『スポーツ・トレーニング理論』第2章 競技スポーツの展望と一般スポーツ・トレーニング理論の形成


村木征人

目次ページ
https://note.com/asano_masashi/n/n40aa5f53a648

2 1 スポーツ・トレーニング理論の発生と理論体系

20世紀後半における各種スポーツでの国際的競技水準の高度化と専門化は、必然的に専門的な指導者(米:Coach、欧:Trainer、英:Manager)の発生を促し、同時に、その理論的基礎とすべき指導原理やトレーニング原理に関するスポーツ・トレーニング理論(Trainingslehre; Theory of sport training)の必要性を高めてきた。また、とくにこの傾向は、国家システムとしてスポーツ指導者に職業的地位を保証し、選手ならびに指導者の養成制度を確立した、ソ連・東欧の社会主義諸国に顕著であった 57), 94), 95), 105)。

ポーランドのワルシャワ体育大学長を務めたウラトフスキー(Ulatowski, T. 1973)121)は、国際オリンピック委員会(IOC)から発刊した著書“The Theory of Sports Training”の第1章で、スポーツ・トレーニング理論の発生過程について次のように述べている。
「現代スポーツ理論の重要性についての論議の始まりは、ほぼ1950年代に遡る。事実、それ以前でのスポーツに関する理論と諸問題は、体育の理論の枠内に収まるものばかりであった。現代のスポーツ・トレーニング理論の発生は、1956年のオリンピック・メルボルン大会こそがその端緒であったとみなすことができる。そこで勝利を収めた選手またはティームのほとんどが、試合技術の改善について科学的検証結果を利用し、これらをスポーツ用器具の発明と改良にも結びつけることのできた国々を代表していたのを目の当たりにしたからである」

急速に発展する競技スポーツによって直面し始めた問題が、従来からの体育の理論の枠内での対応と解決が困難になったのは、ソ連・東欧の社会主義諸国ばかりでなく、西側の資本主義先進諸国でも同様であった。それらは、とくにトレーニング活動の計画と立案、競技成績・試合の分析、適正なトレーニングの目的と内容、ならびにトレーニング負荷の量と強度の間の適正割合等々に関してである 7), 16), 19), 56), 57), 88), 89), 92), 112), 113)。

これらは、明らかに従来の科学の範疇を超えるものであり、スポーツに関連したさまざまな科学の複合的・総合的なアプローチを通してスポーツ・トレーニングの諸問題の解決にあたり、それらをトレーニングの現場に提示する必要が生まれた。これらスポーツに直結した、科学的で実用的な知識構造の1つは、試合活動そのものとその評価に関する「競技理論」、および高度な競技達成に対する選手の多面的準備としてのスポーツ・トレーニングの合理性・構造性に関する「スポーツ・トレーニング理論」である。

西側資本主義先進諸国は、近代スポーツとオリンピック・ムーブメントの発展の原動力であったが、スポーツ指導者の職業的・社会的地位とその養成システムの確立は不十分のままであった。これは、近代スポーツの伝統的アマチュアリズムが、指導でも同様、コーチのボランティア活動が重視され、それに依存していたためであろう。このため、スポーツ科学と理論は体系化されることなく、個別の種目領域での経験的方法論としてのみ発展してきたのが現状である。また一方、個別の関連スポーツ科学に関しては、それぞれの自然・人文科学領域の見地からの関係でのみ始められた。しかし、競技理論と方法については、個別のスポーツ種目の枠内で個々に論議されるに留まり、理論と方法の一般化には十分な発展が見られなかった。

他方、国際競技力の向上を国家政策としたソ連・東欧諸国では、戦後スポーツでの世界制覇を目指したスポーツ・システムを確立する中で、ソ連のオゾーリン(Osolin, N.G.)らを中心にスポーツ・トレーニングの理論的体系化が進められてきた。これは、スポーツの試合とトレーニング活動に直結した科学的で実用的な知識構造を、現代スポーツの理論体系の中心的存在として位置づけようとするものであった 83), 105)。

こうした経緯の中で、マトヴェイエフ(Матвеев, Л.П.)は、それを「一般スポーツ理論と方法論」または「一般スポーツ・トレーニング理論」と名づけ、1967年ソ連のコーチ養成の最高機関であるモスクワ体育大学にその基礎講座を開設するに至った(図2.1) 57), 62)。


図2.1 スポーツ理論の構造と相互の関係(Матвеев, Л.П. 1977) 57)

その理由は、競技理論とトレーニング理論の両者が、一般化された形の中で事実上の完全性を反映するものであること。同時に、スポーツの実際面への影響力において、直接的かつ実用的な重要性を持つためである。

他方、スポーツに関する知識体系には、スポーツの個々の側面や、それに関連した現象を研究対象とした個別の研究領域も含められ、洋の東西を問わず、基礎的知識の貴重な供給源となっている。大別すると、自然・生物、医科学的な側面での専門諸分野と、人文社会・心理学的側面に関するものである。とくに、スポーツ医科学領域での研究成果は、トレーニング条件の医学的保障・管理に対して、科学的でしかも実用的役割を担ってきたことは周知の事柄である。

今日、スポーツの理論体系の中核をなす「一般スポーツ・トレーニング理論」の主たる目的と課題は、前出のウラトフスキー 121)、マトヴェイエフ 57)、および東独のハレ(Harre, D. 1979/80) 51)らに共通するものとして以下にまとめられる。
「スポーツ活動(試合、トレーニング、その他補充的なものを含む)の中に客観的な原則を認識し、一般化して、スポーツ・トレーニングの本質的な特徴、主要な内容、そして試合とトレーニングの構成原理を見出し、さまざまなスポーツ種目に共通する科学的で実際的な原理を形成することにある」

一般スポーツ・トレーニング理論の主たる課題は、スポーツ活動の将来計画の方向を定め、それぞれの課題設定の際に、基準とすべき根拠を提示することにある。したがって、スポーツ・トレーニング理論の基本は、スポーツ活動の分析・判断にあるといえる。活動の客観的評価と、そこから引き出す入念な結論に基づいた正しい分析・判断は、トレーニング活動の正しい方向を決定するのに大きく貢献するものである。

スポーツ・トレーニング理論では、予測的要素もまた重要な使命の1つである。この問題は、新しいトレーニング手段や方法、そして活動様式を採用する際などに、適切な判断材料の提供が求められるところにある。したがって、一般スポーツ・トレーニング理論は、競技者養成のすべてに関するものを意味する。このため、スポーツ・トレーニング理論は、競技者が初心者として入門する初期の参加から、選抜を受け、ハイレベルな活動を経て引退に至るまで、その全期間にわたる問題をカバーするものである。

ウラトフスキー 121)は、スポーツ・トレーニング理論の研究者(理論家)と実践者である指導者(コーチ)の最も重要な役割を「いわゆる一生を通じた全過程において、必要なトレーニングの原理・原則や方法を確立することにある」としている。したがって、理論と実践双方の経験は、スポーツ・トレーニング理論の中で一体化されるべきものである。このため、コーチングの成功に対し、スポーツ・トレーニング理論が持つ影響についての論議が求められるのは当然である。その最も重要な要素には、以下の3つが挙げられる。

①スポーツ成績に影響する因子

②トレーニングの手段、形態、方法

③トレーニングの構造とその期分け

2 2 トレーニング理論と実際

トレーニング科学はスポーツ科学と同義語として、スポーツ生理学、解剖学、生力学(バイオメカニクス)、スポーツ栄養学、スポーツ医学、スポーツ心理学等々、日本では一般に、それぞれの自然系母体科学に基礎を置く関連諸科学の総称として扱われている。しかし、それら分析的・要素的・客観的な科学的知識体系や法則は、競技者養成とスポーツ・トレーニングの過程に求められる実践的諸問題への直接的な貢献に対して、それが“トレーニング(またはスポーツ)サイエンス”として賛美されるほど多くはない。とくに、競技パフォーマンスやトレーニングの構造性、トレーニング構成の原理、運動課題、トレーニング計画、評価、管理、トレーニング諸条件の影響等々、トレーニングとコーチングで直面する実際的な諸問題からの乖離は、「理論と実践のギャップ」として常に問題とされ、現場のコーチ・選手らにとっては隔靴掻痒の感が免れないところである。この理由は、図2.2に示すように、選手・コーチらの目標である競技でのハイパフォーマンスの達成とそのトレーニング過程にとって、スポーツ科学と言われるそれら関連諸科学の理論的知識が、より低いレベルの原理や法則に過ぎないことによる。


図2.2 スポーツ運動に関する理論と実際のヒエラルキー
上位のレベルは、それが働くためには、下位のレベルの要素そのものを支配する法則に依拠する。しかし、上位のレベルの働きを下位のレベルの法則によって明らかにすることはできない。

上位のレベルは、それが働くためには下位のレベルの要素そのものを支配する法則に依拠するが、上位のレベルの働きを下位のレベルの法則によって明らかにすることはできず、より高いレベルの作用原理は、そのレベルの諸細目の各々を支配する法則によって表現することはできない。生理学、生化学、栄養学、バイオメカニクス等々は、生体の組織・器官レベルでの低次の諸条件それ自身のレベルにとっては十分であるが、競技パフォーマンスやスポーツ・トレーニングの包括的・統合的な問題はその上位の原理に依存している。それらを生理・生化学と物理学の原理にのみ還元してしまえば、人間的な競技パフォーマンスやトレーニング過程自体が阻まれてしまう。

ポラニー(Polanyi, M. 1966) 90)はこのことを、煉瓦の製造とその使用である建物の建築および都市計画との関係から、以下のように比喩的に説明している。
「そこでの最も低いレベルには煉瓦を作る原料があり、次に煉瓦工が来る。煉瓦の上には建築家がいて、煉瓦工に依存する。そして、建築家の上には都市計画家がいて、建築家の仕事に制限を課している。これらの継続的な4つのレベル各々に対応して、それぞれの作業原理・規則の4レベルが存在する。物理学と化学の法則は煉瓦の原材料を支配し、技術は煉瓦作りの技芸(アート)を支配する。建築術は建築家を支配し、都市計画の諸標準が都市計画家を支配する。そこに見られるのは、低次の諸条件はそれ自身のレベルにとっては十分であるが、建築という包括的な離れ業の達成のためには、その上位原理に依存するその仕方である。建築を物理学と化学の原理にのみ還元してしまえば、建築それ自体が阻まれてしまう」(佐藤訳,1980)90b)。

各レベルは、まず直接に、そのレベルに妥当する法則ないし原理にしたがっているが、同時にまた、そのレベルにより形成される上位のレベルでの成果ないし包括的存在の原理・原則にも従い(二重制御の原理:Principle of Dual Control)、1つの階序(ヒエラルキー)を形成している。各レベルはそれ自身の原理・法則に影響され、また、それらの法則はそれぞれのレベルでの科学や理論により指示される。これらの各レベルとその原理は、各レベルが次に高位のレベルの制御を受けることで意味のある存在に導かれる。そしてこのことは、高位のレベルの作動に関して、それより低位のレベルを形成する細目を支配する法則から説明することはできない。

今日、スポーツ・トレーニングに関しては、ソ連・東欧圏を中心に発展した一般スポーツ・トレーニング理論が、包括的な実践活動に直結する経験科学として、スポーツ指導者への一般理論的基礎の提供を担っている。これは、戦後、国際競技スポーツでの世界制覇を目指して、これまで全面的な国家支援の下で発展したソ連・東欧圏での、フルタイムの専従的国家選手・指導者・研究者らの養成と実践的スポーツ・トレーニング・システムの形成過程に依拠する面が大である 23), 42), 56), 57), 83), 105)。

スポーツ・トレーニング理論は、トップレベルの創造的で総合的なスポーツ・トレーニングの実践活動と両輪となり、トレーニングの実践過程の構造性、そこで直面する諸問題と原因の所在の明示、問題解決への具体的方策、それらの原理的基礎の提起が目指される。その主な課題としては、以下のものが挙げられる。

・スポーツ・トレーニングの歴史的発達過程

・スポーツ・トレーニングの目的、役割、課題

・訓練性およびスポーツ・フォームの発達

・スポーツ・トレーニングの構成原理、法則性

・試合システム、競技方式などの戦術・戦略問題、および特殊な試合準備

・基本的手段としての運動(Exercise)と方法

・選手の健康、栄養、生活、環境問題等々

これらは、その下位(基礎)のレベルでの身体運動の体力的・技術的・心理的な個々の側面の客観的、物質的、定量的、要素的な諸問題について、物質的還元要素主義に立つ関連スポーツ諸科学であるバイオメカニクス、運動生理学、心理学などの研究成果の影響を受けている。また、一方では、スポーツ運動の実践的で本質的な課題や問題の探求は、主にドイツ語圏を中心に発展したマイネル(Meinel, K.)らの人間的・現象的運動学(Bewegungslehre)に依拠している 22), 37), 38), 58)。

より上位のレベルにある包括的なスポーツ・トレーニング理論の重要性は、とくに、前者の物質的要素還元主義に立つスポーツ諸科学に対して、トレーニング実践上の諸問題を提起し、それらの原理・法則を意味ある存在に導くことにある。

他方、広義のスポーツおよびトレーニング指導の理論面(コーチング)では、図2.3に示すように、スポーツの組織化の歴史的過程にも理論と実践での階序(ヒエラルキー)が存在する。そこでは、組織化の各レベルで、そのレベルに妥当する指導原理および法則を探求し、提供する理論が求められている。


図2.3 スポーツ活動の組織化に関する理論と実際のヒエラルキー

これらは、広義のスポーツ指導=コーチングにおけるもう一方の理論的基礎として、現代社会における実践的関心からその必要性が高まっているものである。しかし、これら双方を一度に扱うにはあまりにも膨大で、また筆者の現在の力量を越えるものである。したがって、本書では、スポーツ・トレーニングの多面的課題の構造性とそれらの基本的手段・方法、トレーニング計画の構成原理、およびトレーニングの分析・評価に関わる問題を中心に取り扱っている。

2 3 スポーツ理論とその実際の国際比較

一般スポーツ・トレーニング理論を中心とするスポーツの理論体系の考え方は、ヨーロッパ、とくにスポーツ指導者の職業的地位を確立したソ連を中心とする社会主義諸国で形成され、発展してきた経緯を持つ。また、その後、国際的トップレベル・スポーツの発展と共に、1960年代からは西独を中心に、西側欧州各国でも一般スポーツ・トレーニング理論(Allgemeine Trainingslehre)の導入と発展が始まった 16),19),48),51),89)。

ここから先は

10,555字 / 5画像

¥ 350

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?