過ぎてゆく

 過ぎてゆくもの、月日。
 今年ももう5月。ついこの間まで張り詰めていた寒さはどこにもいなくなって、いつの間にかに黄色と緑の季節がやってきていた。だれかの手に握られた砂時計の一粒の煌めきは、もうじき斜陽のラジオの側にそっと置かれるようだった。
 過ぎてゆくもの、草木。
 線になる。においもわからないまま横切る自然。私の声に風を伝って応えてくれているようで、一枚のガラス越しにはなにも伝わってはいなかった。燕の低空飛行とともに夕立が来る。
 過ぎてゆくもの、人々。
 泡のようだ。沸いてはすぐに消える熱湯の泡のように、人は知らないところから急に現れて、気付かぬうちにまた知らないところへ行ってしまう。ゆく宛の知らぬ通行人の行く手を阻むものはなにもないのだから、仕方あるまい。
 過ぎてゆくもの、責任。
 背負った重りに耐えられず潰れる。しかし不思議なもので、潰れても息はできるし、身体も動かせる。見せかけのダンベルを背負って、今日も歩いている人が一人、また一人。
 過ぎてゆくもの、虚栄。
 綺羅びやかな宝箱の中にはなにもない。しかし、それが君自身であり、それを誇りに思うべきだ。垂れ流してきた足跡の意味など何もなく、しかし、その繰り返しは敬意を表すに値するものだから。
 過ぎてゆくもの、滑稽。
 あぁ、全く、滑稽である。私の存在も、私が感じる世界も、すべては茶番でしかないし、そんなことに一生懸命になって、一体。皮肉屋の冷笑はすべてを駄目にする。見習わないように。
 過ぎてゆくもの、意識。
 ものごころというものは、いつかはなくなってしまう。それがみんなとのお別れであるし、私とのお別れでもあるのだろう。きっと最後に聴く音は風の擦り切れる音だろうなと、壁に掛かったハンガーを見てふと思った。
 過ぎてゆくもの、自分。
 儚い存在を見る。現在を生きる幸せものだ。未来を生きる不孝者だ。君のために君ができることはきっと今しかできないことだと、未来の私は過去の私に諭す。耳の形をよく覚えている。君のために、君がやるんだと、ソファに腰掛けながら偉そうに嘯いている。
 過ぎてゆくもの、今。
 今は過去である。きっとそうだ。今だったはずの過去は私にとって意味有りげだったようで、全くそうではなかったはずだ。地に足つけて、漠然とした何かから逃げながら、私の形の型取り方をひとつひとつ知ってゆく私は、今にしかいないのだから。

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