世界一の柔道を支える「世界一のインテリジェンスチーム」 ──全日本柔道連盟科学研究部の取り組み|橘 肇(月刊トレーニング・ジャーナル2023年8月号、連載 実践・スポーツパフォーマンス分析 第20回)


橘 肇・橘図書教材、スポーツパフォーマンス分析アドバイザー

監修/中川 昭・京都先端科学大学特任教授

(ご所属、肩書などは連載当時のものです)

パフォーマンス分析は主に球技で行われるものと考えられがちであるが、実は武道のような競技でも盛んに行われるようになっている。その代表的な競技が、日本のお家芸の柔道である。

連載目次ページ
https://note.com/asano_masashi/n/nb58492f8076d

 1年の延期を経て開催された東京2020オリンピック競技大会の開会式の日から、もうすぐ2年が経とうとしています。この大会で日本代表チームが大きな成果を挙げた競技の1つが、過去最多の9つの金メダルを獲得した柔道でした。

 この躍進の背景の1つに、全日本柔道連盟(全柔連)が長年取り組んできた試合映像のデータベース化や、パフォーマンス分析があると言われています。その概要や成果についてはこれまでも数多くのメディアで取り上げられてきました。そうした記事を私も目にする中で、実際に大会の現場に行って撮影や分析を行っているスタッフの方の具体的な作業内容や、その中での喜びや難しさを聞いてみたいと思っていました。そこで、今年の5月7日から14日にかけてドーハ(カタール)で開催された世界柔道選手権大会に全柔連の科学研究部のスタッフの1人として帯同していた川戸湧也先生(仙台大学体育学部講師)にお話を伺いました。

体育科教育と柔道競技の分析を両輪に

――川戸先生が科学研究部に参加されるようになった経緯を聞かせてください。

川戸:全柔連の科学研究部という存在を知ったのは、大学生の頃です。筑波大学に入学した2010年は日本で世界選手権が行われた年で、柔道部の1学年上の先輩が3名、選手として出場していました。そこで会場の代々木第一体育館に行ったとき、大学の先輩方が会場の中で日本代表のスタッフとは違う仕事をしていらっしゃるのが気になりました。それが科学研究部のメンバーの方だったんです。その後、大学卒業を前にして将来を決める際、大学院に進学したいという思いと、柔道を軸に海外に行ってみたいという思いを抱くようになりました。柔道を通して他の国を見てみたい、また日本を外側から見てみたいと思ったのです。そのためには、柔道に関係した仕事をすればいいのではと考えていたところ、科学研究部のことを思い出し、先輩方に相談しました。2014年、大学院の博士前期課程に上がる頃に科学研究部のインターンのような形で迎えていただき、今に至ります。

――大学教員としてのご専門は、体育科教育学ですね。

川戸:体育科教育学とは、学校の保健体育の授業を改善していくために、授業の中身やカリキュラム、実際の指導方法などを研究する学問です。研究の中で大事にしているのが「授業の分析」です。僕は学校の先生方には職人技があると思っていて、たとえばそれは生徒の目を引きつける技術であったり、生徒が興味を持つ面白い教材を考えることであったりします。僕の理想は、それを目で見える形にして、若い先生が真似できるようにすることです。積み上げてきた職人技が、先生の退職とともに失われるのではなく、次の世代に受け継がれていくようにしたいのです。そのためにも、まず体育の授業の定量的な分析が重要だという考えで研究をしているのですが、そこが柔道の競技分析にもつながっています。目の前で起こる試合というのは、本当に一瞬一瞬で勝負がついて決まっていくんですが、その中で共通項や、特殊な部分などを見極めていくことで、素晴らしい技や技術が次の世代に受け継がれていきますし、その技や技術にどう打ち勝つのかという取り組みも次の世代に受け継がれていくと思います。そういう思いで、体育科教育と柔道競技の分析を自分の両輪にしています。


試合中に撮影とデータ入力を行う川戸氏(写真は全て川戸氏提供)

分析対象は強豪選手とルール改正

――科学研究部の役割について教えてください。

川戸:まず全柔連の中に強化委員会があり、さらにその中の1つの組織として科学研究部があります。活動は大きく分けて2つです。1つは体力測定で、各年代の選手たちの強化合宿のときに体力測定を行って、柔道選手の形態的な変化や筋力の変化を、長期間追いかけながら見ていきます。もう1つが、私たちが担当している競技分析です。競技分析の目的は、大きく2つあります。1つは、海外の強豪選手の個人個人にフォーカスして、その傾向を見るということです。もう1つは、ルール改正の影響を見極めることです。柔道では、オリンピックの後に大きなルール改正が行われます。そうすると、ルールの改正によって使える技術や使えない技術が発生したり、有利になる戦術や、使うのが難しくなる戦術が発生したりするのです。また、反則をとるタイミングといった微妙なところにも変化が出てきます。そこで我々の競技分析を通して、ルール改正の影響を検討していくことも大きな目的なのです。

――具体的にはどういうことでしょうか。

川戸:皆さんが柔道の試合を見る場合、主に「技を仕掛けるところ」を見ると思います。しかし、技に入る前には、まず組まなければなりません。相手に有利な組手で組まれたら、こちら側は不利になってしまうので、相手の組手を切り離す技術も必要です。最近のルール改正で、自分の両手で相手の片手を持って、組手を切り離す行為が反則ではなくなりました。以前はいかなる状況でも、相手の片手を自分の両手で持って切り離すのは反則だったのですが、切り離した後にアグレッシブに攻めるなら、両手で切ってもいいと変更されたのです。これによって、ずっと禁止になっていた「相手の片手を両手で持って切り離す」という技術が、復活したことになります。そうすると、その後の攻め方や、相手に反則が与えられるように持っていく戦い方も変わってきます。このように、ルールの改正がその後の試合展開に及ぼす影響についても、試合の全体像を見ながら整理していくと見えてくるものがあるのです。

――選手の得意不得意やよく出る技、流れのつくり方などにも個性が出るんでしょうね。

ここから先は

6,242字 / 6画像

¥ 150

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?