『スポーツ・トレーニング理論』第7章 トレーニングの基本的側面とトレーニング課題(1)──心理的および技術・戦術的側面


村木征人

目次ページ
https://note.com/asano_masashi/n/n40aa5f53a648

7 1 競技達成(パフォーマンス)と競技力

トレーニングの直接の目的は、選手並びにティームの最高業績の達成である。この全体的・統合的な競技能力を「競技力」と呼び、その多面的に準備された状態を「スポーツ・フォーム」と呼ぶ(第5章参照)。最高業績は、スポーツ・システムの最重要試合での最高成績が目標とされ、客観的計測競技種目であっても、記録は二次的な結果としての意味を持つものと考えられる。もっとも、より究極的な目的は、スポーツを通じた「身心一如」の自己実現の道である。

トレーニングの対象となる選手の競技力は、各マクロ周期(1年、1/2年または1/3年)の枠内で周期的に発達するスポーツ・フォームの極めて全体的(総合的)・多面的な現象である。また、それを更新することで、長期の競技的発達過程が形成され、高度な専門化と最高業績が達成される。したがって、スポーツ・トレーニングは、この全体的・統合的・多面的な競技力を養成するための合理的な実践活動と言える。このためには、まずその競技力の構造をしっかり把握しておくことが不可欠である。

目標とする大試合で最高業績の達成を獲得することの難しさは、すでに四半世紀前から以下のように指摘されている。「統計的分析が示しているように、ヨーロッパ選手権、世界選手権、オリンピック大会などの最も重要な大試合に参加した陸上競技、重量挙げ、水泳の選手たちの中で、その年の最高を記録したものはわずか15〜25%に過ぎない。それ以外の選手たちはそれに失敗しているのである。つまり、彼らは目指した大会の前か後に最高記録を出しているわけである」(Матвеев, Л.П. 1972) 53)

この成功率は、最近のオリンピック・モスクワ(1980)、ロサンゼルス(1984)、ソウル(1988)大会、ヘルシンキ(1983)、ローマ(1988)での陸上競技世界選手権の競技成績の調査分析によっても当時の統計的数値と変わらない結果が得られている(村木,1987/1989) 72), 73)。

図7.1は、オリンピック・ソウル大会(1988)における、陸上競技への出場選手の自己記録更新率を例示している(村木,未発表資料より)。


図7.1 オリンピック・ソウル大会陸上競技全体とトラックおよびフィールド競技における、本大会での自己記録更新者の体制別出場者に対する割合の比較(A)、および大会参加資格記録の更新者の割合の同様の例(B)


ここでも、陸上競技全体での自己記録更新者の割合はわずか15.4%であり、決勝進出者に限っても21.7%に留まっている。競技別に検討してみると、フィールド競技での自己記録更新率は全体で6.3%、決勝進出者でも8.7%である。これらの値は、それぞれトラック競技での19.2%と21.7%に比べて著しく低く、技術性の高い種目での大試合のパフォーマンス・コントロールの難しさを示している。この現象は、決勝進出を果たした上位群でも同様である。

図では参加国をそれぞれの社会・経済的分類に準じて、社会主義諸国、資本主義諸国、開発途上国、新興工業諸国(NIES)、その他の国々の5つのグループに分けて比較している。その他の国々は、その多くが開発途上国であるが、それらの入賞者は米国など先進国へのスポーツ留学者であるのが特徴である。

自己記録更新率に関する傾向は、各国とも上記のものと同様であるが、NIESでは例外的にフィールド競技でもトラックに匹敵する高い更新率を示している。これは、参加選手自体が比較的若く、競技的発達段階の伸び盛りの段階であったことと関連している。

図7.2は、オリンピック・ソウル大会陸上競技の各種目で、自己記録を100とした際の試合記録の割合──「競技達成率」──の種目毎の平均値の比較である。また、図7.3には、競技達成率の累積度数分布を競技別に比較している。


図7.2 オリンピック・ソウル大会陸上競技各種目での決勝進出者(F)および落選者(DQ)毎の平均競技達成と平均記録得点の比較
競技達成率は、自己最高記録に対する本大会での記録の割合(%)を達成率(A)とし、横軸上に決勝進出者達成率(A)の昇順に種目を左から右へ配列



図7.3 オリンピック・ソウル大会陸上競技全出場者の自己最高記録に対する本大会結果の割合──競技達成率(A)に関する競技別累積度数分布の比較


これらの図で明らかなように、技術性の高いフィールド種目では競技達成率が低く(全出場者の平均94.7%、決勝進出者の平均96.7%)、トラック種目では顕著に高い結果(それぞれ98.0%、99.3%)が示された。また、累積度数分布でも、トラック競技とフィールド競技──とくに、投擲競技の分布の違いが顕著に示されている。

また、前図7.1でも明らかなように、スポーツ・トレーニング理論の発達した社会主義国と欧米の資本主義諸国の選手らの競技達成率には、有意な差は認められていない(図7.7参照)。これらの現実は、最も重要なトレーニング課題である目標試合での自己の最高業績の達成に関して、今日もなお有効なトレーニング方式が確立されているとは言い難いことを示唆している。しかしながら、第1章で概括したように、スポーツ・トレーニング理論がトレーニングの合理性を高め、競技パフォーマンス・レベルの発展に大きく貢献してきたことも確かである。

本章では、このような意味で、トレーニングの合理性を高めるための理論的基礎として、トレーニングの基本的側面とトレーニング課題、および基本的手段としての運動とそれらの相互関係について以下に考察する。

7 2 トレーニングの基本的側面と競技特性

最高業績の達成を目指してトレーニングされるべき全体的・統合的な競技力は、古くから「心・技・体」の三位一体にあるとされる。スポーツ・トレーニング理論では、これら相互的相関関係にある三位一体を以下の3つの側面に区分している。

①心理的(精神的)側面

②身体的(体力的)側面

③技術的・戦術的側面

多様なスポーツ種目の競技特性(試合方式)とスポーツの実践体系からスポーツ種目を比較することは、それぞれの種目の相対的な特殊性(専門性)および類似性(共通性または一般性)の認識を深め、それをより鮮明にすることができる。

表7.1は、代表的な競技スポーツ種目を、運動構造と競技特性から分類したものである。ここではまず、運動構造の観点からスポーツ運動を(A)単構造種目、(B)複構造種目、(C)複合構造種目の3つに大別し、さらに、それぞれの特徴的な要素的諸細目によっていくつかに小分類した。


表7.1 代表的競技スポーツ種目の分類


単構造種目では、その身体的・体力的側面の競技パフォーマンスに対する強い影響から、①スピード・筋力運動系、②制御運動系、③持久運動系の3つが区分される。また、複構造種目(B)では、その戦術的側面の特徴から、①集団運動系と②対人運動系の2つが区分され、複合構造種目では、その技術的側面の特徴から、①固定多種目と②定期的変更多種目とに分類される。ただし、この分類では、外力での移動運動系スポーツに関してはその他に一括した。これらは、スキー、ボブスレー、ヨット、ボードセーリング、馬術、モータースポーツ等々である。

このように、極めて多種多様なスポーツ運動は、人間の基礎的運動能力とその可能性を基盤に、それぞれの競技パフォーマンスに求められる多面的な運動能力に関係して分類される。

トレーニングの基本的手段としての運動と、そこに内在する要素的トレーニング課題の一般性・専門性は、それ自体単独に存在するものではなく、他のスポーツやトレーニング手段との相互連関の中で相互規定される相対的な存在と言える。また、運動能力に関連した当該スポーツの運動特性が最も顕著に現れるのは、高度に特殊化(専門化)されたトップレベルにおいてである。図7.4は、そのような関係を模式的に示している。


図7.4 競技レベル(競技力)と競技パフォーマンスに関わる多面的側面・課題の相互連関・相互規定の関係を表す模式図
底辺は発達過程でのスポーツへの開始局面を意味し、円柱上底に向かってトレーニングの高度な専門化が求められる発達過程を示す。上底では、高度に専門化されたトップレベルでの競技パフォーマンスに関わる種目間の特性の違いを多面的側面での相対的な位置関係として示す。


スポーツ・トレーニングで目標とされる競技力は、専門種目の運動形態、試合方法、試合条件、選手(ティーム)の個人的特質、訓練性、試合経験、並びに試合水準、対戦相手等々の多面的な側面、要素、条件で特徴づけられる。したがって、専門とするスポーツにおいて、発展過程にある指導者や選手らのトレーニングに対する考え方や実際の方向性には、それぞれ専門種目の相対的な特性が反映され、特定な側面・要素への偏りが見られる。また逆に、指導者や選手らのトレーニング過程における当該時期・段階での競技に対する戦略的思想、選手の個人的特質、訓練性に対する現実的対応(個々の側面や課題に対する重点の置き方)の違いを読み取ることも可能である。

陸上競技、水泳などの客観的計測競技種目では、スピード・筋力・持久力といった身体的側面での個々の要素的課題にもっぱら関心が向けられている。また、新体操、体操競技、フィギュアスケート、飛び込み競技では、主として運動の質的内容と技術的側面が注目されている。他方、種々のボールゲーム種目では戦術的・技術的側面に最も関心が高く、射撃、アーチェリーなどでは技術と共に、心理的側面への課題に主要な関心が向けられる傾向にある。もっとも、同一種目および関連種目内でも、所属ティーム・団体、指導者、あるいはトレーニング段階、競技経験等々によって、トレーニングの方向性や、主要なトレーニング課題に対する重点の置き方に構造的な変化も生まれる。

スポーツ・トレーニングで目標とされる競技力の理想像の構造的変化と方向性の違いは、内在的因子と外在的因子の相対的相互関係で生まれ、これらは主として、実践での直観的判断で導かれるようである。しかし、その正当さとトレーニング過程の合理性は理論的に与えられるので、正しい直観的判断を生み出すには競技力に関連した知識領域とその知識体系に精通することが不可欠である。したがって、この意味でも、トレーニングの「理論」と「実践」の相互補完が非常に重要である。

7 3 心理的・精神的側面

スポーツ・トレーニングの第一の基盤は、社会性のある人間として最も基本的な精神的・意志的側面である。試合を通じた厳しい競争での競技パフォーマンスによって、若い青少年の時代から個人並びにティームの優位性を争うものであるからこそ、まず第一に、教育的過程としてルール遵守と公平さ、自己に厳しい謙虚さなどの倫理・道徳的課題が厳しく要求されねばならない。このことは、トップレベル・スポーツが社会的注目と賞賛を集め、多大な物質的賞与が伴うが故に、今日改めて問い直されるべき問題でもある。また、第二に、最高業績達成のための厳しいトレーニング目標である故に、達成への不撓不屈の強固な意志とその持続性がその原動力として求められる。

7 3-1 倫理的・道徳的発達

オリンピック・ソウル大会でのベン・ジョンソン選手に代表される薬物使用問題でのスポーツ・モラルの低下もさることながら、競技ルールにさえ無知なトップレベル選手も少なくないのが現状である。参加する選手・役員自体がルールを決めながら競技した旧きよき時代とは異なり、高度に組織化され国際化した時代にあっては、単に選手やコーチの良識に訴えるばかりでなく、現代社会での法と秩序の関係に見られるように、今後さらに専門家による厳密なルールと罰則規定の体系化が進行されるであろう。したがって、選手の指導養成過程では、選手及び指導者倫理はもとより、その発展段階に応じて必要とされる国際的なルール体系についての実践的理解と適正な解釈が不可欠である。

また、トップレベル・スポーツでは、メディアでの取り上げによって一種の芸能人・スター気取りの感覚に陥って一般常識や社会性の欠如を助長しやすい場合も少なくない。日本では、メディアの関心が高いトップジュニア選手でとくに注意を要する問題であろう。

これらの側面に関しては、日常生活の中に組み込まれたトレーニングと試合の実践面で絶えず提供され、実学的に取り組まれねばならないが、定期的な特別の理論学習も必要となる。そこでは社会的、歴史的、国際的発展過程を踏まえた現実社会でのスポーツ倫理、並びに法と秩序の意義と実際が具体的に提供される必要がある。

7 3-2 意志と心理的特性の発達

前述の通り、スポーツ・トレーニングでは、最高業績達成への厳しいトレーニング目標が目指されるが故に、最高業績達成への不撓不屈の強固な意志とその持続性がその原動力として共通に求められる。基本的にこれらは、あらゆる人間(研究者、芸術家、セールスマン等々)の成就に求められるもので、必ずしもスポーツ選手特有のものとは言えない。しかしながら、スポーツ・トレーニングでは、トレーニングや試合に設定した具体的な目標やノルマの達成において、絶えずさまざまな内的・外的障害の克服が不可欠であり、とくに、身体的成就に結びついた自己実現に対する精神力の養成の意義と価値が特徴的である。これらは、とくに、伝統的な東洋の修業法に顕著である。

実際のトレーニングでは、他の技術的もしくは体力的側面(とくに、スピード・筋力要素)からは、一見非合理的に思われるような反復的または持続的訓練が、意志力・精神力を介して、結果的にそれらの総体としての競技パフォーマンスの向上に寄与することも少なくない。これらの刺激は総称して、トレーニングの体調負荷、環境負荷、心的負荷などと呼ぶ(次章後述)。

目標とする主要な大会で自己の最高業績を達成することは、すでに述べたように種目差も大きいと同時に、今日なおもスポーツ・トレーニング理論が実践に対して十分貢献しているとは言い難いものである。この理由は、スポーツ・フォームの極めて変化しやすい側面でもある心理的側面の制御の難しさにあると思われる。

トレーニング体系における心理的準備のあり方は、長期−短期の各レベルでの集中とリラクセーションの適正な交互作用として、当該周期、段階、最終的には目標とする最重要試合へとタイミングよく波長を合わせることにある。それは第一に動機づけの要素であり、第二に適度な精神的緊張と高揚並びに情緒的な安定である。

オリンピック年(最近では世界選手権年)には、陸上競技の世界ランキングの記録水準が他の年に比較して高い傾向にあるように、目標とすべき大試合の年こそ競技パフォーマンス向上のチャンスであることが明らかである。またその反動として、その中間年、とくにそれらの翌年には記録水準の低下が顕著でもある。このことは、オリンピック・チャンピオンらの選手個人の競技的発達経過の事例でも明らかであり(第3章図3.3参照)、逆に、その波長を合わせられなかった選手はチャンピオンの栄光を手にすることはできず、無冠の世界記録保持者の例も稀ではない。

このように、多年次の過程においても、高度な緊張と意志的高揚、強固な意志および闘志を毎年同じように持続するのはあまり得策ではない。動機づけを強めるためにも3〜4年毎の集中と、相対的にリラックスさせる周期が計画されるべきである。また、中期並びに短期間の心理的準備の過程では、主に、第二の適度な精神的緊張と高揚、並びに情緒的な安定のタイミングよい獲得が目指される。

高度な競技パフォーマンスには、前述したような適度な興奮と緊張、感情的な高揚、目標への達成意欲、困難さへの挑戦とその克服意欲等々が不可欠である。

図7.5は、興奮水準と競技パフォーマンスの一般的関係を示している。これは「逆U字仮説」と呼ばれ、最高の競技パフォーマンスには最適な興奮水準が存在することを示している。したがって、適度な精神的興奮は、最高の競技パフォーマンスの不可欠な条件であると同時に、その過不足な状態は、共にマイナスにも作用する両刃の剣でもある。しかし、この関係は厳密なものではなく、種目や個人差が大きいものとされている。たとえば、射撃やアーチェリーではより低い興奮水準が、また逆にパワー・格闘競技にはより高い興奮水準が要求される。これは、先に競技達成率で示した、陸上競技のトラックとフィールド種目間での違いと同様である。また、トップレベル選手では、レベルの低い者に比べてより高い至適興奮水準を持ち、興奮水準と共に競技パフォーマンスが高まる「動員仮説(Drive hypothesis)」が有力とされる(Rushall, B.S. 1979)98)。このほか、失敗不安や緊張性不安、情緒的ストレスなどは競技パフォーマンスへのマイナス因子でもある。


図7.5 興奮水準と競技達成の関係の逆U字仮説(Rushall, B. S. 1979) 98)



競技パフォーマンスに影響を及ぼす精神面での自己コントロールのためのトレーニングは、総称的にメンタル・マネジメントと呼ばれる。これらは、ラッシャル(Rushall, B.S. 1979)98)、スーイン(Suinn, R.M. 1980)107)、オーリック(Orlick, T., et al. 1980)80)、ガーフィールド(Garfield, C. A. 1984)24)等々、1970年代末より欧米でのスポーツ心理学領域での著作の増加が顕著である。また日本でも、日本体育協会の昭和60〜63年度スポーツ科学研究事業として「スポーツ選手のメンタルマネジメントに関する研究」プロジェクト 78)が組まれ、テレビメディアにも頻繁に取り上げられて一種の流行現象の感も深い。ガーフィールド(1984) 24)が、その著“Peak Performance”で東欧、とくにソ連・東独でのピーク・パフォーマンスに対するスポーツ心理学の貢献を述べているが、陸上競技での競技達成率から見る限り、それは過大評価であると言わざるを得ない。

その根拠の一端は、図7.6および図7.7に示される(村木,1989) 47)。

図7.6はオリンピック・ソウル大会陸上競技での上位得点国のマラソンを除く全種目の入賞者と非入賞者の自己記録に対する競技達成率Aを棒グラフ、出場資格記録に対する達成率Bを折れ線グラフで示し平均値を比較している。横軸上の国の配列は、各国の入賞者群の平均達成率Aの高い方から順に左から右へ並べ、右端には入賞者のいなかった日本を参照データとして示している。


図7.6 オリンピック・ソウル大会陸上競技での非公式得点上位20カ国の入賞者と非入賞者の大会での平均競技達成率(A:対自己記録、B:対出場資格記録)の比較
達成率(A)を基準に降順に配列している。無印は資本主義国、*印は社会主義国、@印はその他の上位国、★印は日本(入賞者はないので達成率の記載も空白)


ここで明らかなことは、全般に、非入賞者群の平均値は入賞者群に比べて顕著に低いこと。平均達成率の上位国はティーム構成がトラック種目中心の傾向にあること。そしてまた、社会主義諸国が達成率の観点で優れているとは言えず、この意味では、日本選手もこれらの得点上位国に比して、達成率が顕著に劣るものではない。

ここから先は

9,684字 / 5画像

¥ 350

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?