いずれ醒める夢

 迷路を抜けたら悪夢から抜け出せると思ってた。でも現実は甘くなかった。迷路を抜けた先は更に大きい迷路だったのだ。
 はじめのうちは楽しかった。右や左やと選ぶ楽しさがあったのだ。童心に帰ったような、心の奥にキラキラと光るものを埃の中に見たときは、自分が生きている人間だということを久々に認識できた気がして嬉しかった。そう、たしかに嬉しかったはずだった。
 しかしその心躍るイベントも、長く続けばやがて飽きが来るのは必然だった。心の中で光ってたものは再び輝きを失い、フィラメントの切れた豆電球のように亡骸だけをそこに留めていた。早歩きでもつれそうになる足、迷路の選択の連続を頭で考える暇なくこなしていく。半開きになった目に迷路の壁の蔦が絡まっていた。肌の一部には迷路のように凹凸が出来上がっていた。小腸が迷路になってしまい、もつれた道の一片一片が腹の中で絡まって苦しくなっていた。耳から入る迷路の音は大きくなったり小さくなったりを繰り返し、しかしそれは海に浮かぶ小舟のように転覆しない妙な安定感を持っていた。
 ようやくだ。これで5つ目の迷路を踏破したことになる。ゴールの門の大きさは迷路の大きさと比例しており、つまりは1つ目の迷路のゴールの門の大きさがちょうど電車のドアと同じくらいだったのに対し、眼前にそびえ立つそれが遠目から見る富士山と同等の大きさを備えていることは予想できることだった。それに対して門の重さは大きさに依らずに一定で、それは眼前の現実が現実ではないことを示していた。
 ゆっくりと門を押していく。また迷路だ…。徒労もあってか、単純な落胆ではなく、少し諦めも入ってきてしまった。いっそここで暮らそうか。壁に生えている蔦にはよくわからない果実が実っており、可食であるかどうかをさておけばおよそ空腹の心配がない量があった。また迷路の中に川が通っていることがあり、その沿いに居を構えれば風呂の心配も、排泄の心配もひとまずしなくてよいだろう。そうか、私はここに住むためにここに迷い込んだのかもしれない。いや、きっとそうだ。きっと何かに追われることでしか自分の形を保てなかった怪物の私に、神が与えてくれた救済だったのだ。
 土の上に寝転ぶと、妙な柔らかさと冷たさに抱擁され、あっという間に眠ってしまった。
 時刻は午前6時10分、嫌なアラーム音とともに終わりのない迷路の中で目が醒める。

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