私になるまで57

移動支援の利用で、私は外に出る機会がふえた。
相変わらず、親はヘルパーさんに
「すみません。」
もういい加減慣れて欲しいと心の中の叫びは、届かない。
通院リハビリは、続いていたが、私の体調はあまりよくならない。見兼ねた当時のPTの先生が、通院リハビリだけでは運動量が足らない。どこかリハビリできるところを相談員さんに聞いてみては、とアドバイスをくれる。

私は相談員さんにメールした。すると、通院リハビリしている病院の前に、リハビリの出来る生活介護の施設がある。1度見学に行ってみては?と言われ、相談員さんに車に乗せてもらい、見学に出かける。
そこは、就学前の子供たちと、大人の障害者の人が通うデイサービスだった。
PTの先生と看護師
栄養士、生活指導員さんが、いて、充実している。
とりあえず、週1度行くことにした。

また勝手に決めてと言われるかと思ったが、おやは、何も言わなくなっていた。
娘の人生は、娘のもの。という洗脳が少し現れてきたのだろう。

ところで、私は出来ることと、出来ないことの境界線で悩んでいた。

出来ることは自分でやる。
出来ないことは人に手伝ってもらう。

その狭間の曖昧な部分…
頑張って時間と体力を消耗すれば、出来ること。後ではぁ〜とため息混じりで後悔する思い、しかし、頑張れば出来ることを放棄するって、今までの私の生き方を否定してしまうことになる。
それはもう「頑張り屋愛ちゃん」をやめなければならない。
頭で色んな思いが交差するが、それとは、裏腹に身体は正直者だ。

曖昧な境界線はもう人に頼るしかなくなった。
現状維持を目標に「今」を生きる。

これ以上悪くなるとまた、首の手術が待っていて、次はf頭蓋骨まで固定されがんじがらめにされる。

首に負担をかけず好きなことが出来る。これが今の私の生きる道。

あらゆる福祉機器を支給してもらい、移動支援を使いデイサービスに通う。

デイサービスではリハビリは30分程度で、後はやりたいことをやっていい。だから毎回絵を描いた。
そのうち指導員さんが、事業団が毎年カレンダーを事業所に通う人達から募集しているという話を聞く。浅野さんも出してみては?という提案。
ただ毎年競争率高いから載るかどうかは分からないとの事だった。
まぁ断わる理由もないので、絵を出してみた。

春が爛漫の頃、
「浅野さんおめでとう!来年のカレンダーに絵が載るよ!」

すっかり忘れていたので初めは何がなんやら分からなかった。そのうち喜びが込み上げて来て、誰かに認めて貰えるってこんなに嬉しいんだと再確認する、

今年の2月のカレンダーに載りました。小学校の恩師にたくさん買って貰った。私も
友達や主治医に送った。
みんなに絵を見てもらえて、そういう機会を作ってくれた事に感謝している。

今はまだ修行中の身ですが、いつの日か本にしたいという夢を持っています。まだまだ未熟な文章ですがサポートして頂けたら嬉しいです。