「分析」を名に冠した卓球チームの挑戦 ──1人でプロチームを立ち上げた元日本代表アナリスト|橘 肇(月刊トレーニング・ジャーナル2023年1月号、連載 実践・スポーツパフォーマンス分析 第13回)


橘 肇・橘図書教材、スポーツパフォーマンス分析アドバイザー

監修/中川 昭・京都先端科学大学特任教授、日本コーチング学会会長

(ご所属、肩書などは連載当時のものです)

今の日本のスポーツ界において、日本代表チームのアナリストという職は永続的なものでないことが通例である。かつて卓球男子日本代表のアナリストを務めた、1人の人物のチャレンジを取材した。

連載目次ページ
https://note.com/asano_masashi/n/nb58492f8076d

Tリーグに新風、京都カグヤライズ

 日本最高峰の卓球リーグとして2018年に開幕した「Tリーグ」。5シーズン目の今季、注目を集めているのが女子リーグに新規参入した「京都カグヤライズ」です。

 10月22日、京都カグヤライズは川崎市で6試合目の公式戦に臨みました。4マッチ制(シングルス3試合、ダブルス1試合)で行われるTリーグの公式戦、この日の4試合目のシングルスに登場したのは9歳の松島美空(みく)選手でした。対戦チームの「木下アビエル神奈川」は、東京オリンピックのメダリストや今年の世界選手権で活躍した日本代表選手を擁する強豪です。Tリーグ史上最年少デビューとなった松島選手の相手は、それまでの最年少記録を持っていた張本美和選手。松島選手は5歳年長の張本選手に敗戦したものの、2ゲーム目には逆転で一時リードを奪うという健闘を見せました。この起用は、Tリーグに新風を起こそうという京都カグヤライズの姿勢を示すものとして、大きな話題を呼びました。

 このチームを監督、そして運営会社の社長として率いているのは40歳の池袋晴彦氏です。池袋氏は2012年に日本卓球協会で映像分析に携わるようになり、2016年のリオデジャネイロ五輪までの4年間、男子日本代表チームのアナリストを務めてきました。その頃、池袋氏が使用していたのは、私(橘)が以前所属していた会社が販売しているスポーツパフォーマンス分析ソフトでした。当時、そのソフトを卓球で活用している例は世界中どこにもありませんでした。池袋氏はソフトのカスタマイズに取り組み、卓球のゲーム構造を見事に反映したオリジナルの分析システムを開発したのです。男子団体が銀メダル、水谷隼選手が個人銅メダルという快挙を成し遂げたリオ五輪の後、池袋氏はアナリストとしての活動に区切りをつけ、創設されたばかりのTリーグのチームのコーチへと転身しました。そして今年5月、自ら設立したチームのTリーグ参入を果たしたのです。たった1人でスタートしたプロチームの立ち上げに抱く思いと、「元アナリスト」が目指すチームの形について取材しました。


Tリーグ公式戦での池袋氏(2022年10月22日 木下アビエル神奈川戦)

たった1人でのチーム設立

 Tリーグのシーズン開幕から2カ月、池袋氏の今の状況を尋ねる私の質問に対する第一声は、試合の指揮を取る監督としての言葉ではありませんでした。

池袋:スポンサー獲得の営業活動が今の私の仕事の中心です。セールスのための資料をつくって、企業や個人にかかわらず、会ってくださる方を訪問しています。

 約1年前、チーム設立を思い立った池袋氏の手元にあったのは、運営資金には程遠い額の自分の貯金だけでした。資金集めはチーム運営上の最優先事項です。最初の大きな支出であるリーグへの入会金と年会費を銀行からの融資で賄うことができたおかげで、リーグ参入を1年遅らせずにすみました。

池袋:Tリーグ自体の知名度が低いですし、東京五輪が終わった今、単にユニフォームに広告が載るというだけでスポンサー獲得は難しいのが実情です。もっと違うメリットや卓球そのものの価値、たとえば老若男女にかかわらず楽しめ、誰もが笑顔になれるスポーツという面も訴えていかないといけません。うちは大企業がついているわけではないので、小口で集めるしかありませんが、その方が多くの人に応援されていいのかなと思っています。

 前日の公式戦は、1つの会場で男子の試合と女子の試合が続けて行われました。観客数は男子の試合が325人、京都カグヤライズが登場した女子の試合が505人でした(Tリーグ公式サイトより)。これまでのオリンピックで残してきた好成績が、まだTリーグの人気や観客動員に結びついていないのが実情です。そんな環境の中に、池袋氏は新チームを結成してまで飛び込んだのでした。

池袋:アナリストをやってきた中で、海外や、他の競技でのパフォーマンス分析のさまざまな事例を耳にしてきました。卓球でも、もっといろいろな工夫ができるんじゃないかと感じました。スポンサーの獲得や大学との連携、地域への貢献といった取り組みについて、安易な発想かもしれませんが、自分が代表になれば自由にできると思ったのです。同時に、私が生まれ育った京都の卓球をもっと盛り上げたいと思い、京都でのチーム設立を決心しました。

 Tリーグ公式戦最年少デビューを果たした松島選手も京都市の出身です。全日本選手権で2021年に小学2年生以下、2022年には小学4年生以下の部で優勝するなど、幼少期から注目されてきた松島選手。将来のオリンピック金メダルを目指すための経験を積む場として、京都カグヤライズへの参加を選びました。松島選手以外の2人の日本人選手、成本綾海選手は同志社大学の出身、田村美佳選手は立命館大学に在学中と、いずれも京都にゆかりのある選手が揃いました。





京都カグヤライズの選手と池袋氏

多国籍の選手が集うチーム

 地元京都への思いとともに、池袋氏の大きな強みが幼少期の台湾での10年間の生活経験です。中国語ができる池袋氏は、世界の卓球界の中心である中国の選手や、中国出身の選手と通訳を介さずにコミュニケーションを取ることができます。Tリーグのコーチとして外国人対応も担当することになったのを機に、中国から卓球の技術書を取り寄せたり、中国人のコーチや選手たちと積極的に話したりして、最新の技術を学ぶことに努めてきました。

池袋:中国語の卓球の専門用語はすごく細かくて、日本語の中に該当する言葉がないくらいです。たとえばある技術を表現する言葉として、日本語には1種類しかないとしたら、中国では3種類くらいある、それくらいの感じです。日本にいる中国人のコーチが中国で出版した技術書があるのですが、それを翻訳したいとそのコーチに言ったとき、最初は「無理だ」と言われました。しかし、自分で翻訳しながら毎日勉強して、それをもとに質問をしているうち、いろいろと教えてくれるようになりました。

 京都カグヤライズのメンバーには、Tリーグの他のチームと比べて格段に多い7人の外国人選手が名を連ねています。コロナ禍の影響もあってリーグ全体の外国人選手が少ない中、突出した数の外国人選手を招き入れている理由は、単に池袋氏がコミュニケーションを取りやすいからというだけではありません。試合観戦や卓球教室を通じて、日本の子どもたちが世界各国のトップレベルの選手のプレーに実際に触れる機会をつくり、底辺の拡大と選手の育成につなげたいと考えています。同時に、京都や日本の文化が選手たちを通じて母国の人たちに伝わっていくことにも期待しています。

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