動作解析とトラッキングのデータをパフォーマンス改善につなげる ──バイオメカニストによるアスリート支援施設が誕生|橘 肇(月刊トレーニング・ジャーナル2023年5月号、連載 実践・スポーツパフォーマンス分析 第17回)


橘 肇・橘図書教材、スポーツパフォーマンス分析アドバイザー

監修/中川 昭・京都先端科学大学特任教授

(ご所属、肩書などは連載当時のものです)

テクノロジーの進歩によって膨大な量のデータが取得できるようになった。次の課題は、これをいかにパフォーマンス改善や向上につなげるかである。スポーツテクノロジーのベンチャー企業がアスリート向けの「スポーツ科学R&Dセンター」を立ち上げた。

連載目次ページ
https://note.com/asano_masashi/n/nb58492f8076d

 ボールや選手のトラッキング(追跡)技術や映像処理技術の発達により、これまでとは比較にならない量のデータが取得できるようになってきました。とくにその傾向が著しい競技の1つが野球です。たとえばメジャーリーグベースボールの公式ウェブサイトでは、公式戦でピッチャーが投じたボールの1球1球について、各球場に設置されたトラッキングシステムで取得された膨大なデータを見ることができます。そして、それらのデータを活用して野球選手のパフォーマンスを改善するための民間施設も誕生しています。そこではメジャーリーグの野球選手だけでなく、日本のプロ野球選手もオフシーズンに渡米してトレーニングをしている姿が見られます。また本連載の第11回で取り上げたように、大学などアマチュア野球のチームにおいても、トラッキングの測定装置の普及が進みつつあります 1)。

 そうした中、日本にも動作解析や球質測定によるデータをもとに、専門家がパフォーマンスの改善をサポートする民間施設が誕生しました。昨年8月に千葉県市川市にオープンした「ネクストベース・アスリートラボ」です。この施設で目指しているものについて、ディレクターを務める神事努氏(株式会社ネクストベース上級主席研究員、國學院大學人間開発学部健康体育学科准教授)にお話をうかがいました。


野球界で求められるバイオメカニスト

――昨年8月のオープンから約7カ月を過ぎましたが、利用状況はいかがですか。

神事:プロ野球のオフシーズンの間、50人くらいの選手が利用してくれました。またWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の大会前には、日本代表のある打者の方もいらっしゃって、さまざまな測定を行いました。現在、施設のスタッフは選手に対してフィードバックやコンサルティングを行うアナリストが4名、ストレングス&コンディショニングコーチが1名ですが、4月からは理学療法士も1名加わる予定です。

――多くのプロ野球選手をサポートする上では、球団との関係が大事だと思うのですが。

神事:プロ野球選手をサポートする上で注意すべきことの1つが、球団の知らないところで選手がフォームを変えられてしまったという印象を球団の方に持たれてしまうことです。僕たちは、まず球団のフロントオフィスの方に話をした上で活用してもらうという基本方針でやっています。ですから、球団からの派遣で利用してくださる選手が多いのです。

 そうなると、誰に対してフィードバックを行うのかという点がすごく大事になります。僕たちが選手に直接結果を話すよりも、できるだけ普段その選手のことを見ている人たちから伝えてもらうようにしています。プロ野球だけでなく、大学や社会人野球の選手でもそうですが、チームで利用してくださる場合は、チームのストレングスコーチやピッチングコーチなどの方にフィードバックする形をとっています。僕たちにはフォームの修正を提案した理由や、トレーニングを処方した理由がエビデンスベースであるので、質問に対してちゃんと答えられることが強みです。

――測定データを使用したパフォーマンスの改善や向上について、アメリカではどういう状況なのでしょうか。

神事:3月10日から12日までアメリカのアリゾナ州で開催されていた、SABR Analytics Conference(アメリカ野球学会)に参加してきました。メジャーリーグでは、データを使って選手のパフォーマンスをどうやって延ばしていくのかという「プレーヤーディベロップメント」が非常に注目を集めています。ピッチングやバッティングのフォームを力学的に解析して伸び代を見つけ、そこをトレーニングで伸ばしていくという考え方です。そこで球団に求められているのが、バイオメカニクスの専門家「バイオメカニスト」なのです。たとえばメジャーリーグのある球団は、2月にバイオメカニストを3名募集していました。求められる人材としては、修士以上の学位で、力学を理解していて、自分でプログラムが書けるレベルの人材というところでしょうか。データを可視化したり、データを使って意思決定者に重要な情報をわかりやすく伝えたりすることのできる人材が求められています。

――メジャーリーグでは、収集したデータを各球団に平等に提供しているそうですね。

神事:メジャーリーグでは各球場に設置された「ホークアイ」という機器で取得した試合中のデータが全球団に提供されています。ホークアイではピッチャーの投球やバッターの打球のデータだけでなく、試合中の選手の動作のデータも取得できます。さらに今回のカンファレンスで話題になっていたのが、バットスイングのデータが取れるようになったことでした。スイングの速度や角度だけでなく、ボールがバットに当たった位置までもわかるのです。こうしたデータはあくまでも全球団共有の財産ですが、それぞれの球団はそこからいかに早く価値のある知識や情報を導き出し、自分の財産にするかということを競っています。日本の球団では、まだ測定装置や人材を自前で揃えることも難しいですし、将来メジャーリーグでのプレーを見据えている選手からすると物足りなさを感じると思います。ですから、僕たちが第三者機関的な形でそこをサポートしていく立場になれたらと思っています。

「エネルギーフロー」の観点からの動作解析

――このラボにおけるパフォーマンスの分析や評価、またそれを基にしたトレーニングの特長を教えてください。

神事:たとえば、この施設にはピッチングフォームを分析するための14台のモーションキャプチャのカメラや3台のフォースプレートがあります。そこから抽出されたデータを、僕たちは通常の動作解析だけではなく、「エネルギーフロー」という観点からも分析しています。これはバイオメカニクス的に見て、ボールにできるだけ大きなエネルギーを与えるためにはどうすればいいかという考え方です。このエネルギーフローに関する論文が最近一気に増えてきて、世界のスタンダードになりつつあるといってもいい指標です。

 さらには、ただデータを取るだけではなく、数値化と可視化を行ってその後のトレーニングに結びつけないと意味がないですよね。僕はバイオメカニストですからバイオメカニクス的な視点での評価はできても、その先のトレーニングに活かすとなると、やはりストレングストレーニングの専門職の人も必要です。プロ野球の球団でストレングスコーチを経験した方が入社してくれて、その部分を担っています。有料のビジネスとして行っていますので、選手の問題を解決して満足してもらい、次につなげないといけないという意味では、研究よりも緊張感があるかもしれません。

研究と現場のギャップを埋める施設に

――バッティングの測定や指導も行っているそうですが、投げられたボールに対応する動作という点でピッチングとは違いがありますね。

ここから先は

3,049字 / 9画像

¥ 150

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?