スポーツにおけるピンクウォッシング 貞升 彩(月刊スポーツメディスン255号、連載 スポーツにおけるLGBTQ+、トランスジェンダーアスリートに関連した倫理的課題 第9回)
貞升 彩
整形外科医師・医学博士、スポーツ倫理・インテグリティ修士、日本スポーツ協会公認スポーツドクター、千葉大学大学院医学研究院整形外科学客員准教授
連載目次
https://note.com/asano_masashi/n/n9fe1bc399ce6
はじめに
今ではLGBTQ+という言葉が浸透し、LGBTQ+の人々に対する社会的な認知度も以前に比べれば増している。日本においても、今年ついにLGBT理解増進法が成立し、この傾向は一層強まるだろう。そして、LGBTQ+のシンボルであるレインボーカラーやフラッグも、街で見かけることが以前よりも増えた。最近ではトランスジェンダーのシンボルであるピンク、白、水色のフラッグも広まってきている。これらが単なる色としてではなく、これがLGBTQ+のシンボルであるということも世間では知られるようになった。フラッグをかかげる、色を示すことでLGBTQ+への連帯を示していることにもなるが、一方で、政治的、商業的な利点を目的としてこれらを使用するケースが散見するようになった。いち早くジェンダー改革に取り組んできた北米や西ヨーロッパではこの現象を“ピンクウォッシング”と名づけ非難している。今回はスポーツとピンクウォッシングをテーマに取り上げることにする。
グリーンウォッシング
ピンクウォッシングは知らないがグリーンウォッシングなら知っている人はいるかもしれない。Mahoneyらは、「グリーンウォッシングとは、社会政治的な視点として、企業が社会環境における正当性を構築するために、その組織による“グリーン”(日本で言うエコ)な取り組みについて積極的なコミュニケーションを報告することであり、産業界の環境保護活動に対する過大表現である」と定義した (Ali & Johnson, 2018)。分かりやすく言うと、「エコ」「サステイナブル」「ナチュラル」「グリーン」という一見環境に良さそうな言葉を巧みに使用することで消費者を誘導し、実際には環境保全に役立っていないにも関わらず、社会・経済的な利益を上げる行為をさす。具体例としては、アイルランドの格安航空会社が「欧州で最も排出量が少ない航空会社」と根拠を示さず自社に関して宣伝を行ったとの理由で広告の使用禁止を課された (BBC NEWS Japan, 2021)。また、イギリスは国内でグリーン・クレーム・コードというガイドラインを制定し、環境に関わる宣伝を打ち出す際には、1. 誠実かつ正確である、2. メッセージや認証情報は明確にする、3. 重要な情報を省いたり隠したりしない、4. 公正で意味のある比較のみを行う、5. 製品のライフサイクル全体を考慮する、6. 最新かつ信頼できる証拠で立証できる、という条件を企業側に求めた (The Asahi Simbun, 2022)。
スポーツにおける事例も散見される。たとえば、東京オリンピックは持続可能な開発目標(SDGs: Sustainable Development Goals)達成を最優先課題にあげ、グリーンな未来を築くための大会として宣伝した (AFP BB News, 2021)。しかし、大会後には13万食もの弁当などが廃棄されたことが明らかになったり、またコロナ感染対策として用意されたガウンなどが多く廃棄されたりなど、環境保全の実態とはかけ離れた点が散見された (NHK, 2021)。これをグリーンウォッシングと呼ぶかは判断し難いが、環境に配慮した行いとは遠く、対策が不十分だったことは否定できない。
ピンクウォッシング
グリーンウォッシングを理解すれば、ピンクウォッシングの意味は想像できるのではないだろうか。ピンクウォッシングもグリーンウォッシング同様、社会、経済的な利益を上げるためのマーケティング戦略であり、LGBTQ+、多様性、レインボーカラーなどを積極的に利用することにより、LGBTQ+に対して寛容であるように印象づけ、一方でその企業、公的機関、国などの悪い印象を払拭するなどを可能とするものである。また、マーケティング上はLGBTQ+に寛容を示しつつも、実情とは違うということもピンクウォッシングに含まれる。
たとえば、有名な事例を挙げればアメリカのハリウッド映画の事例がある (Sánchez-Soriano & García-Jiménez, 2020)。論文によれば、ハリウッド映画におけるピンクウォッシングは、“ハリウッドの大手映画プロデューサー等が、業界が性的多様性に関して寛容な業界と認識されるように計らい、LGBTQ+の観客を惹きつけるために用いるマーケティング戦略”と定義している。具体的に言うと、ハリウッド映画は実に昨今、ダイバーシティを強調し、キャストの中にLGBTQ+の役を置くことを積極的に行い、そして宣伝を行っている。しかし、Sorianoらの報告によれば、実際にLGBTQ+の役の登場時間は5分未満の場合が多く、非LGBTQ+の役柄の人々に比べると登場時間が少ない。またLGBTQ+の登場人物は多くが白人であり有色人種が少ないことが指摘されている。かねてより、ハリウッドの世界が白人の、中でもとくに男性が優遇されてきたということは周知の事実である。したがってLGBTQ+に寛容な姿勢を打ち出しているものの、実際に分析を行えば実情が異なることが明らかになった。これがピンクウォッシングに該当すると非難された上、いまだ白人が有意である環境は変わっていないと問題を指摘されるようになった。ハリウッド側の戦略としては、映画内にLGBTQ+の役を置けば、LGBTQ+に寛容なイメージを打ち出すことが可能となり、結果視聴者やLGBTQ+当事者から好感を得られることが予想できる。その上、また企業などのステークホルダーから多くの経済的利益が見込めるというものである。しかし、ピンクウォッシングは所詮“見せかけ”の戦略であることから、LGBTQ+の権利拡大に真剣である人々、当事者の人々、有識者から見ればすぐに真の姿は見破られてしまうのである。
スポーツにおけるピンクウォッシング
昨今の有名な事例と言えば、2022年にカタールで開催されたサッカーW杯である。カタールW杯はLGBTQ+課題だけではなく、深刻な労働課題(スタジアム建設のための過酷な労働により移民が多く命を落としたとされる)も抱えたことから、ピンクウォッシングを含む用語であるスポーツウォッシングと形容されることが多かった。つまり、国の威信をかけてサッカーW杯という世界で最も大きなスポーツイベントを開催することで、国が抱えるネガティブな側面を消し去ろうとしたというのがここでのスポーツウォッシングの意味合いである。ピンクウォッシングはスポーツウォッシングに含有されるので、ここではカタールW杯でのピンクウォッシングを改めて検証する。
10年前にカタールのドーハで2022年にW杯開催が決まってから、カタールはLGBTQ+の人々を受け入れる必要性に迫られた (REUTERS, 2022)。カタールはイスラム圏の国であり、国の法律として同性愛者の公共の場での愛情表現禁止など、男性同性愛者のみならずLGBTQ+全般に厳しい姿勢をとる文化を持つ国である。しかし、サッカーW杯というメガイベントを開催するならば、準備期間も含めて多くの海外からの来訪者を受け入れる必要があり、開かれた国になる必要があった。その準備期間として10年という年月があったのだが、W杯開催直前になり、ドーハのホテルの一部がLGBTQ+の人々の宿泊禁止、レインボーカラーを身にまとうことを禁ずるなど、LGBTQ+に対して未だ厳しい規則や、時に拘束などの罰則が科されることが明らかになった。
欧州の各チームの主将は「One Love」というレインボーカラーを使用した腕章を身につけることで多様性の発展を訴えることを計画したが、結局国際サッカー連盟(FIFA)がこれを許さず、叶うことはなかった。ちなみに、カタールでは、同性同士の関係や、同性同士の関係を促進することも犯罪に該当する。
カタールはW杯開催によって、国をより開かれたものにする前提で開催を承認されたはずなのだが、結局のところ、法規制などの改善がされたのかは不明であり、反対に自国の抱える課題がより色濃く世界に発信された。カタールのW杯開催の1つのねらいは、イスラム諸国の中では最も開かれた、西側諸国に近い国と国内外で周知されることだった。フットボールという世界で最も人気のある西側諸国にルーツがあるスポーツを、イスラム圏で初めて開催することはカタールにとっては大きな契機だった。より開かれた国であると印象づけたく、そのように国を変えるような努力をすると見せかけて、実はLGBTQ+の当事者の視線に立てばいまだ保守的で、自由が保障されていなかった。宣伝などで外部に打ち出してきた印象と、実情が異なったという点で、やはりカタールW杯はピンクウォッシングと言われても否定できない。もちろん、カタール側からすれば、自国の持つイスラムの風習や教義を容易に変更することや、西側諸国からの外圧によって変更を余儀なくされるわけにはならないというのが本音だろう。
写真1 カタールW杯開催後の3月にドーハで開催されたアジアサッカー連盟(AFC)Medical Conferenceのプログラム。カタールW杯では使用を禁止された虹色に近いデザインである。学会テーマは“Celebrating Diversity”。セッションにはトランスジェンダーや性分化疾患に関する性のセッションも設けられた。参加者の服装から判断するにムスリムも多くいたため、議論はやや控えめだったが、イスラム圏で開催された医学会としては法に触れる可能性もある思い切ったテーマだった。
東京オリンピックから何を学ぶのか
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