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私になるまで47

梅雨の季節が始まる。後頭部を刺すような痛みは、日に日に強くなる。痛いのを抑えるのに鎮痛剤を飲む。胃が荒れて口内炎が出来る。どんどん調子が悪くなる。また鎮痛剤を飲む。負のスパイラル…この頃セキセイインコを飼っていた。お世話は私のお仕事。どんどん調子が悪くても、朝のケージの掃除と水変え、餌やりは欠かさなかった。

インコと戯れる時だけは、痛みを忘れられた。がしかし7月に入ると、鎮痛剤をのんでも効き目を持続出来なくて「痛い!」と叫ぶ。

見兼ねた親は、再び病院に私を引っ張って行った。

その場で、先生に検査の承諾書にサインさせられ、またもや検査入院になってしまった。病棟にまたもや案内され、ベッドに横たわる。翌日ミエロ造影剤検査をすることになり、父は、私を置いて家に帰って行った。検査方法は、以前と同じ。朝ごはんの後から造影剤検査のための点滴が始まり、点滴をつけたまま、また検査室移動する。が、今回は先に点滴で眠くなり、腰椎に造影剤を注射されたのもふわふわした記憶の中で、しかし、左の体半分が、ビビビっと電気が走る感覚は覚えていた。

その後気がつくと病室のベッド寝かされていた。遅い夕食を食べる。冷めたホワイトシチューだった。はぁ〜とため息が出る。

歯磨きして、また横になる。そこにひょうひょうと先生が来る。いきなり、「手術8月8日な。」

「へ?」突然の発表に戸惑う。

明日家族が迎えに来る。詳細はその時説明すると言い残し、病室を後にする。

残された私。やっぱりそういうことになるのね。と、何だかとても悲しくなる。自業自得か。そう思いながら眠りについた。

翌日は大雨だった。両親が到着すると、診察室に来るように指示され、先生の報告を聞く。ミエロで撮影した首の内側の写真とレントゲン写真を見ながら1年前頚椎の3.4.5を固定した。その上の2番目の骨が欠けている。これ放置しとくと、痛みがさらに加速し、体が動かなくなると、まだまだ先が長い。このまま寝たきりになるか、手術して楽になるか?私に選択肢があるようでない状況だった。今度は全骨つまり頚椎を全部固めてしまうため、首は首だけで横に向けない。だが固定すると頭の揺れがなくなり、楽になるとの事だった。今回はリハビリはせんでいいから。確かにそう言った。

手術までの間、大人しく自宅療養しておくように言われて、帰路につく。

愛しいインコさん手術までの数週間を過ごす。インコさんは昨年春に天国に旅発って行った。が、あの頃の私に、タンバリンの音マネで頑張れ!と励まされているような気持ちにさせてくれたインコさん、ありがとう!。

48歳の誕生日は家で過ごし、次の日入院した。

今はまだ修行中の身ですが、いつの日か本にしたいという夢を持っています。まだまだ未熟な文章ですがサポートして頂けたら嬉しいです。