーチするのか、そこに目的や理由があると思われます。

 2つ目は、コーチングの中で大切にしている価値観です。どのようなコーチングをしたいかということで、これはコーチングをする理由とも関わります。その人がどのような価値観を身につけてきたかとも関わっており、コーチングの場だからこそ実現できる価値観があると思います。

 3つ目は、コーチングの基本的な指針です。具体的には「できるだけプレイヤーとコミュニケーションをとる」「プレーヤーが主体的に考えられるように配慮する」「いついかなるときでも柔軟になる」といった原則になります。原則ですから、常に無条件的に従うというよりも、個々の場面でそうした原則に照らし合わせてどのように行動すべきかを見極めることが必要になります。

コーチング哲学の構築

──コーチング哲学は、コーチの中でどのようにして構築されていくのでしょうか。

佐良土:3つの柱があった中で、どのように形成していくのか。一番最初にコーチをしようとしたときにフレームがあってそれが続いていくというよりは、コーチとして悩んだときに自分のコーチング哲学を振り返り、これで本当によいのかと考えたり、確かめる中で洗練していくものだと思います。

──コーチングがうまくいかない、と悩んでいる人のほうが、洗練されていくということになりますか。

佐良土:そういう側面はあると思います。ある意味で鈍感であると、同じコーチング哲学を持ち続けるということはあると思います。自分の行動に対して敏感になることで洗練されていくと考えられます。

──コーチがこのままでよいかどうかを確かめるうえで、選手の様子を鏡のように捉えるのは必要になりますか。

佐良土:はい。必要となると考えられます。その一方で、競技成績がよいからといって、コーチングがうまくいっているとは限らない、ということはあります。実際にプレーヤーたちがどう感じているか、本音を引き出す仕組みは必要です。プレーヤーが本音を言えているのであれば鏡になると思います。

 できることなら、自分以外にコーチがいるのであれば、意見を言ってもらったほうがよいでしょう。コーチとプレーヤーとの関係性、コーチとコーチの関係性があると思います。

 さらに、コーチングは社会の場の中にあるものですので、社会のルールに反することはできません。プレーヤーが喜んでいればよいというのではなく、一般通念にも配慮しなければなりません。外の枠組みから全く外れるのではなく、ある程度制約がある中での自分のコーチング哲学が必要になります。

 どうしても私たちは何か1つの正解を求めてしまいがちですが、うまくいっているコーチング哲学が何か一つの絶対的なものというのはありません。もともと自分の持っている気質というものもありますし、そこから外れてしまうのは自分を偽ってしまうことにもなってしまいます。自分のこれまでの経験や、どのように人生を生きたいかということにも関わってくると思います。

コーチの役割とは

──コーチとしてスポーツ現場にいるのであれば、プレーヤーに対してコーチらしく振る舞うことが求められてきますが、たとえば古代ギリシアにおいては、それぞれ何か社会的な役割に応じた振る舞いというのがあったと考えたりしますか。

佐良土:古代ギリシャ的な考えになりますが、「徳(アレテー)」という概念があります。それには人柄のよさなどが含まれますが、さまざまな場面で自分のよさを出せることが重要になると思います。そういう意味では、役割に付随するものです。最近話題になったドラマで「半沢直樹」(原作:池井戸潤)がありますが、その中ではバンカー(銀行員)としての考え方、矜持を貫いた言動がありました。コーチであれば、コーチであるからこそ、その仕事に「誇り」を持って行うとか、プレーヤーを伸ばすという仕事に「誠実」に取り組むという形で、自分の徳を活かすということになります。

 たとえば勇気ある人間でありたい、分別ある人間でありたいという価値観を、コーチという役割を通して発揮するということになります。半沢直樹なら「正義」、ということになるでしょうか。

──コーチとして人を育てていくような部分が、コーチとしての使命、そして生業になっていくのである、そのように感じました。

佐良土:それが目的のところにつながってきます。コーチとして、それをやることに楽しみがついてくる、そこでこそ自分のよさが活かせるというのがないと続かないと思います。コーチを選ぶからには、コーチという生業を通じて自分のよさが発揮できることが重要ではないかと思います。

──スポーツで起こるさまざまな問題がなぜ起こるかというのは、探求すべき方向とは違うものが入り込んでくることが根本にあるのではないかと考えています。その点については、いかがでしょうか。

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